英徳学園。
幼稚舎から大学までの一貫教育を謳う良家の子女が集まる名門校。
そして、私と樹が出逢ったところ。
私は地方の高校から外部試験で、ここの大学部に入学した。
高等部からの内部進学者は、全体の1/3にも満たないため、私は樹や一馬の存在すら知らなかった。
誰が金持ちの子なんて、わからない。
それでも、『玉の輿』狙いの新入生もいない訳じゃなく、入学式の日には『F4の息子が新入生の中にいる』とあちこちで囁かれていた。
英徳伝説のF4。
今から30年近く前に、この英徳学園を支配していたという4人組。
幼稚舎からの幼なじみで、家柄、容姿いずれも申し分なしの4人組。
学生時代から常に注目を集め、今ではそれぞれがそれなりの地位についている。
そのF4のうち2人の息子が、今年の新入生の中にいるということで、皆の、特に女の子の興味は、その一点に集中した。
まあ、私には無縁な話ね。
F4の子息に限らず、Jrと呼ばれる跡取達は経済学部に遍ったため、文学部の私は、とりあえず平穏な大学生活となるはずだった。
なるはずだったのに……。
5月の連休も終り、少し大学に慣れた頃。
構内のカフェテリアで本を読みながら、ランチを取っていた。
さすが良家の子女が集う名門校のカフェは、高級レストランを彷彿とさせる嫌味のない高級感と静かな空間を醸し出している。
地方出身の私なんかがいるのは、場違いってやつで、入学当初は身の置きどころを探してしまった。
ようやく、そんなカフェの雰囲気にも慣れて、優雅な気分でランチを取る私の頭上から聞えてきたのは、言い捨てるような男の声。
「……松岡優紀の本なんか読んでいるんだ? くだらない!」
平穏な大学生活という細やかな私の夢を打ち砕いた男。
目の前にいる、私を見下したこの男。
誰なのか、私でさえわかる。
"茶道界のプリンス"と呼ばれている西門流次期家元、西門一馬。
「余計なお世話! あなたには関係ないでしょ? 茶道家のくせに、一期一会の精神が微塵もないのね。 家元は素晴らしい方なのに、西門流もおしまいね!」
末端の流派で稽古している私に、家元や次期家元と顔を合わせる機会などなく、一馬と関わるのもこれっきりだからと、できるだけの皮肉を込めて言い返した。
これが一馬との出逢い。
一馬と出会わなかったら、樹と知り合うこともなかっただろう。
それまで他人に言い返される経験を持たない一馬には、このことが新鮮だったらしく、学部が同じだったこともあって、顔を合わせるごとに声をかけられる。
出会いこそ最悪だったけど、こんなことがきっかけで、一馬と親しくなった。
そして、幼なじみの親友として紹介されたのが、樹。
正直言って、樹の第一印象は最悪。
鬱陶しい梅雨が終り、爽やかな初夏のころ。
カフェテリアでレポートを書いていたら、友達らしい男と一緒の一馬に声かけられた。
「麗、探したぜ。 紹介するよ、ガキの頃からの親友の樹だ」
「初めまして、香山麗です」
180はあろう身長と長い手足。
漆喰の黒を思わせる髪。
切れ長な目に、鋭い瞳。
はあ……、お美しいことで……。
女の私より綺麗なんじゃん?
モデル並みの容姿に溜息が出そうになった。
だけど、目の前にいるこの男は、「ああ」と一言いっただけで、視線も合わせようとしない。
イラつきのオーラが全身を包んでいた。
まったく!
なにさ、エラそーに!
"できるだけ関わりたくない"
それがあの時の感想。
その後、たまに3人でランチを取ることがあっても、ほとんど話をすることもなかった。
学部の違う樹とは、構内で会うこともなく、季節は夏に変わっていく。
夏休み、親元を離れて一人暮しをしていた私は、バイトに明け暮れていた。
同じ頃、一馬は茶会に出る機会が増えていった。
現在の家元が学生時代から騒がれていたように、マスコミに派手に取り上げられているせいか、あちこちからお呼びが掛かっていたらしい。
そういった中で、親の跡を継ぐということに迷いを感じたようで、ある夜、電話がかかってきた。
『今からやりたいことを見つけるのは、難しいことなのか?』
「茶の道以外にってこと?」
なんで私に?って思ったけど、幼稚舎の頃から樹以外に友人ができなかった一馬にとって、一般家庭育ちで世間慣れしている私の言葉には説得力があるみたい。
『ああ。 俺さ、ガキの頃から跡取って呼ばれて育って、茶の世界しか知らないんだ。 オヤジもお袋も無理して継がなくていいって言ってはくれるけどさ。 俺にでも、他にできることなんかあるんかな?』
将来を約束されているJrの贅沢な悩みだと思ったけど、選択肢がないってことの不自由さを思うと下手なことは言えない。
少しだけ、私と一馬の置かれている立場の違いを感じる。
「いつかさ……。 一馬は松岡先生の本をくだらないって言っていたけど。 松岡先生の本の中にね、"『私なんか』を『私だって』に変換できたら、あなたに出来ないことはない"って言葉があるの。 もし、一馬が将来を真剣に考えるなら、"俺だって"って考えないと、未来は見えてこないよ。 それに、普通の学生は今"やりたいこと"を見つけている時だし、遅くはないよ」
私ときたら、将来のことなど何も考えていないし、呑気な大学生活を送っているだけ。
そんな私の意見に、電話の向こうで一馬は何かを考えているようだった。