『麗か?』
「あっ、お忙しいのにすみません。 昨夜は、ご迷惑をおかけして……」
『いや、そんなことはいい』
やっぱり、オフィスにいる道明寺さんは威厳に満ちていて、樹とのことを相談したいと言い出すことさえ躊躇ってしまう。
『麗、具合でも悪いのか?』
道明寺さんの心配そうな声。
「えっ……、どうして?」
『さっき、会社に電話をしたら休んでいるって言われた』
心配させちゃった……。
「あっ、少し二日酔いで……。 もう大丈夫ですから」
電話の向こうで何かを考えている様子。
周りを気にしているのか、言いにくそう。
『……つくしが……お前に会いたいそうだ』
「奥様が……ですか?」
『話がしたいと言っている』
「わ、私もプライベートで相談したいことが……」
『今から迎えをやる。 邸のほうに来てくれ』
「……はい」
静かに受話機を置くと、一気に緊張が解けていく。
つくしさん……。
私に何の話があるんだろう?
気になる、けど……。
いや、今は、つくしさんなら私のモヤモヤしたものの答えを知っている気がする。
道明寺家のリムジンに揺られながら、暮れ泥む街並をぼぉっと見ていた。
午後4時。
茜色に染められた空に、心の中の霧が晴れることを願う。
だけど、現実はさらなる暗闇に導いていることを、まだ知る由もない。
私にとっての長い夜が始まった。
道明寺邸に着いた時、私の足は竦んだ。
昨日、道明寺本社に行った時とは違う圧迫感を覚える。
テレビで"大金持ちの屋敷"を紹介しているが、そんなものとは比べものにならない。
改めて、道明寺財閥の凄さと道明寺司が背負っているものの大きさを知った。
運転手に促されて、玄関の重厚な扉を開けると広いエントランスがあり、つくしさんが待っていた。
「香山様をお連れしました」
「急にお呼びして、ごめんなさいね」
春のような微笑で迎えてくれる。
「昨夜はすみません」
「気にしないで。 リビングは仰々しいから、私たちの部屋に行きましょう」
長く続く廊下をつくしさんの後を連いていく。
はぁ〜、本当に凄い家だわ……。
「凄い家だと思ったでしょ? くすっ」
「は、はい。 なんか廊下を歩くだけでも緊張しちゃいますよね」
「私も初めてこの家に来た時、そう思ったわ」
つくしさんは懐かしそうに笑っている。
ふと、平日のこの時間につくしさんが在宅していることが気になった。
財閥の奥方なら、何かしらの役職についているはずだ。
「あの〜? つくしさん、今日はお休みなんですか?」
「ん? 仕事中と言えば仕事中かしら? くすっ」
意味深に謎めいたことを言うけど、私、お邪魔してよかったのかな?
角部屋に案内されると、そこだけは重厚さとは違った雰囲気の広い部屋だった。
私の部屋の10倍以上はありそう。
「どうぞ、そちらに座って。 ハーブティでいいかしら?」
暖かみのあるインテリアでコーディネートされていて、広さを感じさせず、部屋の隅に誂えたキッチンから仄かに香るハーブティの甘い香りが心地良い。
棚の上の写真立てに目を奪われる。
「これって…?」
「私が高等部を卒業する時のプロムで撮った写真よ。 うふふ」
タキシード姿の道明寺さんと藍色のドレスのつくしさん。
少しはにかんだ幼さの残る笑顔が眩しい。
「結婚するまで二人で写真を撮ることもなかったから、貴重な一枚なの」
道明寺さんの若い時って、なんとなく樹に似ている。
そう言えば、私達も写真なんて大学の卒業プロムで撮っただけだっけ。
私は、勧められたソファに腰を下ろし、温かいハーブティを口にした。
「司から聞いたわ。 優紀のこと尊敬しているって」
「高校2年の時、松岡先生の本を読んでから、すっかりファンになりました」
「高校2年か……、私が司と出会った年ね」
「松岡先生の本を読んだ後って、とても穏やかな気持ちになれるんですよね」
「親友をそんなふうに誉められると、うれしいわ」
「本の影響で、西門流のお稽古に通うようになって。 松岡先生が一馬のお母さんだなんて、ビックリしました。 家元夫人が松岡先生だったんですね」
「昨夜はビックリさせてしまって、ごめんなさいね。 優紀はあまり表に出たがらないから」
「わ、私のほうこそ、酔ってとんでもないことを喋ったみたいで……すみません」
「気にすることないから。 滋さんや桜子にオモチャにされただけだから」
つくしさんの笑顔に、少しだけ気持ちが軽くなった。
「昨夜は麗ちゃんとゆっくり話も出来なくて、残念だったのよ」
一馬とばかり話していて、つくしさんとは挨拶をしただけ。
お開き間近は、滋さんと桜子さんの質問攻めで、どうやって帰ったのか覚えていないほど酔っていた。
ホント、私って最低……。
「麗ちゃんに会えるのを楽しみにしていたから、司に連れてきてもらったのに」
「えっ? そ、そうなんですか?」
道明寺さんは、どんなふうに私のことを話したんだろう…。