誰もいない静かな部屋が、今夜はやけに寒々しかった。
机の上には道明寺財閥に関する資料が、昨夜のまま散らばったまま。
いつもと変わらない部屋の様子に違和感を感じるのは、疲れのせい?
着替えもせず、そのままベッドに体を横たえた。
「あんたも自分の気持ちが不安なんだろ?」
花沢さんの言葉がいつまでも頭の中を駆けめぐる。
私の気持ち……?
私は何が不安なの?
樹から電話があったのは昨夜のこと。
『明日は、いよいよ道明寺司にインタビューだな。 緊張しているんだろ?』
「あっ、メール読んでくれたんだ?」
2ヶ月ぶりの樹の声に、思わず私の声も弾む。
『忙しくて、なかなか返信できないけど、ちゃんと読んでいるよ。 麗からのメール、楽しみにしているし』
樹がNYに行って4年。
NYの大学に進むと同時に親の会社で仕事を始めた。
慣れない異国での生活と多忙な毎日なのだろう。
樹からの連絡は途絶えがち。
時々、電話がかかってきても時差もあり、話せる時間など僅かだった。
日本で共に過ごした月日は2年も満たない。
そしてこの4年、樹は一度も帰国をしていない。
私に出来ることは、いつ読むかもわからないのに、邪魔にならない程度の近況をメールするだけ。
それだけに、昨夜の電話は忘れられていないって思えて、うれしかった。
『で、大丈夫なのか? 明日のインタビューは』
「うん……準備は終わったけど、やっぱり不安。 天下の道明寺司に取材を申し込むなんて、無謀だったのかな……」
私にとって、初めての大きな仕事。
道明寺さんの好意に甘えている負い目はあるけど、この日に漕ぎ着けられたことで、仕事に誇りを持っている。
『大丈夫さ、大企業の社長だって所詮人の子なんだからさ。 いつも通りでいいんじゃねーの』
相変わらず言葉は悪いけど、今夜の樹は優しい。
「そうだね」
『がんばれよ』
なんか樹に褒められたようでうれしい。
「樹は、相変わらず忙しい毎日?」
『もうすぐ卒業だから』
ドクン。
約束の時が来るんだ。
『麗、NYに来いよ』
「NY?」
『卒業後も仕事はNYになる。 だから、NYで暮そう』
「ち、ちょっと待って。 私の仕事はどうなるの?」
『辞めりゃいいだろ? 結婚するんだから、一緒に暮らすのは当たり前だろ』
な、なによ! 一方的に決めちゃって。
沈黙の時が流れる。
それを先に破ったのは私だ。
「……明日早いから、もう寝る。 おやすみ」
そう言って、電話を切った。
こんな切り方、良くないのはわかっている。
ちゃんと話し合わなくちゃいけなかったんだ。
"卒業したら日本に帰る"
そう信じて待っていたのに、なんでNYなの?
いつだって樹が一人で決めてしまう。
つき合い出した時も、NYに行った時も、私の気持ちなんて考えもしないで。
"結婚しよう"
ずっと待っていた言葉なのに。
えっ……私、泣いている?
うれしくないの?
涙が止まらない。
……悔しい。
簡単に辞められる程度の仕事だと思われていたのが悔しいんだ。
そのまま泣き疲れたように静寂の闇に身を落としていった。
『あんたも自分の気持ちが変わってしまうって不安なんだろ?』
私は、今日まで樹を信じて待っていた。
でも、樹の何を信じていた?
樹は、一度でも私の気持ちを考えてくれたことがあるのだろうか?
お父さんの会社って、そう言えば聞いたことがない……。
樹の両親のことも、樹の仕事のことも、樹自身のことも、曖昧にしたまま、4年が過ぎていたんだ。
私は、樹のこと何も知らない。
気がついてしまった。
樹がNYに旅立った時のように、このモヤモヤを押しこめて、樹との関係を続けていくことができるのだろうか?
これからも 樹を愛していける……?
わからない……。
だめ……。
今夜は何も考えられない……。
花沢さんの言葉だけが頭の中でこだまする。