食事を終え、部屋に戻った。
食事の後も、ずっと健人は話し続ける。
やはり、関心があるのは、最近の日本のこと。
健人は、日本のことを聞きたがる。
「日本が恋しいのね」
里香には、微笑ましかった。
「里香、マッサージの続きをしてくれる?」
健人は、もうベットに横たわっている。
「仕方がない人……」
健人の背中を揉み解すように、マッサージをする。
「疲れているのね」
少しでも、健人の役にたてるのが、うれしかった。
また、寝息をたてている。
目覚めるまで、ソッとしておこう。
ベットに腰掛け、健人の寝顔を見ていた。
「里香?」
まだ、眠そうな声で、健人が呼ぶ。
「なに?」
顔を近づけたとき、健人が腕を引き寄せた。
重なる唇。
健人が求めて来るなど、予期していないことだった。
わずかな抵抗も、押し寄せる激しさの前では、なす術をなさない。
どこか冷めた目が気になったが、里香は見ない振りをした。
日本から離れた異国の地での出来事は、それだけでも、いつもと違う感じがする。
まして、健人のキスも、愛撫も、敦史のそれとはまるで違う。
敦史と異なる激しさと、外国にいる解放感が、里香を大胆にさせる。
健人を受け入れると言うことは、里香に敦史との決別を物語っていた。
満ちていく。
里香の中の「女」が、満たされる。
余韻に浸る里香の横で、帰り支度をする健人の姿から、目をそらした。
「ヘルシンキから戻ったら、電話して」
健人の声が遠い。
一夜限りの夢だったと、言い聞かせよう。
体に残る余韻と火照り、健人に対する複雑な感情を抱えて、里香は眠りについた。
ヘルシンキへの旅立ちの日、心をコペンハーゲンに残すことで、健人との関係が変わってしまったと、思う。
戻ったとき、健人と顔を合わせるのが、気恥ずかしかった。
「ううん。 考えないようにしよう」
なにもなかったような顔で、健人と逢えばいい。
感情を誤魔化す術は、いやというほど知っている。
敦史との最後の夜が、思い出された。
里香の中に、混乱と動揺が大きくなる。
一泊二日のヘルシンキ滞在中、何度か健人に電話を入れた。
電話のコールが、空しく響く。
コペンハーゲンに戻っても、健人には、連絡がつかなかった。
繰り返す、呼び出しのコールが悲しい。
やっと、連絡がついたとき、健人の態度をよそよそしく感じずにはいられなかった。
『夜、ホテルに迎えに行く』
健人は、そういうと、電話を切りたそうだ。
約束の時間までが、長く感じられる。
里香は、落ちつかない。
部屋の電話が鳴った。
胸が締めつけられるほど、痛い。
健人だ。
電話に出ることが、躊躇される。
震える手で、受話器を取った。
『里香? 今、フロントにいるから』
なにかが違う。
今までの健人とは、明らかに違っている。
階下に向かうエレベーターのなかで、動きが止っている錯覚をした。
「おまたせ」
健人と目を合わせることを避けた。
「食事に行こう。 何を食べる?」
ぶっきらぼうな態度。
健人も、里香を見ようとしない。
無言のまま、健人が歩き始める。
その後を、黙ってついていく。
「明日の予定なんだけど……」
背を向けたまま、健人が口を開いた。
「一人で行けるよね。 一緒じゃなくても……」
「……だって……案内してくれるって…」
言葉が続かない。
「一人旅じゃないか……。 一人で行かなくちゃ」
「……約束したのに……」
「約束はしてないよ」
健人の声は、冷たい。
里香は、言葉を飲みこんだ。
二人は、無言のまま、歩きつづける。
「……俺、金がないんだ」
店の前で、健人が足を止めた。
『また?』と、里香は思う。
「今日は、ご馳走してくれる?」
「ええ、美味しいものを食べましょう」
健人に対する不信感に気がつく。
『わたしは、利用されている?』
いいや、健人の正直さを疑うのはやめよう。
心を許せる友人として、飾り気のない自分で接しているのだ。
里香は、そう自分に言い聞かせた。
心に芽生えた、不信感を脱ぎ去るように、自分に言い聞かす。
食事中の健人は、今までと変わらない。
気のせいだったと、里香はほっとした。
ほんのつかの間だったが。
食事を終え、ホテルに戻る道のりを、また二人は無言で歩いた。
手を伸ばせば、その存在を確かめられるほど近くにいるのに、目の前の健人は、遠く感じる。
ホテルの前で、健人が小さな声で、つぶやいた。
「俺たち、合わないのかも……」
その言葉が、何を意味しているのか、里香にはわからない。
ただ、健人を失いそうな予感に、戸惑うばかりだった。
「そばにいて……。 お願い、少しの間でいいから……」
自分を失っているのがわかる。
「やめてくれよ。 みっともないから。 疲れるんだよ。 一緒にいると……」
足早に去る健人の後姿を見送りながら、深い悲しみが、里香を襲う。
悲しみを抱き、コペンハーゲンでの残りの日を里香は過ごした。