健人との関係と、以前とは少し形が変わってきた。
前にも増して、健人が近い存在になっている。
メール、チャット、電話、と、手段は変わるが、いつでもそばにいる感じがした。
里香は、平安に満ちた毎日を過ごしている。
実験中で忙しいという健人と、試験を目前に控えている里香と、すれ違いも多かった。
それでも、穏やかな日々だったのは、健人の「愛している」という言葉が支えになっていたのだろう。
それが、真実でない、見せかけの愛であると、里香は知っている。
心の隙間を埋めるように求め合っていることは、わかっている。
つかの間の幸せであることも。
『やあ、里香。 勉強、頑張っている?』
「うん。 もう少しだもん」
『これから、出掛けるけど。 帰ってきたら、ゆっくり話そうね』
「いってらっしゃい」
ほんとうに、健人は、忙しそうだ。
結局、朝まで待ったが、健人からのアクセスはなかった。
寂しい。
そう思いながら、メールを書く。
想いを遠く離れている健人にはせて。
翌日、パソコンを立ち上げると、健人からメールが入っている。
飲みすぎたと、言い訳しながら、来週から、南米に出張すると書いてあった。
2週間も健人にアクセスできないのは、寂しいが、試験までの最後の追いこみだからと、里香は気を取り戻した。
絶望の中で、一度は諦めた試験に挑戦できる喜びを噛締めながら、里香は、勉強に打ちこんだ。
どんな結果であろうと、後悔したくない。
里香自身、大きなヤマを越えた気分だった。
派遣先との契約が延長された時、その予定外の収入で、自分に褒美をと、考え始める。
今、一番したいことをしよう。
そう考えたとき、真っ先に浮かんだのが、旅行だった。
思えば、離婚後、がむしゃらに働いた。
離婚の悲しさを振り切るかのように、敦史の呪縛から逃れるかのように、休むことなく働いて来た里香にとって、旅行はあこがれだ。
よく、健人は「温泉に行きたい」と話す。
温泉で、身体を休めるのも悪くない。
でも、温泉地への女の一人旅は、どことなく淋しさを感じさせるものがある。
何か、新しい刺激がほしい。
フレデリクスボー城。
健人が送ってくれた写真で、心惹かれたフレデリクスボー城が、心に残る。
海外は、無理だと、諦めかけていた。
数日後、健人は、南米に旅立った。
物足りない時間を持て余す。
『ここは、優雅な国だよ、里香。 勉強、頑張れ』
健人からの短いメールが、里香の心を暖める。
デンマークに行こう。
健人に逢えるとは思わないけど、健人の住んでいる国に行ってみたい。
フレデリクスボー城に、逢うためにも。
気持ちがデンマークに傾いていった。
デンマーク行きを励みに、さらに追いこみをかける。
『やあ、里香。 元気?』
健人から、アクセスがあったのは、南米に旅立ってから、10日が過ぎた頃だった。
「健人? 今、どこから?」
『ウルグアイだよ。 昨日、ブラジルから、帰ってきた』
「メール、ありがとう。 うれしかったわ」
『俺のこと、忘れていない?』
心がくすぐったくなる。
ずっと忘れていた、甘酸っぱい切なさ。
『俺のこと、思い出したりする?』
「健人がいなくて、淋しいわ。 健人こそ、私のこと、思い出したりする?」
『思い出すよ。 ふと、元気かなって』
うれしかった。
もし、デンマークに行くと言ったら、健人はどんな反応をするだろう。
快く、歓迎してくれるだろうか?
言い出すことに、ためらいがあった。
やはり、ここでも、拒絶の恐怖に怯える。
健人に逢えるかもしれない。
そんな期待も、心に芽生える。
「健人、私に逢いたい?」
『今すぐにでも、逢いたいよ』
「試験が終わったら……」
『逢えるの?』
「デンマークに行こうと、思っている」
『ほんとう?いつごろ?』
「11月ごろ……」
『楽しみだよ』
「迷惑じゃない?」
思いもよらず、健人の反応は好意的だった。
『迷惑なものか。 楽しみに待っているよ。 試験、頑張れ。 デンマークで待っているから』
健人に逢える。
それだけで、うれしかった。
偶像が現実になる。
何かが変わるかもしれない。
敦史からの呪縛から、解放されるかもしれない。
そんな期待を胸に秘め、里香は、旅立ちの日を待った。