ハウスタウン 旅行

Ⅱ.予感

淡い「恋心」を抱いたのは、いつからだろう。
「きれいになった」と、友人の何気ない一言で、里香は、健人に「恋」していることに気付いた。
だけど、抱いた恋心が、偶像に対する恋心であることは、冷静に感じている。
健人とは、逢うことがない。
ネットの中の存在である健人に、実際に逢うことはないはずだ。
それが、里香の中では、小さな安心感となっていた。
現実の健人と逢うことがなければ、「恋」が「愛」に変わらない。
里香は、それを知っている。
愛するものに拒絶される絶望感を、二度と経験したくないと思う。
遠く離れ、年齢差のある健人が、現実の恋愛対象には、なり得ない。
里香は、そう信じていた。
試験前の緊張から、開放される時間。
健人と過ごす時間は、心の安らぎだった。
『やあ、里香』
今夜も健人がアクセスして来る。
『勉強、頑張っているかい?』
「休憩中(笑)」
『邪魔になったら、いつでも言ってね』
健人の心遣いがうれしかった。
「息抜きも必要だった言ったのは、健人でしょ?」
健人のアクセスを、いつしか待っている。
二人の会話は、日を増すごとに親密になっていく。
「逢いたい」と言うことばを先に口にしたのは、健人だった。
遠く離れている二人が逢うことは、不可能だ。
手に届くような気がするほど、健人の存在は、身近になっているが、現実の姿はわからない。
この不安定な感覚が、バーチャルの人間関係なのだろう。
健人に心惹かれることに、戸惑いながら、仮想と現実の区別がつかなくなっている。
「逢いたい」と言う気持ちと、「逢えるはずがない」と言う気持ちが入り混じり、複雑な思いで姿の見えない健人と向き合うのだった。
「逢いたい」と思わない訳じゃない。
だけど、逢うには、遠すぎる。
それでも、逢いたい。
近くで健人を感じたい。
日を追うごとに、思いが強くなる。
敦史に対する思いを持て余していながら、偶像の健人に恋をする。
なにか、おかしい。
里香は、自分に問いかける。
答えを出せないまま。
健人と話す時間が長くなってきた。
「逢いたい」と繰り返す健人に、日に日に心を占領される想い。
『日本に帰りたい。 里香に逢いたいから、日本に帰ることにした』
健人が、そう言い出した。
どこまでが、健人の本心なのか?
里香には、まるでわからない。
「これは、愛ではないのだ」
自分にそう、言い聞かせた。
擬似恋愛なのだ、と。
健人には、日本に残している恋人がいる。
里香自身、敦史を愛しながらも、和志と暮らしている。
どちらも、心の隙間を埋めるかのように、互いを求めているに過ぎない。
パソコンという機械のなかでしか存在しない、健人と里香の関係が、現実の人間関係には存在しないのだ。
それでも、健人に惹かれていく。
「終わりにしなくちゃいけないかな?」
そんな思いが頭をよぎる。
『やあ、里香』
今夜も、健人がアクセスしてきた。
「健人にメールしようと思っていたの」
『どうしたの?』
「……」
里香は、思いきって、健人に話を切り出す。
「私、健人にすごく惹かれている。 でも、それはいけないことだと思うの」
『どうして?』
「健人には、恋人がいるんだし、私は健人より年上だし。 今まで以上に、健人に惹かれていくことが、怖いの……」
『それは、もう話せないってこと? 勉強の邪魔になっている?』
健人の存在が、励みになることはあっても、邪魔になることはない。
偶像への恋が、現実の恋になる。
その予感が、また里香の心を閉ざす。
不安の芽は、早いうちに摘み取ってしまわなくては。
『俺は、里香が好きだよ。 このままじゃ、いけないの?』
健人の言葉に、胸が熱くなる。
『これから、電話してもいい?』
「ダメよ。 国際電話は高いから」
『里香の声が聞きたい。 どうして、ダメなの?』
思いがけない言葉に、心が揺れる。
『ちゃんと、里香と話しがしたい』
健人の声が聞きたい。
それは、里香も同じだ。
健人の声を聞いてしまったら、里香のなかでなにかが崩れていきそうな予感がする。
それは、新たな絶望感への第一歩なのかもしれない。
敦史に拒絶された日のように、健人にも拒絶される日が来る予感。
不安で押しつぶされそうになりながら、健人の懇願に負けた。
自宅の電話番号を教え、電話が鳴るのを待つ。
深夜の静寂を打ち消すかのように、電話のベルが鳴った。
里香の堅く閉ざした心の扉を破るかのように。

( 2006/10/10 )

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