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Ⅲ.拒絶

その後、敦史から連絡が来ることはなかった。
里香は、自分のほうから連絡をすることを躊躇っている。
「あの夜、どうして敦史が求めてきたのか?」
里香の脳裏に浮かんでは、消えていく。
そして、やりなおせるのではないかという「期待」が、心の中で、大きく膨らんでいった。
再会から、数ヶ月が過ぎ、逢いたさを募らせていく。
「逢いたい」
その一言を口にすれば、自分が惨めになるのはわかっている。
何度も、携帯のダイヤルを押しては、切る。
それを繰り返す。
「声だけでも聞きたい」
その誘惑に負けて、敦史が電話に出るのを待つこともある。
里香だと名乗れば、敦史は、黙って切るだけだ。
その都度、言い知れぬ絶望感が里香を包む。
里香は焦った。
何かをしなければ。
敦史のことなど、忘れられるような何かを。
他のことに目を向けなければ、心のバランスがとれなくなる。
里香の心の中が、邪悪なもので、闇となっていくのだった。
里香は資格を取るために、学校に通い始める。
生活の環境を変えることで、敦史のことを忘れられると。
将来のことを考えたときに、今のままでは不安だったことのも理由の一つだった。
資格修得を目指すことで、スキルアップにもなる。
里香は、仕事と学業の両立に、充実した日々を過ごしていた。
敦史からの突然の電話は、検定試験を1週間後に控えていたときだった。
里香は、動揺と不安を隠し、期待に胸を膨らませた。
『はっきり言わない俺も悪いんだろうけど……』
敦史の声と話し方は、限りなく冷たく、機械的だった。
『何度も電話されても、困るんだよね。もともと、割り切った付き合いだったはずだ』
『まるでストーカーじゃないか、里香のやり方は』
「ストーカー」という言葉が、里香の心に重くのしかかる。
愛されていたわけじゃないと言う事実。
むしろ、これほどまで嫌われているとは、里香は考えてもみなかった。
敦史が、一方的に責める。
『俺の生活を壊す気なのか?』
『五歳も歳上のオバさんに本気になるとでも思っていたの?』
『里香には、たくさんの男がいて、俺は、その他大勢の一人だったはずだ』
『いつまでも未練がましく電話なんかしてこないでくれ』
「未練」
やり直せるかも、と言う期待を未練だという。
身体だけを求めていたと言う、敦史に言い返す言葉が浮かばない。
何を言い返しても、敦史は受け付けないだろう。
黙って聞いているしかなかった。
胸が絞めつけられる想い。
敦史に拒絶されたと言う事実。
動揺が大きくなる。
敦史の肌の感触やぬくもりも、愛撫も、昨日のことのように、身体が覚えている。
あの夜の余韻が、里香の中で疼く。
それをなかったことにしろと言う敦史の言葉が、胸に突き刺さる。
「その未練を残したのは、いったい誰なの?」
里香の口をついて出たのは、敦史に対する批難の言葉だった。
「あの夜、なぜ私を抱いたの?」
敦史の答えはわかっている。
性のはけ口だったと、蔑まされるだけなのはわかっている。
それでも聞かずにいられない。
敦史の答えは、自分を更に惨めにするはずだ。
里香は、冷静さを失っていた。
『それは……』
電話の向こうで、敦史が戸惑っているのが感じられる。
「あなたは、ずるい。 私だって、敦史のこと忘れるように努力したのよ。 それなのに……」
敦史への批難が止らない。
なんて嫌な女なんだろう。
自分自身がいやになる。
『……俺が悪いんだな』
敦史の声が、さらに冷たくなった。
そして、皮肉に満ちていた。
『里香だって楽しんだだろう』
見透かされていた。
里香自身が、敦史を求めていたことを。
やはり、敦史は見抜いていたのだった。
『二度と顔なんか見たくない。 もう電話しないでくれ』
そう言って、敦史は電話を切った。
孤独感と絶望感が、里香を襲う。
打ちのめされたように、受話器を握り締めたまま、里香の目に涙があふれていた。

( 2006/8/21 )

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