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Ⅱ.誘い

仕事から戻った自分の部屋は、暗く、寒々しい。
昼間の熱気で、ムッとしているはずなのに、里香は、寒気を感じた。
煙草を吸いながら、長かった今日一日のことを考えている。
「どうして、敦史は誘ったの?」
「どうして、断わらなったの?」
「どうして……?」
頭の中を駆け巡る。
土曜日と言えば、明後日だ。
敦史の一方的な誘いに、戸惑う。
一度別れた二人に、ヨリが戻るとは、思えない。
実際、多くのカップルで、ヨリを戻した後に来る別れが、最初よりもすざましいのを見てきている。
大きな傷を残して。
敦史が、よりを戻したいと思っているなんて、有り得ない。
里香は確信している。
「終わりにしよう」
そう言い出したのは、敦史のほうだった。
転勤先で、新しい彼女が出来た。
それが理由だった。
「私じゃだめなの?」
敦史が離れていくことなど、思ってもいない里香にとって、突然の別れ話は、大きなショックだった。
お互いのことなど干渉しない、セックスフレンドから始まった関係だったが、割り切れない想いには、気がついている。
敦史も同じはずだ。
言葉に出すことはなかったが、愛されていると、信じて疑わなかった。
里香にとって、敦史が年下であったこと。
里香自身に離婚歴があること。
すべてが負い目となっている。
だから、セックスフレンドとしての、割り切った関係を望んだ。
仕事の関係で紹介された和志と、交際したのも、そのためだ。
和志と付き合い始めたことを、敦史に話したときも、気にしている様子を見せず、二人の関係は、このまま続くものだと、里香は信じていた。
それでも、別れは突然やって来た。
冷静を装いつつ、里香には、その別れ話を受け入れるしか術がなかった。
あれから、1年。
終わったことだと、言い聞かせながら過ごした1年。
今でも、敦史の夢を見ては、想いを募らしている。
この偶然は残酷だ、と里香は思った。
今度の誘いは、敦史の気まぐれに違いない。
里香は、自分にそう言い聞かせる。
自分の中に芽生えた「期待」に気がつかないまま、約束の日が来るまで、不安で過ごすのだった。
約束の日。
敦史は、時間どおりに迎えに来た。
あの頃と、なにも変わらない。
しかし、里香は自分の中に不自然さを感じる。
いつものようにも国道沿いのファミリーレストランで食事をする。
食事中、敦史はよくしゃべった。
仕事のこと。
プライベートなこと。
敦史との会話は、笑いが絶えない。
まるで、時間が戻ったようだった。
二人は、楽しそうな恋人同士に見えるだろう。
敦史といると、疲れた自分が癒されていくことを、里香は感じる。
里香は、この時間がずっと続けばいいと思っていた。
「出ようか」
敦史が、席を立つ。
敦史が、会計を済ませるまで、あの頃のように、外で待つ。
夜の風が心地よかった。
黙って車に乗りこみ、静かに走り出す。
敦史は、なにも話さない。
閉ざされた車の中の沈黙は、重かった。
敦史が、誘って来た理由がわからないことが、胸に引っかかる。
車が自分のマンションとは違う方向に向かっていることも、里香は気になる。
なにも言わない敦史に、確かめるのが、怖くて、うつむいた。
しばらくして、車が止った。
「まだ、時間ある?」
車は、ラブホテルの駐車場に止っている。
いつも、二人が利用していたホテル。
敦史の質問は、NOと言わせないニュアンスを含んでいる。
里香は、首を縦に振り、車から降りた。
ホテルの部屋のドアを閉めた瞬間、里香は、我に返った。
誘われるままに、ついてきたことを後悔する。
和志に対しての後ろめたさもあった。
「帰らなくちゃ」
敦史が、無言のまま、里香の身体を引き寄せる。
まるで、里香自身が敦史を求めていることを確信しているかのように、求めて来る。
敦史が求めてくることに逆らえない。
表面的には、拒んでみるものの、里香の身体は、正直に反応する。
敦史の腕の中で、愛されていると、感じる。
錯覚だと気付かぬまま、里香は、その快楽に身をまかせた。
翌朝、里香は敦史より先に目覚めた。
敦史の寝顔を見ながら、昨夜のことが、夢であればと思った。
しかし、体に残る余韻が、現実であることを知らせる。
敦史は、今までのように求めてきた。
拒んで拒みきれないこともなかったはず。
むしろ、里香自身の「女」が、激しく、敦史を求めていた。
一晩中、腕の中から離さなかった敦史の真意はわからない。
理由など、どうでもいい。
里香は、自分の中の「女」が満ちていったことに浸った。
目を覚ました敦史は、なにも変わらない。
シャワーを浴び、着替えを済まし、敦史の後を歩いていく。
そして、何もなかったように別れる。
走り去っていく敦史の車が小さくなるように、里香は、敦史が遠い存在になったことを感じた。

( 2006/7/11 )

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