「また、同じ夢を見た」
毎朝、同じ夢で目がさめるようになったのは、いつからだろう。
敦史の夢で起きた朝は、目覚めが悪い。
ぼんやりとしたまま、サイドテーブルの煙草に手を伸ばした。
「もう、終わったことなのに……」
煙草に火をつけ、大きく吸い込みながら、つぶやいてみる。
目覚めきっていない身体を起こして、スーツに着替えた。
今日は、新しいクライアントとの打ち合わせだ。
いつもながら、緊張する。
まるで戦場に行くようだ。
今は、仕事のことだけを考えていよう……。
グレーのスーツに身を包み、背筋を伸ばして歩く姿は、36歳とは思えないほど、若々しい。
離婚後、小さなイベント企画会社で働く里香は、誰もが一目置く存在だった。
里香が、打ち合せに出向いた先は、都心から少し離れた小さな雑居ビルだった。
エレベーターに乗り込んだ時、背後から、男が声を掛ける。
「すいません。 これから、点検なんで、階段を使ってください」
言葉こそ丁寧だったが、その言い方は、ふてぶてしいさが感じられる。
里香は、聞こえないふりをして、5階のボタンを押す。
「こっちも仕事だから」
閉りかけたドアに手をかけ、男は譲らない。
「階段を使ったほうが、ダイエットになるんじゃない?」
男の語調には、皮肉がこもっている。
睨みつけようと、顔を上げた瞬間、思わず、息を飲みこんだ。
「敦史…… どうして、ココに……」
それ以上は、言葉にならなかった。
男がエレベーターに乗り込みと、ゆっくりとドアが閉まる。
下をむいたまま、重い空気の中に里香は、取り残されていた。
「冷静を装わなくっちゃ。 動揺に気付かれないようにしなくちゃ」
里香は、自分に言い聞かせる。
胸が苦しい。
「何しているんだよ」
後姿のまま、敦史が口を開く。
敦史の声が遠くに聞こえる。
エレベーターの動きが遅く思えた。
まるで、時間が止まっているかのように。
「仕事の打ち合わせ」
下を向いて、その一言を言うのがやっとだった。
また、長い沈黙が続く。
やっと、5階に着くころ、昼飯でも、食べないか?と、敦史は、無邪気に誘ってくる。
「仕事終わったら、携帯に電話しろよ。 覚えているだろう? 番号」
覚えている。
忘れたいにも、忘れられなくて、今でも覚えている。
あの番号をまたダイヤルしろと言うの……。
心で叫びながら、転げるように、エレベーターを降りた。
敦史の視線を背中に感じながら、それを振りきるように、歩き始めた。
打合せの間も、里香の心は、落ちつかなかった。
敦史との再会が、こんな形で来るなんて。
驚きと動揺を隠せない。
今更、食事なんて……。
何を話せばいいの?
断わればよかったかな?
ううん、断われば、変に思われる…。
再会は、うれしい反面、不安も大きい。
無事に、打合せを終えて、里香は、大きくため息をつく。
エレベーターは、まだ、動いてはいなかった。
動揺と不安が、ふたたび里香を包む。
敦史は、まだ、仕事中なんだろう。
このまま、帰ろう。
断わるつもりで、携帯のダイヤルを押す。
指先がかすかに震えていた。
『そこにいろよ』
敦史は、素っ気無い口調で、電話を切る。
その口調が、里香の不安を更に大きくした。
敦史が来るまで、わずかな時間さえが、長く感じられ、その間、「これっきりだから」と、自分に言い聞かせた。
近くの喫茶店で、テーブルを挟んで向かい合う。
作業服姿の敦史を見るのは、初めてだった。
普段着の時より、ずっと、大人っぽく見える。
「ひさしぶりね。 元気だった?」
煙草を持つ手が、震えていた。
それに、気が付かれぬよう、明るく口を開いた。
「びっくりしたわ。 こんなところで逢うなんて」
沈黙の時が怖くて、一方的な話す。
「作業服姿のあなたは、初めてね。 よく、似合っているわ」
会話が途切れたら、動揺に気が付かれそうで、里香は、よくしゃべった。
何を聞いても、敦史は、軽く返事をするだけで、程なく話すこともなくなった。
沈黙の中、敦史が、ゆっくりと、口を開いた。
「土曜日、逢えないか?」
敦史から、視線をそらし、里香は、慌ただしく席を立つ。
「七時にいつものところに迎えに行く。 着いたら、電話するから」
敦史の言葉を残したまま、店を出た。
駅に向かう道は、もう、秋だと言うのに、日差しがまぶしい。
里香は、軽いめまいを覚えた。