<内容>
アメリカのニューイングランドにて巨大霊園を経営するバイリーコーン一族。そのバイリーコーン家の血をひく日本人との混血青年グリンは、その霊園で助手として働くこととなる。世間では死体が次々とよみがえるという事件が起きている中、バイリーコーン家でもさまざまな騒動が起こることとなる。遺産相続の問題や、何者かから送られてくる脅迫状、さらには連続殺人事件と、殺害された遺体のよみがえりなどなど。そうした事件のなか、グリンはその騒動に巻き込まれて死んでしまい、そしてよみがえることとなる。生ける屍となったグリンはハース博士の力を借りて、事件の真相を解き明かそうとするのであったが・・・・・・
<感想>
久々の再読、というか初読以来の再読。かなり分厚い作品ゆえに、なかなか再読することができなかったのだが、ようやく読むことができた。実際に読んでみると、やっぱり長いなぁ・・・・・・と。
ただ、長い割には“死”そのものについてや、“死”にまつわる話と、テーマが統一されているせいか、そんなにだれるという気はしなかった。それでも、事件らしきものが起こるのは、中盤になってからなので、もう少しなんとかならなかったのかと。また、その中盤からも、まだまだ残されたページ数は多く、伏線やら、起きた事象やらを記憶しておくことも大変であった。
本書は山口氏のデビュー作であるが、それなりに自分の思いなり、主張なりを、一冊の本に込めるということは成功したのではなかろうか。一つのテーマでここまでの長大な作品を書き上げたことは、それだけでも称賛に値すること。しかも“死者が生き返る”という設定のミステリを、1989年という時代に書き上げたということにも感嘆させられてしまう。
ミステリ作品としても、それなりによくできていたと思われるのだが、それについては、ここまで長大な作品を書き上げれば、もうミステリ的にはどうでもいいかなと・・・・・・言ってしまうと身も蓋もないか。でも正直なところそんな感じ。しっかりと端正に作られたミステリではあるが、世界観のインパクトに比べれば、ミステリ的な部分でさえも、些細なことと捉えられてしまう。
<内容>
奇妙な童謡どおりに探偵ばかり次々襲う殺人鬼“猫”による残忍で狡猾な事件。密室の中には喉を切られた偉大な探偵皇と記憶喪失の男。血文字の伝言は何を語る? 現場から消えた謎の凶器とは。ミッシング・リンクの連続殺人、アリバイ崩し、探偵士とパンク刑事たちによる推理合戦。
<感想>
もともとはゲームブックとして出版されたものを小説として書き直した作品。作中のところどころにゲームブックのなごりの部分が残されているのは愛嬌と言ったところか。
話を読み進めていくと、各外国探偵小説やそれらに登場する探偵たちのパロディ小説にも思える。事件自体は「ユダの窓」をほうふつさせるし、出てくる探偵たちもどこかで見たことのあるような探偵たちばかり。しかしながらただ単にあなどって話を読み進めていくと作者に背負い投げをくらわされてしまう。いやはや、ちゃんとそれなりの仕掛けはなされていたのか。
今回この作品は講談社ノベルス版で始めて読むことになったのだが、著者にしてみればこれが三作目の作品である。しかし、この作品時系列どおりに読むよりは、まさに今読んだからこそ楽しめたと感じる。山口氏の作品を何作か読んでからのほうが楽しめるであろうし、10年前であればこの作品もあまり評価されなかったんだろうなぁと考えてしまう。
<内容>
パンク族の陰鬱なミネルヴァ神とも言うべきキッド・ピストルズと悪戯好きのニンフ、ピンク・ベラドンナが関わった四つの事件記録をまとめた第一短篇集。そのどれにも英国の古い伝承童謡<マザーグース>の一節が、あたかもライトモティーフの如く不気味に谺していた! マザーグース・ミステリ連作シリーズ第一弾。ここに本格ミステリの精髄あり。
<内容>
「神なき塔」
「ノアの最後の航海」
「永劫の庭」
<感想>
山口雅也は世界を創造する。パラレルワールドの英国という舞台を創り、そして作品の中でそれぞれ反重力、箱舟、庭園という舞台を創り、その舞台にふさわしい殺人劇を演出する。
神亡き塔では反重力という理論によって舞台を構成し、読者を反重力による殺人か?と惑わせるが、そこに明快な推理が隠されており、しかも反重力の世界はあくまでも壊さない、という舞台を演出した。密室のトリックはどうかとも思えるが、そのとある勘違いによる不可能犯罪の構成には感心した。
また箱舟の中では博士とノアの論争による・・・・・・という推理には気に入らないと思っていたら、ラストには真犯人が暴かれ、ノアの妄想にも納得のいくものだった。(ただし自分には箱舟と遺伝というのがうまく結びつかなかったのだが)
そして庭園では犯罪そのものには感じ入れなかったのだが、庭園にこめられた思いに感じ入れたような気がする。というより庭園に感じ入っていたキッドにある種の感動を覚えてしまった。
反重力、箱舟、庭園という三つの世界が創られ、それらの世界にはその三つそれぞれにとりつかれた者たちがいる。キッドは彼らの行動を狂気で片付けずに、狂気には狂気なりの論理があるとして、それらを理解しようとする。そしてその中から彼らの思い、行動、動機を読み取る。それらの融合は実に見事というしかない。世界があって納得のいく結論があるからこそ、序盤のそれぞれの反重力の説明だとか庭園の話なども気にはならない。見事に無駄のないすばらしい世界を築きあげているといえよう。
<内容>
DISC-1
「密室症候群」
「禍なるかな、いま笑う死者よ」
「いいニュース、悪いニュース」
「音のかたち」
「解決ドミノ倒し」
DISC-2
「あなたが目撃者です」
「私が犯人だ」
「蒐集の鬼」
「<世界劇場>の鼓動」
「不在のお茶会」
<感想>
読むのはもう3回目か4回目くらい。しかし、いくら読んでも内容を覚えていられない。今回改めて読んでわかったのは、“ミステリーズ”と言いつつ、厳密にはミステリ的な内容の作品集ではないこと。あくまでもミステリっぽい作品集。ミステリそのものを描いているわけではないのに、何故かそれっぽく見えるところが大きな特徴。その当時は、こういった作品集などはなかったので、極めて斬新に捉えられたようである。また、登場人物が全て外国人というところもポイントになるかもしれない。
「密室症候群」
“密室”について精神的な面から検証していく作品と思いきや、メタ構造の小説が展開されてゆくことに。密室専門の作家、精神分析医、メタ小説といったものが入り乱れ、予想だにしない展開が待ち受けている。メタ構造というか、入れ子細工のような感じの小説。
「禍なるかな、いま笑う死者よ」
ブラックジョークをひとつの短編にしたかのような内容。敏腕プロデューサーと売れないお笑い芸人の話。笑いたくないのに笑わねばならなく、しかも笑ってはならないという四面楚歌の状況を強いられる。確かにこの作品のような死体発見現場に遭遇すれば、とまどうこと間違いなし。
「いいニュース、悪いニュース」
スワッピングの話。いや、奥の深いスワッピングの話である。単なる痴情のもつれによる犯行としては終わらせてくれない展開が待ち受ける。
「音のかたち」
音響マニアの行き着く先・・・・・・それが個人的な問題に終わらずに、とんでもない過去の亡霊をよみがえらせてしまうところが恐ろしい。
「解決ドミノ倒し」
一番ミステリっぽい作品であるにもかかわらず、実はアンチミステリというか、パロディ風の作品。警部が閉ざされた山荘のなかで事件の真相を追求しようとするのだが、新たな事実がどんどん湧いてきて、どんでん返しというか、ドミノ倒しのように話が展開されてゆく。ヒッチコックがワンカットで撮ったという作品を意識したらしく、一場面で全てが語られてゆく。舞台化とかされていてもおかしくないような作品。
「あなたが目撃者です」
未解決事件の情報を視聴者に呼びかける番組。その番組を見ていた妻が、夫が事件に関与していることを疑い始め・・・・・・というもの。軽めの一発ネタ風の作品ではあるが、これはこれでそれなりにミステリしているといえなくもない。
「私が犯人だ」
犯行を自供しても、周囲の人々が一向に相手をしてくれないという様相を描いた作品。エドガー・アラン・ポーの作品がモチーフとされ、現場もポーの世界を表したようなものとなっている。終わり方は、まるで笑い話であるかのような・・・・・・
「蒐集の鬼」
希少なレコード集めに奔走する男の珍事を描いた作品。何かを蒐集したことのある人は、結構共感できる内容であるかと思われる。最後の一幕というか、悲劇がなんとも・・・・・・
「<世界劇場>の鼓動」
世界の終りの一幕を四重奏で表したかのような作品。世界の終りを描いたのか、はたまた個人的な人物の終りを描いたのか。
「不在のお茶会」
植物学者と精神科医と作家が不条理な形で集められ、その三人がそれぞれアリスと名付けた人物にかかわる体験談を披露するというもの。それぞれの三つに関わる物語を合わせ、何かを見出すような試みがなされつつ、実は全く別の思わぬものを表層に浮かび上がらせてゆく。ぶっちゃけ、それっぽい雰囲気を出した話だ、などと言ってしまうと乱暴すぎるか。
<内容>
第一話 「微笑みと死と」
第二話 「侘の密室」
第三話 「不思議の国のアリンス」
終 幕 「南無観世音菩薩」
<感想>
山口雅也氏の初期の作品は、何度でも読み返したいと思っているところだが、なかなか再読の機会がなかったこの「日本殺人事件」。それが昨年、双葉文庫版で出たのを気にようやく再読する事ができた。これでようやく2度目のジャパネスク・ミステリの堪能とあいなる。
この作品を最初に読んだのは、単行本発売当時であるから、もう15年くらい前であるわけで、その時の私自身の若さでは、この内容を堪能できたとは決して言えなかった。今、こうして歳月を経たことによってようやく自身がこのような熟練した内容の作品に追いついてきたという気がする。
この作品の舞台となっているのは、外国人の思い込みによる間違った日本をそのままの形で想像した世界。そうした世界のなかで不可思議な事件が起き、外国人探偵トーキョー・サムが謎を解いてゆく。
本書での事件は、まさにこの舞台のために創りあげられたものとなっており、創られた舞台のなかでの理にのっとった解釈で謎が解かれてゆく。その、不思議な日本の中での、不思議な日本のための、不思議な事件というものが、まさに“侘び寂び”となって表れている。細部まで事細かに描かれた胡散臭くもある不思議な日本の情景に、ことさら目を惹かれてしまうのである。
ただ、初読のときに、本書に対してあまり良い印象を持っていなかったのは、第二話の「侘の密室」の解決のせいだと思われる。「微笑みと死と」と「不思議の国のアリンス」については、それぞれよく出来た内容であると感じられた。ただ、「侘の密室」に関しては、いくら不思議の世界の中で起きたこととはいえ、どうしてミステリ作品として忠実に仕上げてもらえなかったのだろうというように感じられた。
全体的に完成度の高い作品であるがゆえに、そこだけが惜しまれる。とはいえ、それだけで物語全てが損なわれるというようなことはなく、パラレルワールドもののミステリとしては、不朽の名作のひとつであるということは確かである。
<内容>
「キッド・ピストルズの慢心」−キッド最初の事件−
「靴の中の死体」−クリスマスの密室−
「さらわれた幽霊」
「執事の血」
「ピンク・ベラドンナの改心」−ボンデージ殺人事件−
<内容>
「巨人の国のガリヴァー」
探偵事務所を開設したトーキョー・サム。最初の依頼人は力士。その力士が言うには、かつて取組中に誤って命を落としてしまった力士の亡霊が出てきたと。巷では“ボン”の真っ最中。本当に力士の霊が甦ったのか? 死体をサイドカーに積んだフクスケ、消えた力士の死体、鳥居にぶら下げられた力士の死体。サムが解き明かす真相とは!?
「実在の船」
探偵事務所に客が来ないことを悩むサム。そんな折、修行僧と出会い禅についての話を聞く。その後、サムのもとを訪ねてきた修行僧から一冊のノートを渡される。そのノートには、外国からきた男が禅の修行をしている様子が描かれていたのだが・・・・・・
<感想>
不思議の国、ニホンでおきた犯罪を描く「日本殺人事件」の続編。
「巨人の国のガリヴァー」では、ボン(盆)の奇妙な風習と力士世界の複雑な背景のなかで起こる犯罪が描かれる。コマイヌから見出される真相はなかなかのもの。ごちゃごちゃに思えた全体像が、真相が明かされることにより、すっきりとした様相となるのは鮮やか。虚実入り乱れる世界観がうまく生かされた内容。
「実在の船」のほうは、前者に比べて設定があまり生かされていないように思われた。精神世界や禅の説明、さらには物理学が出てきたりと、そういった説明ばかりでストーリーがなさすぎる。だいたい結末も読めてしまうので、その過程の説明を延々と聞かされるのもやや辛い。設定はともかく、もう少し違ったストーリー立てにしてもらいたかったところ。
<内容>
Ⅰ 蒐集家たち
1 孤独の島の島
2 モルグ氏の素晴らしきクリスマス・イヴ
3 《次号につづく》
Ⅱ 映画狂たち
4 女優志願
5 エド・ウッドの主題による変奏曲
Ⅲ 再び蒐集家たち
6 割れた卵のような
7 人形の館の館
<感想>
感想を書いていなかったので再読。内容的にも位置づけ的にもまさに「ミステリーズ」と「モンスターズ」の中間にある内容と言ってよいであろう。「ミステリーズ」はある程度ミステリよりという感じがしたが、この作品はなんとなくホラーよりというような印象が強い。そのへんは書き手側の心境の変遷によるものなのであろうか。
「孤独の島の島」は、登場人物が日本人であるところが他の作品や「ミステリーズ」とは異なるテイストと捉えられる。島で漂流物を蒐集する孤独な女の話であるが、やがてミステリ的な色合いの話に収束する。
「モルグ氏の素晴らしきクリスマス・イヴ」は、笑えないコメディというか、なんとも悲惨な・・・・・・。死体を蒐集する気などない男が、一世一代のクリスマスイヴの日に、とんでもない蒐集をやらかすこととなってしまう。これを読めば誰もがこんな人生は嫌だ! と叫びたくなるであろう。
「《次号につづく》」は、パルプマガジンの作家とパルプマガジンの読者が接近することにより、奇怪な物語が現実のものとなってしまう様子が描かれている。何気に漫画や小説に傾倒する少年が普通に見る夢という感じもする物語。
「女優志願」は、女優を夢みるメイドと、かつて女優を夢みたスターとの人生が交錯する様子を描いた作品。この作品はなんともホラーチック。まさにモダンホラーの世界というようにも思える。
「エド・ウッドの主題による変奏曲」は、出来の悪い映画を見せられる男たちに徐々にカタストロフィが近づいてくるという内容の作品。ここまでくるとホラーを通り越してブラックコメディのような感触。
「割れた卵のような」は、これまた日本人が登場人物となる作品。謎の連続幼児転落事件を描いた作品。これはオチがわかりやす過ぎるのではないかなと。ただ、再読だから覚えているというだけのことかもしれないが。
「人形の館の館」は、ミニチュア・ドールハウス蒐集家の行く末を描いた作品。普通に蒐集家たちの最悪な結末を描いたかのような内容で、やけに哀愁が漂う。
<内容>
縁談が持ち込まれる度に、事件が発生するという奇妙なる星の下に生まれた薄幸の名探偵・垂里冴子。彼女が四件のお見合いと事件に挑戦。
「湯煙のごとき事件」
「薫は香を以て」
「動く七副神」
「靴男と象の靴」
<内容>
推理作家・火渡雅は一方の目の視力を失ってしまうことに。残された目だけで作家活動を続けようとはするものの、以前との視覚の違いが彼を苦しめ苛みつづける。そんな悩める火渡は次から次へと奇妙な事件に遭遇することになる。彼が出会った人物が次から次へと死んでいくのだ。残された骰子の謎、見え隠れする「奇偶」教団。すべては単なる偶然なのだろうか・・・・・・
『メフィスト』連載に大幅加筆訂正して単行本化。
<感想>
内容から読み取ることができるのは、“偶然によって起こる事柄もある”、“偶然にはそれぞれ意味がある”、“偶然という事象は観測することによって成り立つ”、“観測するにことによって・・・・・・”とか何とかかんとかと。考えてまとめようと思っても結局ループになってしまうし、また作中における問答自体もループしているにすぎないようにも思える。
結局は著者自身がいろいろな事象を考え、それがまた元に戻ってしまいというのを繰り返していくうちに、様々な要素が付け加えられていくことによって、そのループ事態が段々と肥大化していく様子が物語の中に表れているように感じられた。しかし、それを物語としてまたはミステリとして見たときにそれらは収束しているとはいいがたい。正直に言えばミステリとしては不満が残る。
ただし、今回のこの作品から感じられるのは、“これは著者自身のための作品”もしくはこれは“著者がこれから作家として歩んでいくための必然の一冊”なのではないのだろうか。周知のように山口氏はこの物語の主人公と同じく片目の視力を失った。その結果の思いというのがこの小説に込められている。作家として“なぜ自分が”という思いや“これから作家として”という感情を書き綴ったものがこういう作品として表されたのだろう。
次回作以降がどういうものが書かれるのかは検討がつかないが、この作品を一つの道標として作家として新たなる作品を綴っていってもらいたい。
<内容>
「ぬいのファミリー」 (ぬいぐるみ)
「蛇と梯子」 (ボード・ゲーム)
「黄昏時に鬼たちは」 (隠れ鬼)
「ゲームの終わり/始まり」 (テレビ・ゲーム)
<感想>
ゲームを題材にした短編を集めた作品集。内容はミステリーというよりはホラー系に近い作品ではないかと思う。既出の山口氏の作品の中では「マニアックス」に近い感覚ではないだろうか。また、本書はゲームを通しながら家族というものをも描いた作品でもある。
「ぬいのファミリー」は内容も「マニアックス」的な題材となっている。ぬいぐるみ集めが趣味であることを家族に隠している夫の話であるが、そこに家族崩壊をからめて、その男と家族の行く末が描かれている。
「蛇と梯子」はボード・ゲームとこれもまた一つの家族の様相が描かれている。ここで用いられるボード・ゲームがまたブラックなもので面白い。ヒンドゥー教、回教ゲームとでもいうべきか。しかし、こんなボード・ゲームは絶対やりたくないと心から思えるゲームである。
「黄昏時に鬼たちは」は本書の中では唯一のミステリー系短編といってもよいのではないだろうか。引きこもりの人たちが社会復帰するための一環として大学サークルにて行われている“隠れ鬼”ゲーム。しかし、そのゲームの最中に参加者が死体となって発見されるというもの。これは意表をつかれた感じで、突然のミステリー的な内容に驚かされた作品。既出のアイディアではあるのだが、それが用いられているとは全く予想をしていなかった。これは“引きこもり”というものに対する盲点であったのかもしれない・・・とうのは大げさか。
「ゲームの終わり/始まり」はテレビ・ゲームというよりは、ヴァーチャル・リアリティを題材にしたというほうがしっくり来るかもしれない。とはいえ、この内容であればだいたいの予想はついてしまうので目新しさはなかったかなという感想。
と、最後まで読み終えてみれば家族とうものが描かれているわりには、何か救いようのない話ばかりだったなと感じてしまう。まぁ、そんなに“家族”とかそういった点に重きをおかずに、ある種のホラー小説と考えて気楽に読むのがよい本なのであろう。
ただ、どの短編も読みやすく、あっという間に読み終えてしまったのも事実。お手軽に読める本であることは間違いない。
<内容>
中学校教師の祭戸は学院長によってネットワーク犯罪から子ども達を護る“サイバー・エンジェル”の仕事を命じられる。それほどインターネットに詳しくない祭戸であったが、チャットを体験するうちに、いつしか自分自身がそのチャットにはまっていってしまう。そしてある日、いつものようにチャットを行っていたとき、祭戸は幼女を狙う犯罪者と思われる人物の存在に気づき始めたのであるが・・・・・・
<感想>
横書きというパソコンのチャットそのものを意識した構成となっている本書。ページは少なく、空白部も多いのですぐに読み終えることができた。一応は長編なのだろうが、100ページくらいの中編を読んだという感じであった。
その内容はといえば、案外普通の内容と感じられた。チャットというものを扱ってはいるが、今更という気がしなくもない。チャット自体はそれほど古いものではないのだが、似たようなもので昔からパソコン通信というものがあったためか目新しい話とは考えられなかった。
ただ、よくよく考えてみればチャットそのものを扱っているミステリーというものは少ないのかもしれないが、インターネットやバーチャルな世界を扱ったミステリーというものは今では珍しくない。よって、本書もそういった作品群のひとつでしかないという位置付けになってしまうだろう。
本書では登場人物が少なく、しかもその中で世界を創ってしまっているがゆえに、結末も安易なものとなってしまっている。しかし、せっかくインターネットという世界を使っているのだから、なにも小さい世界に収束せずにもっと大きく世界を使ってみてもよかったのではないだろうか。知識として感心した点はあるものの、ミステリーとしては平凡な作品。
<内容>
小学6年生の陽太は作文に吸血鬼になりたいと書いてしまい、先生から呼び出され、カウンセリングを受ける事になってしまう。そんな陽太の家には居候しているちょっとオタクがかった叔父がおり、その叔父の協力もあってカウンセリングはなんとか乗り切ることができた。その叔父とともに、陽太は夏休みの自由研究のテーマとして大改築される前の東京駅を調べることになった。叔父の友人が東京駅で働いているという事で、ふたりは東京駅のホテルに泊まり、さまざまなところを案内してもらう。そんな平凡な自由研究の調査であったはずが、なんと二人は殺人事件に巻き込まれることになる! しかも密室殺人事件に!!
<感想>
これは惜しい作品であった。非常に惜しまれる作品である。何が惜しいのかといえば、作品の半分くらいまでを読んだときは、これはミステリー・ランド史上一番の作品ではないかと思われたからである。最初の導入から東京駅へと訪れて、自由研究の調査をしていくところまで、実に自然な展開で話が進められてゆく。そこに事件が起きる事も、一小学生が事件に関わってゆくという事象が実に自然な展開で描かれている。この物語の運び方は今までのミステリー・ランドの作品でも随一といえよう。
しかし、話の後半になると作品の内容というか、印象というか、が全くがらりと変わってしまうのである。これはこれで良い展開だといえるのかもしれない。ただ、私のとっては全く違う作品を二つ貼り付けたようにしか感じられなかったのである。できれば、前半は前半の物語でひとつの作品、後半は後半でひとつの作品と分けてもらいたかったところ。
まぁ、当然著者も後半の展開を踏まえて無理がないようにとさまざまな伏線を張っているというのはわかるのだが、できれば普通の一小学生の冒険という流れで描き続けてもらいたかった。と、そんなわけで私自身にとっては非常に惜しい作品であったと言わざるを得ない。
<内容>
「もう一人の私がもう一人」
「半熟卵にしてくれと探偵は言った」
「死人の車」
「Jazzy」
「箱の中の中」
「モンスターズ」
<感想>
「ミステリーズ」「マニアクッス」に続いての第三弾のタイトルは「モンスターズ」。どのような内容の短編が集められているのかと楽しみにしていたのだが、著者いわく、この作品集というのはノン・シリーズの短編を集めたものとのこと。その言葉通り、雑多な作品がかき集められた作品集という印象であった。前2作に関しては、もう少し統一性があったような気がしたので、今作ももう少しテーマを絞ってもらえたらと感じたところである。
例えば「箱の中の中」という作品は完全に「マニアックス」に入れるべき内容。箱のような家のなかで芸術品としての箱をつくる男の物語。その男と作家の男とで交わされる芸術論が面白く感じられた作品。
また、一番ミステリ小説っぽかった「もう一人の私がもう一人」がこれらの作品のなかでは一番好みであった。ドッペルゲンガーに会った男が、そのドッペルゲンガーと向き合いつつ、自分の人生を検証していくような内容になっている。
他には、富豪の娘の行方を捜すというハードボイルド調ながら、徐々に話が怪しげな方向へと向かってゆく「半熟卵にしてくれと探偵は言った」、タクシーの中で交わされる都市伝説の話を描いた「死人の車」、山口氏の処女小説らしい「Jazzy」といったさまざまな作品が掲載されている。
そして最後に本書の目玉というべき「モンスターズ」という作品。これは怪奇小説のようなファンタジー小説のような一風変わった小説となっている。第二次世界大戦中のナチス・ドイツを背景に吸血鬼などのモンスターを作り戦線に投入しようという実験がなされているという話。内容は全く異なるものの、最近読んだプリーストの「双生児」がふと頭の片隅をよぎった。
<内容>
「誰が駒鳥を殺そうが」
「アリバイの泡」
「教祖と七人の女房と七袋の中の猫」
「鼠が耳をすます時」
「超子供たちの安息日」
<感想>
本当に久々となる“キッド・ピストルズ”シリーズ。それぞれの作品と作品との間にもかなり期間があけられているものもあるようで、全部が全部新しい作品というわけでもないのだが、とりあえず復活してくれただけでも充分にうれしいことといえよう。
ただし、内容においては昔のように斬新なミステリが展開されているというような作品はない。とはいえ、それほど奇抜なトリックなどを用いているわけでもなく、むしろオーソドックスなミステリであるにもかかわらず、ある種の奇抜さを感じてしまうのは、シリーズ独自の背景と物語の創り方によるものなのであろう。よって、本書も充分にミステリを堪能する事の出来る作品集といえるものである。
「誰が駒鳥を殺そうが」はキッドのシリーズというよりは、むしろ「日本殺人事件」につながるような内容の作品。“弓道”の心得を用いての不可能犯罪とアリバイトリックが示される作品。
「アリバイの泡」は海中で起きた事件を、容疑者の証言の矛盾点からキッドが犯行を暴くという内容。
「教祖と七人の女房と七袋の中の猫」は不可能犯罪を用いているのだが、その解答からして、あまりミステリを重視した作品とは感じられなかった。ただし、物語としては充分気が利いたものとなっている。
「鼠が耳をすます時」は盲目のバンドマンたちの演奏中に起きた奇怪な殺人事件の謎をキッドが暴くという内容。なかなか奇をてらった作品であり、充分に読み応えのあるミステリに仕上がっている。もう少し、ページ数が多くても良かったくらい。
「超子供たちの安息日」は超能力者の子供達が引き起こす事件を描いた作品。超能力が存在するというところから始まる、山口氏らしい作品と言えるであろう。また、ミステリとしての内容も充分に凝ったものとなっていて、本書中では一番の出来と感じられた。これは、長編くらいにしてもよいほどの内容が詰まった作品である。
<内容>
「見合い相手は水も滴る○×△?」
「神は寝ている猿」
<感想>
久々の垂里冴子シリーズの新作で、3作目となる本書。しかも、「神は寝ている猿」では「日本殺人事件」の主人公・私立探偵トーキョー・サムまでが登場するという豪華ラインナップ。ただ、見るべき点はそのくらいしかないような気も・・・・・・
ここ最近、山口氏が過去のシリーズ作品の新作を描いている。しかし、どれも昔の作品と比べると物足りなく、とりあえず続けてくれたからいいや、くらいの感想しか思い浮かばない。さらにいえば、この垂里冴子のシリーズは、キッド・ピストルズなどのシリーズと比べると元から地味なミステリ作品という印象。ゆえに、この作品も普通のミステリ小説という印象のみにとどまってしまう。
「見合い相手は水も滴る○×△?」では、水族館で宝石がなくなるという単純な事件に終わりそうながらも、一応工夫を凝らし、読者の予想を超えたかのように思えたのだが、最終的には結局普通に終わってしまったような。
「神は寝ている猿」では、伏線を用意して、犯人当てができるという形態はとられているものの、基本的にはダイイング・メッセージもの。しかも、そのダイイング・メッセージも凝っているというよりは、微妙と思える。
というわけで、まぁ、普通のミステリ作品というくらいしか言いようがないのだが、もうそろそろ冴子嬢のお見合いも成功させてあげてもよいのではないかと思われるのだがどうだろう。
<内容>
「だらしない男の密室」
「《革服の男》が多すぎる」
「三人の災厄の息子の冒険」
<感想>
なんか久々に山口氏の作品で良い本格ミステリを味わえたという気がした。かつて書かれたキッド・ピストルズのシリーズや短編集「ミステリーズ」に近づくような内容と言ってもよいのではなかろうか。
「だらしない男の密室」はバラバラ死体のある閉ざされた部屋でひとりの男が目を覚ます。しかし、男は殺人を犯した覚えはない。するとこの密室の状況で犯人はどのようにして犯行に及んだのか?
被害者の生前の奇行の謎を解き明かし、そこからさらにもう一歩進んで犯人に迫るという内容。ネタとしてはよくミステリ作品に用いられているものなのであるが、それをうまく使用している。
「《革服の男》が多すぎる」は“レーザーマン”と呼ばれて猟奇殺人を犯した者がかつて存在した。現在その者は警察につかまり刑務所に収容されている。しかし、それをなぞらえるかのような事件が起きることに。不可解な状況下のなか、キッド・ピストルズらは事件を調査することに。
霧の中で、まさに霧に迷えるような出来事が起こる。事件かどうかあいまいな状況のなかで本当のレーザーマンをなぞらえたかのような事件が起きる。この展開が絶妙とも言えよう。また、話の途中途中に挿入される事件の犯人らしきものの場面も物語の奇怪さに拍車をかけている。導入・展開・事件・真相へと構成が実にうまく組み立てられた作品である。
「三人の災厄の息子の冒険」は見覚えのない建物のなかでそれぞれ職業の異なる三人の男が目を覚ます。その三人の男は初対面ながらも、まるで三つ子のように顔がそっくりであった。彼らはそこで奇怪な事象に遭遇することに。
この作品のみは他の作品とは異なり、かなり毛色の変わった作品。犯人探しではなく、いったい何が起こっているのかがわからないという奇怪な建物のなかでの奇妙な状況。本格ミステリらしくないようでありながらも、最近のミステリらしい作品であるとも言えよう。
と、三つの作品が収められているのであるが、なんとなくそれぞれがモチーフとなるミステリ映画、もしくはホラー映画があるような気がする。それらのモチーフというかネタをうまくミステリ風味に味付けして、こうした作品として完成させるのは見事と言えよう。
近年、軽めの短編作品を書いているというイメージが先行して、今回もあまり期待していなかったのだが、まだまだミステリ作家として枯れていないようである。今後もまだまだ代表作といえるような作品を書いてくれるのではないかと期待したい。
<内容>
2001年、あの有名な「ガリバー旅行記」の続編が発見された! その内容は日本にたどり着いたガリバーはサムライの狩場蟲斎と邂逅し、彼らは不死の薬を巡る航海へと出発することとなる。その航海にて彼らを“最悪”とも言える苦難の冒険の数々が待ち受けていた!!
<感想>
山口氏が以前書いた「日本殺人事件」を思い起こさせるような作風で書き綴られた作品となっており、「ガリバー旅行記」でお馴染みのガリバーを主人公としてどのようなミステリを見せてくれるかと期待したのだが、読んでみると・・・・・・ただの物語であった。
ミステリらしいところは、ほとんど無いに等しい内容。ただただ、「ガリバー旅行記」の続編を意識して描かれた作品。ゆえに決して面白いとは言い難い。単なる冒険譚であり、ひょっとすると「ガリバー旅行記」に思い入れがある人が読めば何か得るものがあるかもしれない。そうでなければ、特にこれといったところは・・・・・・。後半部分はややSF風になるものも、それもありきたりのものという感じがし、印象深いものではなかった。唯一、読んだ収穫としては、漠然とではあるが児童向けではないきちんとした「ガリバー旅行記」を読んでみたいなぁと思ったことくらいか。
<内容>
「異版 女か虎か」
「群れ」
「見知らぬカード」
「謎の連続殺人鬼リドル」
「私か分身か」
<感想>
ミステリ集・・・・・・ではなく、リドルストーリー集。ゆえに、リドルストーリーというものが好きであれば、お薦めできるし、そうでなければお薦めできないという作品。
個人的には、作品がよくできていればいるほど、きちんとした結末を欲してしまうので、非常にもどかしい作品集。
リドルストーリーの代表作と言えば「女か虎か」という作品があげられるのだが、ここに掲載されている「異版 女か虎か」は、その背景をきっちりと書くことにより物語に厚みをだした内容となっている。それゆえに、リドルストーリーならではの結末がもどかしい。
他には「見知らぬカード」が面白かった。これは、リドルストーリーにぴったりマッチしていると言ってよいであろう。
他の作品も物語としてはそれぞれよくできているのだが、やはりそこはリドルストーリーということで・・・・・・