昭和47年2月19日
夜明け前の環状七号線を、黒塗りの日産セドリック70年型が走り抜ける。
「久し振りだな、お前と現場に出るのは」
後部座席に深く身を沈めて、一倉は言った。
「安田講堂以来か…3年振りになるな」
室井は窓の外に視線を預けたまま答えた。
規則的に並んだ街灯が次から次へと後方へと流れていく。




────昭和47年
日本中が高度経済成長に狂乱していた。
その影で、日本の暗部とも呼べる動きは、なお一層狂暴化していた。

昭和44年、学生運動は暴徒と化し、東京中の大学は学生達の手によってバリケード封鎖され、ボイコットや破壊行動により、もはや学問を学ぶ場とは呼べなくなっていた。
マルクス、レーニン、毛沢東やトロツキー。共産主義者は彼等の思想に酔い、革命こそが正義と信じた。

日米安保反対闘争
世界急進同時革命・武力革命
造反有理(反抗する事には理由あり、反体制運動は正しい)

美辞麗句を並べ立てた学生達は、官僚権力の象徴である東京大学の破壊を試みた。
安田講堂を乗っ取り、バリケードを固め、「東大入試粉砕」を叫んだ。
警察は全精力を上げ封鎖解除を行った。
天から降り注ぐ火炎瓶、人の頭程ある石の塊、硫酸。
神田の町中では、東大破壊に共感した暴徒がアスファルトを引き剥がし、車を燃やし、機動隊に投石するなど、無法状態となった。
警察側は多数の負傷者を出しながら、72時間に及ぶ極左学生の不法占拠を解除した。

学園紛争は、この安田講堂事件以来急速に沈下していった。所詮は「子供の駄々」として、国民の支持を失ったのだ。
残された過激派は内ゲバを繰り返し、狂暴性を増していく。
日共(日本共産党)のソフト路線を嫌う、全学連反代々木(共産党本部が代々木にある為、反共産党はこう呼ばれる)系は5流24派へと広がっていった。




部屋中の電話が鳴り響いていた。
「連合赤軍、軽井沢に現る」
日本中の金融機関を襲い強盗を働き、警察関係者とその家族を狙った爆弾テロの犯人である連合赤軍兵士逮捕の報を受け、警察庁及び警視庁は騒然とした。しかも、残党の数名が長野県軽井沢町にある「さつき山荘」で県警機動隊と銃撃戦を繰り広げ、500メートル程離れた「あさま山荘」に人質をとって立て籠った。
警視庁警備部主席管理官である室井は、警察庁警備局付警務局監察官・佐々に呼び出された。
呼び出された先は佐々のいる警備課長室ではなく、長官室だった。
「失礼します」
ノックをしてドアを開けると、「カミソリの後藤田」と呼ばれた後藤田正晴警察庁長官、警備局長、佐々、そして「サクラ」と呼ばれる、室井にさえ一体何をしているのか分からない組織のトップとなった同期の男── 一倉正和がいた。
「室井君、君は佐々君に同行して軽井沢に行って、佐々君のフォローをしてもらう」
安田講堂事件の際上司だった佐々たっての願いだという事もあり、室井はわかりました、と一礼した。
「これが長官の指示だから、頭に叩き込んでおいてくれ」
佐々に手渡されたメモには、鉛筆で6項目からなる長官指示が記されている。

 1、人質真下雪乃は必ず救出せよ
 2、犯人は全員生け捕りにせよ
 3、身代り交換の要求には応じない
 4、火器は警察庁許可事項とする
 5、報道関係と良好な関係を保つように努めよ
 6、警察官に犠牲者を出さないよう慎重に

室井は佐々と共に、銃器の使用許可を現場の判断でさせてもらえないだろうか、射殺が駄目ならば、せめて手足を狙うのはどうか、など幾つか規制を緩めて欲しいと願い出たが、世間、とくにマスコミは過激派学生に対し同情的であった為、却下された。
昭和45年末、後に赤軍派と「連合赤軍」を名乗った京浜安保共闘の最高幹部が、上赤塚交番を襲撃した結果射殺されたことで、過激派側は最高幹部を「殉教者」扱いし、マスコミはここぞとばかりに警察側を非難した。
「仕方がない、我々は言われた事をやるのが仕事だよ」
佐々は悔しそうに呟いた。




「何故、サクラが出てくる…?いや、出て来てもおかしくはないが」
「本庁公安部の方からはちゃんと公安課長が出てくるさ。俺らには俺らの仕事がある」
一倉は投げやりに言葉を返す。
サクラと呼ばれる組織は、名目上存在しない。組織図や職員名簿にさえ、その名前が載る事はない。
あらゆる手段──合法、非合法を問わず──を使って、国内の危険分子を監視し、情報収集を行う。それがサクラの重要な任務である。
「ま、今回はお前のお守役ってことにしといてくれ」
「お守…?」
「そうだ…お前も局付も導火線短いからな」
くつくつと笑う一倉が癪に触り、室井は小さく舌打ちした。
「お前にはお前の仕事があるんだろ?私にお守なんぞいらん」
「万が一、の為さ。サクラのトップがそのままマスコミに晒される訳にはいかんだろうが」
一倉は室井と共に、「佐々のお供」という名目で現場に派遣される。警備部の一捜査員として、自らの身分を秘匿する。存在しないはずの組織が、表に出る事は許されないからだ。

暫く無言の時間が続き、その静寂を室井が破った。
「なあ一倉…お前はそれでいいのか?」
「あ?」
「サクラにいること、だ。お前が上げた功績も手柄も、誰にも評価されない。上層部の連中の株が上がるだけだ」
一倉はつまらなそうな顔をして、そのまま目蓋を閉じた。
「さあな…それより寝かせてくれ。向こう行ったら寝る暇なんてねえからな、お前も寝とけよ」
車は国道17号線を静かに走る。
「…ああ」
室井も目を閉じて、浅い眠りにつく。




雪深い、軽井沢を目指して。









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