忘れない日々 7
「恋人とはまだ続いているのかね?」
老医師がそう尋ねると、青島は小さく首を横に振って振られました、と呟いた。











自分の部屋なのに何処かよそよそしい気がする。
スーツのジャケットを床に脱ぎ捨て、そのままベッドに横たわると、不意に眠気が室井を襲う。
シーツに顔を埋めても感じるのは洗剤の微かな香りだけで、そういえばこのシーツを取り替えたのは何時の事だろうと考えた。
新内閣の発足、それに伴う臨時国会の開催。
毎日書類の作成に追われた。
新しい内閣は改革を掲げ、庁内は騒然としていた。
その中でこれはチャンスかも知れない、と秘かに思った。

───────────彼との約束を叶える

眠る事も食べる事も忘れて働いた。
早く、一刻も早く。
彼が生きているうちに。
理想郷を見せてやる。





明日は休日で、ゆっくり眠るのは本当に久し振りだ。
着替えるのも入浴するのも面倒だ、と思う。
このまま眠ってしまおう。
仕事もせず起きているのは嫌だ。
考えてしまうから。
スーツが皺になっても構うものか。
何も考えたくない。
一つ深呼吸をして意識を手放そうと目を瞑る。





















淋しい

誰もいない

隣に君がいない



淋しい





















まただ。
諦めの悪い自分が嫌になる。
目を開けてごろりと寝返りをうつ。
闇色に溶けた天井や壁やシーツや床に取り囲まれて、このまま自分も闇に溶けてしまえばいいのにと笑ってみる。










青島
君の言う通りだな
誰も愛する事なく生きていくなんて
それは死んでいる事と何も変わらない










一度思い出してしまったら、その流れは止める事が出来なくて。
「……ふっ」
この涙は何に対する涙なのか。
青島が側にいない淋しさから来るものなのか。
青島にもう二度と会えない絶望から来るものなのか。
何時からこんなに自分が弱くなったのだろうと考えて、生まれてからずっと弱かったんだと答が出た時には、涙の止め方を忘れていた。





















携帯電話の着信音に目を覚ますと既に日は昇っていた。
「室井です」
声が少し掠れていて、ゆうべ子供のように泣いた事を思い出す。
電話をかけて来た老医師の声は「風邪でもひいたかね?」と柔らかく笑った。
「少し話したい事があるんだがね、時間はあるだろうか?」











2枚のレントゲンフィルムを室井に示しながら、老医師は説明を始めた。
「これが一ヶ月前、初診の時に撮ったものだ。こっちが昨日。見れば判ると思うがね」
室井は愕然とした。
何の為に。
何の為に私は彼の前から逃げたのだろう。
「まあいきなり恋愛感情を捨てろ、というのも無理な話だとは思うがね。感情というものはそんなに簡単には変わらんからな」
肺の中の睡蓮は成長していた。
悔しさと怒りと共に、何処かで嬉しいと思った。
そう思った自分を激しく嫌悪した。
「幸い君がいない事で睡蓮はずうっと眠ったままで、彼には息苦しさが少し増した程度にしか感じられないだろうがね」
フィルムに写った睡蓮の影は蕾を膨らませていて、その姿は絶望そのもののような気がした。
「何か…何か方法はないんでしょうか?彼を助ける方法は…」










誰でもいい。
神でも仏でも何でもいい。
誰か
誰か助けてくれ。





















テレポート駅の改札を出て、真直ぐ湾岸署まで走る。
いつ花が咲いてしまってもおかしくない。
もしかしたら、もう彼の胸を突き破って咲いているかも知れない。
そう思うと、気が狂ったように叫び出したくなる。





















生きていてくれ
もう一度、もう一度だけでいいから





















─────────私に笑いかけてくれ















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