忘れない日々 4
「勝どき署管内で起こっている連続傷害事件だけどね、うちも充分警戒するように。外回りに出た際には不審者のチェックも忘れない事。いいね」
配られた資料には被疑者の特定を急いでいると書かれていて、事件そのものは小さな事件なのにこれは少し厄介だなと青島は思った。
肺の中の睡蓮は嘘のように大人しい。
仕事の事だけを考えて、室井も側にいないから。
睡蓮は安心して暖かな肺の中で眠っているようだった。
「ナイフとかの凶器は使用してないみたいっすね」
資料に目を通している和久にそう訪ねると、和久は眼鏡をはずしてああ、と頷く。
「今はまだ、だ。こういうヤツはエスカレートしていく可能性もあるからな」
「それじゃあ次は判らないって事ですか」
真下が心配そうな声で言うと、青島が力強く答えた。
「その前に確保するんだ。これ以上罪を重ねない為にも、な」
その瞳は、正義感の強い、警察官としての在るべき姿。
























窓は真っ暗で、まだ彼は帰っていないんだと小さく息をつく。
それは安堵の息なのか、落胆の息なのか。
鍵を開けて灯りをつける。
少しずつ物が増えた部屋。
室井は官舎の部屋から毎日少しずつ荷物を運んでいる。
もともと帰って寝るだけの部屋には何もなかった。
十数着のスーツ、愛用してる整髪料、難しそうな書籍類。
増えたと言ってもその程度だが、今までひとりぼっちだったこの部屋に、もう一人の生活が融合し始めた事に、これが一緒に暮らしていく事なんだと思う。
この胸が裂けてしまうまで、あとどのくらいなんだろう。
あと何時間、室井と一緒にいられるのだろう。
きっとそんなには長くない。
限られた時間を共に過ごせたら、たとえ睡蓮の花が咲いてしまっても後悔はしない。
だから最後まで、室井には隠していようと思う。













最後まで側にいてね。
愛しい愛しい、僕の貴方。










「…ただいま」
「あ、おかえりなさい」
まだ少し照れ腐そうな声にしょうがないなあ、と苦笑をしながら出迎える。
途端、今まで眠っていた睡蓮が目を覚ましたような気がした。
「早かったんだな」
スーツを脱いでいる室井は青島に背を向けているので気付かない。
「うん…そんなに大きな事件ないし…」

作り笑いの青島に。










「……はっ…くそ…っ」
胸の痛みと息苦しさ。
「…さっきまで…大丈夫だったじゃん…全然っ…」
浴室にいる室井に聞かれないように声を殺してみても、この痛みはひく事なく。
胸を掌で掴んで、このまま睡蓮を抜き取る事ができたらいいのにと爪をたてる。
「…はあっ」
室井の姿が見えない事で、睡蓮が少し落ち着いたらしい。痛みが少しづつひいていく。
床に寝転がり、胸をそうっとさする。
室井が浴室から出て来るまでの僅かな静寂。












どうしよう。
日に日に酷くなっていく痛み。
いつまで誤魔化せるんだろう。
でも言えない。
絶対に、言えない。















「食事は済ませたのか?」
室井の裸足の足音が近付いて来る。
青島はあせって上体を起こそうとした。
「あ…まだ食べて…っ!」
「青島?」
青島は初めて肺の中の睡蓮の形をはっきりと感じた。
大きく丸い葉が窮屈そうに肺の中で身体を丸め、茎は気管の側で曲がり、その先に硬い蕾をつけている。
「青島?おい、どうした?青島っ!」




























薄れ行く意識の中で、室井にばれてしまったとなんだか悲しい気分になった。

















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