忘れない日々 3
ゆっくりと浮上していく意識の先に、暖かい腕と小さな咳払い。






青島は小さな寝息を立てながらすやすやと眠っている。時々軽く咳き込んでいるのはきっと、煙草の吸い過ぎだと室井は思う。
互いの汗や唾液や精液でベトベトになった身体に、明日も仕事だという事を思い出した。
青島を起こさないようにそうっと身体をずらし、青島の腕の中から抜け出そうと上体を起こす。

「…駄目」

腰にぐるりと廻された腕に力が込められて、起こしてしまったかと小さく溜め息をもらす。
「シャワーを浴びて来るだけだ」
「駄目。ここにいて」
青島はうつ伏せのまま、顔も上げずにいた。
その声が泣いているようで。
「…青島?」
「…ここにいて…ずっと側にいて…」
青島は口数が多く人付き合いも上手い方なのに、誰にも弱い所を見せないようにしていると気付いたのはこの関係を初めてからだった。
信頼しているはずの仲間にも、自分にも。
青島は脆い所を見せる事がない。いや、見せないようにしているのだ。
ある日青島にそのことを言うと「それは室井さんの方でしょ」と返された。
今度は少し大きな咳をした。
「煙草…」
「何?」
「吸い過ぎなんじゃないのか…?寝ている時も咳をしていた…」
そうかなあ?と上げた顔はいつもの笑顔で。
室井はシャワーを諦め、そのまま口付けを一つ落とした。
























「もう行っちゃうの?」
「ああ、一度官舎に戻って着替えなければな。君も早く用意した方がいいんじゃないのか?」
まだ眠そうな青島に、やはりと思う。
昨日の態度は何かおかしかった。
捨てられるのを恐れる愛玩動物のように甘えて来た。
何かを隠している。
漠然と室井はそう思った。
「昨日の件だが」
「昨日…?」
冗談だとは思っていない。
その時の青島の顔は、酷く思い詰めた顔をしていたから。
そうだ、昨日の青島に感じた違和感の正体。
それは彼が見せた弱さ。
「一緒に暮らそう、と言ったのは君だが?」
ぽかんと口を開けたままの青島は、いつもの青島の顔をしている。
「冗談なら冗談だったという事にしておく」
「まさか」
きっとまた、仕事で何かあったのだろう。
自分の中で処理しきれないくらいストレスが溜まっていたのだろう。
目の前の青島は、普段となんら変わる事のない眩しい笑顔なのだから。
「それでは、行って来る」
「あ、行ってらっしゃい…って、話の途中!」
ドアノブを回しながら振り返り見ると口をヘの字に曲げていて、拗ねた子供のようだと思った。
「早く帰宅した方が食事係だ、いいな」
















バタンとドアが閉まって。
「…っはあっ」
青島は胸を押さえてずるずると床に座り込んだ。

───────────冗談じゃねえよ…

睡蓮はようやく落ち着いたらしく、痛みは少しずつ遠のいていく。
痛みは一晩中続いた。
眠ろうとしても睡蓮は暴れまわり、息苦しさは酷いものだった。室井を起こさないよう、小さく咳払いをしてもそれは気休めにもならなくて、いっそ胸を掻きむしって睡蓮を抜き取りたいと思った。
老医師の言葉を思い出す。




「最初のうちはまだ軽い痛みですむがね、睡蓮が成長してしまうと大変な事になる。知っているかね?睡蓮の蕾と言うものはとても硬いんだ。そんなものに肺を突かれてごらん。痛いなんてものじゃないよ」




僕は誤魔化せるのだろうか。
あの人に気付かれることなく、一緒に暮らしていけるのだろうか。
























「そして最後にはね、宿主の肺を突き破って花を咲かせるんだよ。そりゃあ大きな花をね」



























老医師がそう言って眼鏡をそっと外した事を青島は思い出していた。

















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