其の四
皿の上にはすみれの好物。

「わあ!丸の内屋の豆大福!!」
「お前好きだったろう?お食べ」
「ありがとう!も〜っだから太夫大好き!」
大きく口を開けてパクパクと大福を頬張るすみれを見て、藤室はくすりと笑う。
本当に美味しそうに食べる子だ。
「すみれ…頼みがあるのだけれど…」
「ふ?なあに、なんでも言って」
珍しく言い淀む藤室は、女のすみれから見ても可愛らしかった。頬を桜色に染め
て、恥ずかしそうに俯いている。
「ねえ、なあに?」
「…俊作の…絵を売って欲しい…」
「ぐっ!」
すみれは驚いて口にしていた大福を喉に詰まらせてしまった。
「ああ、慌てて食べるから…」
「違うの!俊作の絵って!!」
優しくすみれの背中を摩っていた藤室の手がぴくりと止まる。
「もしかして…好きなの?俊作の事」
桜色を通り越し、真っ赤な顔をして、藤室は小さく一つ頷いた。
「太夫…」
「…分かっている、あの子はお客だ」




それなら何故。
好きになってしまったの?
傷付いた太夫なんて見たくないのに。






すみれは知っている。
俊作が火消しになった時、自分に言ったから。

「オレは絶対本気で人を好きにはならない」

いつ火の海に溺れるかわからない。
もしそんな自分を大切に想ってくれる人がいたら。
その人が可哀想でしょ?

その時の俊作の顔は、幼い頃からふざけ合った俊作ではなかった。



一人前の火消しの顔。




大人の男の顔。



すみれは寂しくて悲しくて、泣いてしまった。
おろおろしながら慰めてくれた俊作の顔が、自分の知っている俊作の顔に戻っ
ても。







「ああ、知ってますよ。藤室太夫。金持ちの間じゃ引っ張りだこですからね」
「…どうせオレは貧乏人だよ」
足場に使う材木を買い付けに来たついでに、若旦那の正義としばし茶をすする。
「うちの父も贔屓の一人です。そこいらの花魁より綺麗だし、唄も踊りも上手い
ですからね。僕も2会くらい御一緒しました」

ふうん。
そんなにすごい太夫なのか。

ふう、と煙りを青い空へ吐き出す。

確かに綺麗だけど、ねえ。

「それに、あっちの具合も最高らしいです」
「…お前の親父さん、そっちの人だったのか」
「やだなあ、違いますよう。父も男は太夫だけです。でも一度抱いたら忘れられ
ないらしいですよ。こう、ぐっと耐えてる顔がたまらないって」




男を虜にする藤の毒。
それは甘いか苦いのか。





「やっぱりここにいた!俊作!!」
威勢の良い声に二人は振り向く。
「ちょっと話があるの。来て」
すみれの顔は怒っているようにも、泣き出しそうにも見えた。
ぐいぐいと材木置場に連れ込まれ、この剣幕はどうしたのだろうと俊作は思う。
一一一一一なんか怒らせるような事したっけ?




「藤室太夫。知ってるわよね」
「え?ああ、二会くらい買ったよ」
呑気に答える俊作の顔を思いっきり張り倒してやりたかった。



この男は気付いてない。
太夫がどれ程夢中になっているかなんて。



「…もう寝たの?」
思い詰めた顔をして聞いてくるすみれは、どうも様子がおかしい。一体あの太夫
が何だというのだろう?
俊作はくすりと笑って答えてやった。
「まだ二会だよ。三会目からじゃないと抱けないんだ」
「じゃあもう二度と行かないで!」
俊作の声を遮るようにすみれが叫ぶ。
「遊びで太夫を抱かないで!」
「ちょっと待ってすみれさん。太夫は遊びで抱かれる為にいるんだよ。そういう
言い方は太夫や女郎に対して失礼だよ。」
なおもすみれは、涙声で言葉を続ける。
「それでも!本気じゃないなら抱かないで!」



途端、俊作の顔が変わる。



一人前の火消しの顔。



「前にも言ったよね。オレは誰も好きにならないって」




大人の男の顔。



なんて寂しくて悲しい顔なんだろう。



そんな顔は、嫌い。
「俊作のバカッ!」








「またお前か。まだ結ってる最中だ」
「あんたが遅いだけ。私は約束通り来てんだから」
「何だ、虫の居所が悪いな」
「ああ、すみれ、今日はそこにすあまがあるから」
藤室の楽しそうな笑顔。ずっとずっと、こうして笑っていて欲しいのに。
泣かせたくなんかないのに。
すみれは紙の束から一枚の絵を抜き出した。
「はい、これ」

わ組の纏を抱えた、浅黒い肌の男。

「…やはりすみれは上手だな」
一倉は藤室の手中にある絵を見て、悪い予感が当たったような気がした。

一一一一一やはり惚れたか。この男に。

「やめておけ、と言ったはずだ」
「絵の一枚くらい持っていてもいいだろう?」
八つ当たり気味に、梳いていた黒髪を少しきつめに結わいてやる。
「…一倉、痛い」
「そうか、痛くなるようきつめに結ったからな」
「何故」
「お前が言う事聞かないからだ」
「子供扱いするな」
言いながらも、嬉しそうにふわりと笑う藤室を見て、すみれは益々悲しくなる。






何故この人は太夫なんだろう。
何故あいつは火消しなんだろう。




惚れた男に、抱かれる事しか望む事を知らない太夫。
寂しい癖して、誰も好きになろうとしない俊作。




きっと俊作は遊びで太夫を抱く。
きっと太夫はそれを分かっていて、それでも抱かれる事を願う。




後になって泣く事も分かっているのに。






口に含んだすあまは、大好きなかちどき屋のすあまなのに。
ちっとも美味しくなんかなかった。

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