註8 |
濱マシケ領 |
現在の石狩郡浜益村。 |
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註9 |
南部の花輪 |
秋田県鹿角市花輪。 |
註10 |
三厩 |
青森県東津軽郡三厩村、蝦夷地と本州の玄関口に当
たる。 |
註11 |
安間純之進
様 |
幕府支配勘定役、安政元年5月ペリーの箱館来航時
に米国旗艦ポーハッタン号で会見した人物。北蝦夷地
まで調査に向かった。のち箱館奉行組頭。
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註12
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マシケ支配人
直右衛門
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黒澤屋直右衛門、伊達屋のマシケ場所支配人。松浦
武四郎の日記に、この山道開削についての叙述にしば
しば登場する。 |
註13 |
梨本様
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梨本弥五郎。箱館奉行支配役、安政3年調役下役〆
役として宗谷へ赴任の際初めて妻子を伴って赴任し、
当時の神威岬以北は 女人禁制の迷信を打破した。
又初めてストーブを考案して寒地対策に備えた事で有
名な人物。彼が宗谷へ赴任の際5月7日の濱マシケ運
上屋の記録には
「五月五日御通しニ相成候 ソウヤ 梨本弥五郎様
御上下四人
一 図合船壱艘
此人足拾四人
賃米壱斗」
とあり、往路は浜益から船でマシケ方面へ渡ったと思
われるが、帰りは開発されたばかりのマシケ山道を通
り、恐らく幕府お役人としては初めてこの山道を通過し
たお役人になったのではなかろうか。
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註14 |
約1500両 |
この金額については伊達家文書「諸用留」に、
「金千三百拾壱両壱分、銭弐百九拾六文、右高ニ書上
候得共大凡ニ有之。委敷取調候得共、喰料、手当ニて
惣入用金千五百両余ニ相成申候」 と記されている。 |
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