増毛山道調査行(3)



山道沿いに今でも古い電柱柱が立っている。
 その後その場所から少し下の別苅寄りに新しい小
屋が建てられ、明治28年9月30日に駅逓取扱人中
村亀太として武好駅逓が設置され、昭和12年10月
14日に模様替え増築がなされその機能は昭和16
年6月まで続いた。
 明治33年ころ北海道には158ケ所の駅逓があっ
たが、その中でもこの武好駅逓の構造は特殊で、豪
雪地帯のため高床方式が採用されていた。
 この武好駅逓の面影は、北大山岳部部報第1号
に、後の山岳画家として有名になった坂本直行氏の
筆になるスケッチ画のみでしか知られていなかった
が、最近偶然な事からその写真を3枚も、それも改
築前の大正15年6月12日に坂本氏が写された一
枚と、改築後すでに廃屋寸前の昭和24年4月30
日、北大山岳部一行中の熊野純男氏が撮られた2
枚がみつかった。


天狗岳
この写真発見のいきさつは、たまたま日本山書の会
北海道地区報編集の高澤光雄氏から送られてきた「ヌタック」1号(札幌第二中学校山岳旅行部部報昭和4年1月20日発行)のコピ−に、故坂本直行氏の「武好の春」と題する一文が載っていた事からあきらかになった。
その文によると、大正15年6月10日に坂本氏はプリムラ(サクラソウの総称)採取の目的で1人で武好に旅立ち、早朝増毛駅で腹ごしらえをしていると、脇にいた人夫に「お前のような青二才は熊に食われるさ」などと脅かされながら、ニシン漁が終わり節句の鯉幟がたなびく別苅の浜辺から武好駅逓への道を登り始め、白樺に囲まれた山奥の武好駅逓に2晩泊る。この時の小屋番の爺さんは多分中村亀太老ではないかと思われる。のんびりとスケッチをしたりプリムラの採取をしたりして過ごし、「もっと長くいたいが次の旅行があるので今日はここを去らねばならない。爺さんはいくら言うても五十銭の宿賃しかとってくれないのには弱った。爺さんとこのうちを写した写真を送るといふ約束で懐かしいこの地に別れを告げる」と記されている。
そこで私の親戚に当たる和田直之氏が生前の坂本氏と親交があったことを思い出し、坂本氏未亡人つる様にお願いして、遺品の中からやっと天狗岳を背にして中村亀太老と武好駅逓が写っている写真を探していただいた。さらに思いがけなく、坂本氏の友人で度々道内の山行を供にされた熊野純男氏が昭和24年4月30日に「もうすでに廃屋となっていたので床下にテントをかぶって泊まった」と記憶がある当時の武好駅逓の写真も見ることが出来た。


左 南暑寒別岳 中央 群別岳 右 浜益岳
 


大正15年の武好駅逓と中村亀太老。
(提供坂本つる様)

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増毛山道調査行4(4/4)
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