増毛山道調査行(2)

この付近から所々に微かに道跡らしき踏み跡がある
がほとんどないといって過言ではない。しかし幸いなこ
とに道跡に沿って雑木林を切り開いた跡があり、さら
にこの道がかって登山道として使われていた当時の
名残の赤地に白抜きでナンバーの記入されたホウロ
ウ製の円形の板が所々の白樺の幹に打ち付けられて
いる。身の丈を越す熊笹をこぐこと約1時間ほどの所
で151・2米の三角点があり、赤白の斑の測量用の
棒が立っている。この辺の地形はエンルコマナイ川と
ポンナイ川に挟まれた緩やかなナマコ状の尾根が武
好まで続き、増毛山道はその尾根伝いに天狗岳(97
3米)へ向かっている。この尾根に絡まるように、多分
最近木材切り出しのために切り開いたと思われる立
派な林道が途中まで続いている。


石の庚申塚
後で分かったことであるが、この山道の別苅側もかなり奥地まで林道が切り開かれており、増毛山道を横断しているところもある。武好橋の付近は植林のためにブルト−ザ−による地掻きが行われ、道跡が破壊されているケ所も見受けられる。お陰で山道調査に便利なこともあるが、反面ブルト−ザ−でむき出しになった赤土を見ると、この一帯の山肌の荒れようには考えさせられるものがある。 
 先にも述べた如く、別苅から武好駅逓を経て岩尾までこの山道沿いに電話線が敷設されていたための名残の電信柱が長い風雪に耐え、その残骸が所々に立っている。朽折れた電信柱の切り株から松の新芽が生えていたり、垂れ下がった電線が古い白樺に食い込んで、それでも白樺は太く成長をしているのを見ると、時の経過の長さを感じさせる風景である。この付近の電話線敷設工事は明治29年9月に札幌・増毛間がこの山道沿いに一応完成したのだが、名だたる豪雪地帯のため幾度となく断線し、その保守管理に大変な苦労があったとされている。
 631・9米の三角点記号のあるところからの眺望はすばらしい。振り返ると眼下の日本海に利尻富士が見え、この付近の最高峰である暑寒別岳(1491・4米)、群別岳(1376・3米)が一望できる。683米のピークと天狗岳の鞍部が武好駅逓のあった場所である。この駅逓の歴史は、最初地図上の「武好橋」の記号があるところに「古っ舎」と地元の人たちに呼ばれていた小屋があったが、明治12年ころ、長年の風雪に耐え兼ねて倒壊したらしい。
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増毛山道調査行3(3/4)
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