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 結局、掃除は全部相田君がやり、俺は下半身裸に給湯室においてあったタオルと無事だったジャケットを腰に巻くという、なんとも情けない格好で仕事を再開した。相田君はそのまま仕事を手伝ってくれている。優秀だ。優秀だけど。
「もうほとんど終わりじゃないですか、これ。」
 渡した原稿を見て相田君が声を上げる。
「やっぱすごいですね。山崎先輩・・・。仕事速いや。普段はちょっと、抜けてるとこあるけど。」
 言い終わってから、あ、すみませんと小声で言うのが聞こえてきた。
 いいけどな。ホントのことだし。威厳もねーしよ。


「よっし、終了!」
 20分足らずで原稿が仕上がった。引き出しにしまって鍵をかける。あとは明日の朝一で部長に渡すのみ。
 椅子に座ってグーッと背伸びをして縮んだ筋肉を伸ばしていると、
「ほんと、俺なんか全然役に立たなかったですね。」
 少し沈んだ口調で相田君が言った。
「なーに言ってんの?相田君。」
 時計を見るとすでに0時を回っている。
「こんな時間まで俺に付き合ってくれて感謝してる。俺一人じゃあのまま朝まで動けなかったし?」
 お?俺、先輩っ ぽいこと言ってる?あー、爽やかだなー。こういうの、チームプレイっていうんだろうか。すがすがしいよ、相田君。
 もともと社内一押しスポーツ系さわやか笑顔の相田君の顔が、さらにはみ出しそうなくらいの笑顔になる。
「コーヒーの後始末はもう勘弁してくださいよ?先輩。今日はたまたま俺がいたから良かったものの・・・。今度から残業中にどうしても眠くなった時は、俺に電話してください。ちゃんと、モーニングコールしますから。」
 またしても優秀な発言を繰り返す相田君に、内心溜息が出る。それは後から考えてみればほんの社交辞令だったとも取れるんだけれど、その時の俺はどうも余裕がなかったらしく。
「相田君・・・。そういうことは、するもんじゃないよ?」
 気が付けば、そんな言葉が口をついていた。
「———え?」
 突然の俺の言葉に、相田君の顔がみるみる曇っていく。
「相田君はよく気が尽くし、思いやりもあるし、仕事も出来るし。とにかく優秀だよ?けど、今日みたく外回りの後わざわざ会社によって先輩の様子を見に来るのは、無駄な行動だ。おかげで余計な仕事を押し付けられたり、さらにはモーニングコールまでしちゃうようなハメになってるじゃない。」
 何を言ってるんだ俺は。とか、頭の中でほんの少し冷静な自分がツッコミを入れたりしているけれど、今更止まらなくなった俺の口はどんどん後戻り出来ない言葉を吐き出していく。そんな俺をじっと見たまま、相田君は黙って聞いている。
「長い会社人生、無駄な行動をなるべく省いていくの が、上手く渡っていくコツ。じゃないと、本当に無駄に疲れるだけだよ。相田君は・・・優しいから。」
 人間が。
「時々、すごく心配になる。」
 誰かに利用されたりしないかとか、生きてくのが大変になったりしないかとか。優しい人は、不器用だから。だから、無駄な行動が多くなる。
 そんなの、悲しいじゃん?相田君。
「俺のこと、そんなに気になりますか?」
 我ながらいい発言をした。メモっておこう。
 そんな風にふざけて、なんだか無性に悲しくなっている自分を一生懸命ごまかしていたら、相田君が静かに口を開いた。
「世の中に、無駄なことなんか一つもないです。」
 落ち着いているけどしっかりとしたその口調に、驚いて顔をあげる。
「俺は、俺のやりたいように、やっていきます。」
「相田君・・・。」
「無駄だと思えることだって、いつか誰かの役に立つんだって、そう思ってた方が、きっと、ずっと楽しいですよ?」
 相田君は、強いな。
 笑顔で、だけど凛とした強い意志を持って言葉を発する相田君を、俺はただただ呆然と見ていた。もう長いこと、その言葉を聞くのを待っていたのかも知れない。できれば、自分自身の口から。
 色々と、随分テンパってたんだなあと、今更ながらに思う。
 ありがとう、相田君 。今日、君がここに来てくれたおかげで、俺の一日の行動は無駄にならずに済んだんだ。
 目の前が、開けていく感じがする。
「今日だって。ここに来たのだって。」
 必死な顔で相田君が続ける。
 うんうん。もういいよ。俺が悪かった。信念だろ?相田君の。・・・素敵だよ。やっぱり君は優秀だッ。
「相田君!!」
「山崎先輩に会いたかったから!!」

 ————は?

 同時に叫んで重なったその言葉は、見事に不協和音。なにかが、ズレている?
「先輩に会って、少しでも一緒に居たかったから。だから、来たんです。じゃなきゃ俺だって、外回りの後に好き好んで会社なんか来たりしません!!」
「あ、・・・そう。」
 他に何を言えるだろう。これはちょっとイキナリだろうな展開に頭がついていかない。
 信念って、・・・そう言うことか?どうなの?そこんとこ?
「好きですッ!山崎先輩ッ!!」
 なんデスカ、それ?
 いきなり告白かよ!?

 ガタタッ。
 ゴッ。

 視界が回る。
 頭がグラグラする。
 どうなってんのオレ?何やってたんだっけ?
 生暖かく、濡れた感触が唇に 触る。
 あ。これは知ってる。キスしてるときの感じ。
 俺、キスしてんだ?
 だれと?
 だ、れと・・・・・・。

「あ、相田君—————っ?!!!!」
 気がつけば、俺の上に相田君が乗っていた。
 どうやらガタタッ。で床に押し倒されて、ゴッ。で頭をぶつけたらしい。
「あ、あああ相田ッ。相田君ッ。早まるなッ人生七転び八起きッ。」
 とにかく、思いとどまらせねばという想いが、感じられないか?
「一目惚れだったんです、先輩・・・。こんな日が来るなんて、俺、すげーうれしい・・・」
 いやうれしいじゃなくて。俺の感動を返せばかやろー!って言ってやりたかったんだけど、
「んん、う、ん、んん!!」
 相田君のヤローに口を塞がれて、声が出ない。
「ぷ、はっ。」
 やっと息が出来たと思ったら、今度は舌を首筋へ這わせてきやがった。
 これは、ヤバイ。
「こら!オイ!相田!!てめえ、聞いてんのか?男だぞ?男!オレ!!」
「知ってます。」
 沈着冷静な相田君の声に、思わず
 あ、そ。
 と納得しそうになる。いかん、流されては!
「・・・って、そうじゃなくって な!ん・・・ぁ、ン!」
 ぎゃ—————!!!
「先輩、ここが感じるんですね。」
 不覚にも声を上げてしまった俺を、覗き込んでくる目が熱っぽい。
 本気なのか?欲情してるのか?お前!よりによって俺に!!!
 なんだよ?なんなんだよ?さっきまでの社内一押しスポーツ系さわやか笑顔の相田君の顔はどこいったーッ。
「ふ。」
 なぜか涙が溢れてる。コレ、オレの?俺、どうなっちゃうんだろう。ヤられんの?相田君に。いいの?俺、こんなんで、この先やっていけんの?無駄に残業して無駄にコーヒー零して、相田君に無駄な忠告したら、このザマだよ。泣けてくる、本当。
「う・・・っく。」
 片腕で目を覆い泣き出した俺の頬に、相田君はそっとキスを落としてきた。
「先輩・・・泣かないで。」
 なんだよ?誰の所為で泣いてると思ってんだよ。お前の所為だろ、全部!!
 もう恥も外聞もなく泣き出した俺を、まるで子供をあやすかのように優しく髪をなぜて囁いてくる相田君。
 泣かないで。大丈夫だから。そばに居るから。お願いだから。
 その言葉に、次第にコイツに対する怒りも少しずつおさまってくる。脳裏に浮かんだ のは、「相田君」の笑顔。
 そうだよな、悪い奴じゃないんだよな。ただちょっと、気が迷っちゃってるだけなんだよな・・・。
 そう考えていると、なんだか泣いているのが恥ずかしくなった。腕をずらし、もう大丈夫、とでも言うかのように微笑む。そこにはやっぱり、穏やかな彼の笑顔。
「山崎先輩・・・。」
「ん?」
「俺・・・。」
「うん。」
 トーンを落とした相田君の声に、ようやく思いとどまってくれたんだと確信する。
 分かってるよ。君の言いたいことは。とりあえず、はやくどけ。
「男相手ははじめてだけど、やさしくするから。」
「分かって、ね——————ッ!!!」


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