「くそっ!」
 優作は帽子を地面に叩き付けると、その場にどかっと座り込んでしまった。
 悔しくて、苦しくて、胸を引き裂きたいほどだった。
 劉太戴も強かったが、彼の強さはプロのボディガードとして当然のものであり、優作も彼の強さは承知の上だった。劉太戴を恨むつもりはない。
 だが、悠人を失うハメになってしまったことが、とても辛かった。
 自分が不甲斐ないせいで、悠人が去っていったのかと思うと、優作は自分自身が許せなかった。
 立つ気力ももはや失せ、地面に足を伸ばしたまま座り込んでいると、ぽつりと冷たいものが優作の頬に当たる。
 冷たい滴の数は段々増えてきた。
 雨が降ってきたのだ。
「……ちぇっ」
 優作はつまらなそうに舌を鳴らすと、帽子をはたくと被りなおして立ち上がった。
 大通りを渡ろうとしたところで、クラクションが鳴る音が響いた。
 うるせえ車だな、と思って優作はそっちを睨むと、そこにはどっかで見たような車が停まっている。
「工藤ちゃ〜ん」
 赤いミニクーパーが、低速で優作に近づいてきた。
 優作のよく知っている人間が、運転している。
「マサ……」
「お店が終わった頃さあ、大老から電話があってね。工藤ちゃんがここにいるはずだから迎えに行って、事務所まで連れてきて欲しいって。でも、何でわざわざ……」
 言い終わらないうちに、マサは優作の姿が尋常ではないことに気が付いた。
 土まみれの上、顔は血だらけで腫れあがっている。
 あまりの優作の変貌ぶりに、マサは驚いて声をあげた。
「ちょっとォ! どうしたのよ、その顔は?」
「ツラが悪いのは元からなんだろが」
 優作は不機嫌そうに吐き捨てて言うと、助手席のドアを開け、狭いシートに大きな体を押し込むように入れた。
「それにしたって……。そういえば、悠人クンは?」
「叔父貴殿と一緒に行っちまったよ」
「それって……。工藤ちゃん、まさか?」
「いいから車出せ」
 不機嫌そうにそれだけ言うと、街灯から顔を隠すように帽子を目深に被って俯く。
 マサは深いため息をひとつつくと、ギアを入れてサイドブレーキを下ろすと、中華街方面へ車を走らせた。
 信号待ちの間に、マサは後部座席からティッシュを取り出し、優作に渡した。
「はい、優作。これでも鼻に詰めときなさいよ」
「唔該(ありがとう)……」
「あんたの鼻血で車のシートを汚されたくないだけなの」
「係(はいよ)」
 本格的に怒ると、他人に対して非常に口数が少なくなる上、無意識に広東語になってしまうクセは昔と変わらないわえ、とマサは思っていた。
 どういう経緯で悠人と別れることになったのかはわからないが、優作が決して納得していないのは、見ていてよくわかる。
 それでもこのまま済ますのはよくないと思ったマサは、意を決して優作に尋ねることにした。
「ねえ、優作。一体、悠人クンに何があったっていうの?」
 優作は胸ポケットから煙草を取り出し、口にくわえるが、ライターは落としたらしくどこにも持っていなかった。
 仕方なく、煙草に火をつけないまま、優作はむっつりとした顔で答えた。
「……あいつがオレを見限ったんだろ。それだけだ」
「そんなわけないでしょ? あの子、あんなに工藤ちゃんのこと頼りにしていたのよ? あんたも、あの子があんたを見限ったなんて、本気でそんなこと思っているわけ?」
「思ってるワケねえだろ!」
 優作は運転中のマサを、ぎっと睨み付けて叫んだ。
「悠人がどれだけあのオヤジのところへ行くのを嫌がっていたか、オレはよく知っているよ! だが、結局、オレは悠人を守りきることができなかったんだぞ!」
「じゃあ、何で悠人クンをみすみす渡したワケ?」
 優作は悔しそうにぎゅっと歯を食いしばった。
「……あいつ、もういいって言いやがった」
「悠人クンが……?」
「あの馬鹿、オレがあの程度で死ぬとでも思ったのかよ。このオレが、ちっと血ィ出しただけで、死ぬわけねえだろが」
「そうよね。工藤ちゃんってば殺しても死なないもの」
「ああ、そうだよ。それなのに、あいつは……。衰仔(ばかが)!」
「で、悠人クンこれからどうなるの?」
「さあな。4日後には、大陸本土に行くって話だったが。で、あいつは叔父貴殿の慰みモノとして、付いて回るワケだ」
 <慰みモノ>という言葉に、マサは驚いて優作の方を振り向く。
 脇見運転をするマサに、優作は黙って前を指さして注意すると、マサはあわててハンドルを直した。
「ちょっとォ……。工藤ちゃん、あんた、それでいいの?」
「いいワケねえだろ! このままで済ますかよ。このままで……!」
 マサは車の運転をしながらチラリと優作の顔をのぞき込んだ。
 決意の固い表情で宙を睨んでいる優作が、そこにいた。



探偵物語

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