優作は下唇をぎゅっと噛みしめると、矢継ぎ早に攻撃を繰り出す。
 しかし、気ばかり焦って攻撃のひとつひとつに力がはいらず、すべての攻撃を劉太戴に受け流されてしまっている。
 素早い優作の攻撃をかいくぐるのは至難の業だったが、腹部に隙を見つけた劉太戴は、ここぞとばかりに蹴り込む。
 体重と勢いの乗った蹴りは、鍛え上げた優作の腹筋でもそうそう耐えられるモノではなかった。
 渾身とも言える一撃に、今度は優作がよろめく番だった。
 悶絶して身体がくの字に曲がったところを、劉太戴の拳が容赦なく襲いかかる。
 来るとわかっていても、身体が思うように動かず、優作は後ろに少し下がることでダメージを軽減させるくらいしかできなかった。
 それでも襲いかかってきた拳は、優作の鼻っ柱をかすめ、左頬に当たると優作の顔を歪める。
「!!」
 この一撃で、悠人と黄仲正の顔色が変わった。
 もっとも、黄仲正は喜んでいるようだったが、悠人のほうは顔面蒼白である。
 鼻っ柱を打たれたことで、優作の鼻から鼻血がつつっと流れ出したのだ。
 優作は手鼻で鼻血を吹き飛ばすと、劉太戴を睨み付けた。
 劉太戴の攻撃はひとつひとつが重く、今度まともに喰らったらさすがの優作でも立ち上がることはできないだろう。
 しかも、優作の予想を上回るほどのタフさときては、闇雲に攻撃を仕掛けるだけでは、勝つことができないかも知れない。
 目の前に立ちはだかる難物を相手に優作が思案をしていると、脇にいた黄仲正がちらりと腕時計を見て叫んだ。
「そろそろ時間だ。劉、私たちは先に車に行っているから、片付いたらすぐに来い」
 そう言うなり、黄仲正は悠人の腕を引っ張り、この場から離れようとした。
「やだっ……! はな、離して…よ……。ゆうさく……優作! 助けて!」
 腕を引っ張られ連れて行かれようとしていたのを、悠人は必死に抵抗するが、どうあがいても逃げ出すことができない。
 引きずられながらも必死に助けを求める悠人に、優作は自分が置かれた状況も忘れ、悠人を追いかけようとした。
「悠人っ!」
「おまえの相手は私だ」
 悠人と優作の間に、劉太戴が割り込んできた。
「そこをどけえッ!」
 立ちはだかる劉太戴に一喝すると、構っている暇はないとばかりに、優作は劉太戴の懐をくぐり抜けようとした。
 しかし、劉太戴も大人しく優作を通り抜けさせるほど、甘い相手ではない。
 優作が飛び込んでくるところを、大きな体を身軽に回転させ、優作の肩口に回し蹴りを見舞った。
 左の肩関節が外れそうなほどの衝撃に、優作は後退を余儀なくされたが、悠人を取り戻すことを諦めたわけではない。
「じゃっまだあぁぁっっっ!!」
 優作は雄叫びのような声を張り上げると、劉太戴が見舞わす足払いを大きくジャンプをして避け、渾身の右回し蹴りで劉太戴の頭を狙う。
 気迫のこもった優作の蹴りはしかし、劉太戴が左腕でがっちりとブロックされてしまった。
「……っ!」
 優作は構わずそのまま足を振り抜いた。
 見事にヒットした手応えと同時に、右足にも痛烈な痛みが走り、優作は思わず顔をしかめる。
 確かに手応えは感じたはずだが、ロボットのような劉太戴の表情は、まったく崩れていなかった。
 実際、蹴りを入れた優作の方が、立ったときに痛みでバランスを崩していたのだ。
 その隙を劉太戴が見逃すはずはなかった。優作の腹に、2発3発と重いパンチを浴びせ、優作が腹を抱えて倒れ込みそうになるところを、更に両手を合わせて優作の後頭部へと打ち下ろす。
 畳みかけるような劉太戴の攻撃と後頭部への痛打に、優作は一瞬意識を失い、気が付いたときには地面に這いつくばっていた。
 土を握ってでも立ち上がろうとする優作の右手を、劉太戴の足が冷酷に踏みつける。
「おまえの負けだ」
 劉太戴がぼそりとそう言い放つ。
 優作は歯が砕けんばかりに歯ぎしりをして、立ち上がろうともがくが、劉太戴に脇腹を蹴られると再び地べたにへばりついてしまう。
「私をここまで手こずらせたのは、おまえが初めてだよ。だが、もう諦めろ」
「ま、まだだ……。オレはまだ……、悠人を助けちゃいねぇ……」
 地べたに這いつくばりながらも、それでもまだ悠人を助けたい一心で、優作は必死で立ち上がろうともがいている。
 立ち上がろうとするたびに、優作の右手を踏みつける劉太戴の足に力が入り、その度に優作は苦悶の表情を浮かべるが、決して諦める素振りは見せない。
「優作……」
 あのカッコ付けで照れ屋で強情でスケベで優しい優作が、こんなにボロボロになるまで闘っている。
 それも、自分のために。
 そう思うと、悠人はどうしてもあふれる涙を止めることができなかった。
 悠人の心情を察したのか、黄仲正が悠人の耳元に口を寄せ、ささやくように語りかけた。
「工藤くんはよくやったよ。だが、彼はまだ終われない。おまえが止めるまで、止めようなんて思わない。いいかい、悠人。工藤くんを止めるのは、おまえだ。おまえしかいない」
「…………」
 耳元で囁かれる声に、悠人は思わず唇を噛みしめ黙り込む。
 これ以上、優作が闘おうとするのは、優作をさらに傷つけることとなる。だが、黄仲正の言うとおりに悠人が止めたなら、それは悠人と優作の永遠の別れとなる。
 何とか抵抗しようと、優作は劉太戴の足首を掴むが、劉太戴は容赦なく優作の脇腹を蹴り続けた。
 血だらけ、土埃だらけになっていく優作の姿がいたたまれず、悠人はとうとうか細い声で呟いた。
「もういい……。もういいよォ、優作ゥ……」
 言葉尻は、ほとんど泣き声に近かった。
 必死で闘う二人に、悠人の呟きは聞こえているのか。
 劉太戴の攻撃も、優作の抵抗もまだ続いていた。
「もう……、もうやめてェェッッ!!」
 悠人の悲痛な叫び声は、山下公園中に響き渡らんばかりの激しいものだった。
 その声に、劉太戴も優作も、お互いに手を止めて悠人の方を見た。
「ごめんね、優作……。もういいよ……。ごめん……」
 泣きながら呟く悠人の顔は、笑っていた。
 しかしその笑顔は、優作の知っている可愛らしいあの笑顔ではない。
 出会った頃のあの夜に見せた、心が痛いのを我慢している、悲痛な笑顔だ。
 悠人が何を思ってそんな表情をしているのか、優作は瞬時に理解した。
 優作との今生の別れを悟った顔である。
「悠人……よせよ。冗談だろ?」
 ひきつった顔をして優作が尋ねるが、悠人は顔を伏せて首を横に振る。
 俯いて丸くなった悠人の肩を、黄仲正がすっと抱き寄せた。
「いい子だ。では、行こうか」
 言われて、悠人は黙ってこくりと頷く。
 そのまま二人は肩を並べて、この場を立ち去ろうとした。
 ふと、悠人が立ち止まり、優作のほうを振り返って微笑んだ。
「ありがとう、優作。優作と一緒に過ごせて、とても楽しかったよ……」
 顔は笑っているくせに、今にも涙で溢れそうなその目を見ると、優作は悔しくて悔しくてたまらなくなった。
 優作自身はまだ負けたつもりはない。
 だが、自分の真意が悠人に伝わっていないような気がしたから、去りゆく悠人に何て声をかけていいのかさえわからない。
 殴られ蹴られた箇所よりも、心が痛む。
「ご苦労だったな、工藤くん。報酬は、後ほど郵送させてもらうよ。それでは」
 うなだれて立つ気力もなくなった優作に、黄仲正が事務的な口調で声をかけた。
 劉太戴の姿もいつの間にか消えている。おそらくは、車を回しにいったのだろう。
 時々、背中越しにちらちらと心配そうに優作を見つめる悠人を、黄仲正は顎を掴んで引き留めた。
「工藤くんなら大丈夫だ」
「でも……」
「彼の知り合いに連絡をしてある。すぐに迎えがくるはずだ」
 後ろ髪をひかれる思いもあるが、悠人は振り返ることなく黄仲正に促されるままに歩く。
 悠人の寂しそうな後ろ姿に、優作は痛みを堪えて立ち上がり、悠人の背中に向かって叫んだ。
「いいのか、悠人! それでいいのかよ?」
 悠人は答えない。
 大通りに黒塗りのベンツが停められた。運転席には劉太戴がいる。彼は車を停め運転席から出ると、後部座席のドアを開け、黄仲正と悠人を招き入れた。
 車に乗り込もうとする悠人に、優作はさらに大声で叫ぶ。
「それがおまえの答えだなんて、オレは納得しねえぞ! もうガキじゃないんだから、自分で決められるって言っただろ? あの世の親父さんに、どう説明するつもりだ!」
 父のことを言われ、悠人はびくりと震えて足を止めた。
 振り返って優作の顔を見ようとするが、黄仲正と劉太戴に押し込まれるようにベンツに乗せられ、ドアが閉められた。
 痛む足を引きずりながら、優作は必死に食い下がる。
「悠人!」
 ベンツのリアウインドウ越しに、悠人が泣きわめきながら何やら叫んでいる顔が見えたが、エンジン音が悠人の声をかき消す。
 タイヤを鳴らして、ベンツが急発進した。
 飛び散る砂利に優作は思わず顔をしかめたが、ベンツに追いつかんばかりに必死で走り出す。
 しかし、猛スピードで走り去るベンツに、足を痛めている優作が追いつけるはずもなく、車は山下町方面へと消えていった。



探偵物語

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