「やっ! は、離して……っ! 離してよ!」 気が付けば、背後に庇っていたはずの悠人は、黄仲正に腕をねじ上げられていた。 腕をねじ上げられる痛みより、叔父に触れられる恐怖が勝って、必死に抵抗しているつもりでも悠人は軽々と黄仲正に引っ張られていく。 「悠人!」 悠人を助けようと振り返ったところを、劉太戴のあの正拳がモロに優作の左頬にヒットした。 さすがの優作も、劉太戴のパンチを喰らってしまっては、吹っ飛ばされて地面に叩き付けられる。 背丈のある優作が、振り下ろされたパンチを顔に貰うことは滅多にない。それだけに、数年ぶりの顔面パンチはさすがに効いた。 「優作っ」 劉太戴に殴られ吹っ飛ばされた優作の姿に、悠人は悲鳴に近い声で優作の名を叫ぶ。 両腕を黄仲正に掴まれ、駆け寄ることもできない。 身をよじって必死に黄仲正の手を振り解こうとするが、未だに力では叔父に敵わない。 必死に暴れる悠人の耳元に、黄仲正が口を寄せて囁いた。 「まだまだ、これからだよ。これからもっと面白いことが起こる」 悠人が振り返って叔父の顔を見上げると、これから起こるであろうことを楽しみにしているといった面持ちで、二人の巨漢の睨み合いを見つめている。 黄仲正の恍惚とした口調とその表情に、悠人は背筋が寒くなる思いがした。 久しぶりに顔を殴られ、さすがに脳みそがグラグラしてきたが、優作はすぐに頭を振って劉太戴を睨み返す。 口の中にじわりと塩気を含んだ鉄の味が広がり、何やら異物感を感じた優作は、立ち上がると口の中の異物をすべて吐き捨てた。 街灯に照らされたそれは、血塗れの臼歯である。 吐き出された優作の歯を見て、悠人は思わず息を呑んで、すぐさま大声で叫んだ。 「優作! 歯が……っ!」 「差し歯が取れたくらいで、ガタガタ泣くな。このデカいの片付けたら、すぐ助けるからな。待ってろ」 地面に落ちた帽子を拾い上げ土埃を払い、帽子を被り直すと、悠人に微笑みかける。 口の端からまだじわりと血がにじみ出ているが、優作はまったくお構いなしだ。 優作は改めて劉太戴のほうに向き直ると、口許を歪めてニヤリと笑った。 「口の中切るのは、久しぶりだ」 「私もナメた口を叩かれるのは、久しぶりだ」 「すぐに口だけじゃないってわかるさ」 優作はそう言うと、半身をずらし腰を落とすと、両腕を軽く曲げて拳を作った。 一見、普通のファイティングポーズに見えるが、劉太戴は優作の独特の構え方に、少し驚愕の表情を浮かべていた。そして珍しくニヤリと笑うと、自らも腰を落として戦闘態勢を取る。 「確かに口だけではなさそうだ。少しは楽しめそうだな」 劉太戴は腰を更に落とすと、右足で地面を蹴り込み、優作の懐深く潜り込むと、長く太い左腕を突きだした。 身体の割に素早い動きだったが、優作は右に半歩後退して上体を少しだけ反らし、劉太戴の突きをやりすごす。 伸ばしきった劉太戴の腕が失速したのを見計らって、優作は右手で劉太戴の左拳を受け止め、左に捻りながら劉太戴の左腕ごと彼の懐に潜り込み後手に回る。 取られた腕を捻りあげられる前に、劉太戴は大きく後ろに下がって捕まれた左腕を振り解いたが、後ろにさがろうと左足を大きく踏み出したその瞬間、優作は劉太戴の左足膝後ろに膝蹴りを入れた。 膝後ろに蹴りを喰らったため、劉太戴はバランスを崩し、後ろに倒れそうになった。 何とか受け身を取ろうとしたとき、優作が倒れそうになる劉太戴の背後から逃れながら、彼の背骨に肘撃ちを入れる。 「うむっ?」 優作の肘撃ちで、劉太戴の巨躯が完全に宙に浮いた。こうなるともう、劉太戴はどうすることもできない。 「ついでだっ」 身動きもままならず、地面に倒れ込もうとする劉太戴の身体に、優作は容赦なく脇腹に鋭い蹴りを入れる。 これにはさすがに、能面のように無表情だった劉太戴も、苦悶の表情を浮かべざるを得ない。 二人の対決を見守っていた黄仲正は、自分の秘書が倒されたにも拘わらず、嬉しそうに感嘆の声をあげた。 「あの劉が倒されるとは……。まったく、たいしたものだ」 劉太戴を叩き伏せた後も、優作は決して驕るようなことはしていない。 むしろ、この程度の攻撃で終わる相手ではないことを、重々に承知している。 もんどり打って地面に叩き付けられた劉太戴は、苦しそうに脇腹を押さえながらも、何とか立ち上がった。 立ち上がる瞬間を待っていたかのように、優作はその瞬間に地面を蹴って劉太戴に飛びかかった。 優作が飛びかかってくると、劉太戴も負けじと応戦体勢を取り、かかってくる優作めがけて渾身の突きを放つ。 突き出された劉太戴の右腕をかいくぐり、左手で劉太戴の腕を跳ね上げると、優作は劉太戴の水月めがけて掌手を押しつけた。 端から見れば胃の辺りに掌をあてがっただけに見えるが、この攻撃を受けた本人は、見えない力によって吹っ飛ばされてしまったように見えた。 見ただけでは、何が起こったのかはわからない。 だが、現実に二メートルはあろうかという大男の劉太戴が、はじき飛ばされたのだ。 これには、さすがに黄仲正も悠人も驚くのは無理もない。 武術に造詣が深く、自らも武術家であり、更に今の攻撃を喰らった劉太戴は、さすがに自分が何をされたのかはわかっていた。 胃の辺りを抑えながらも、おぼつかない足取りで何とか立ち上がってくる劉太戴を見て、優作は顔をしかめて舌打ちをする。 「大人しく寝てりゃあいいものを……」 よろめきながら立ち上がる劉太戴を警戒して、優作は慎重に間合いを取って構えた。 劉太戴のほうも呼吸を整え、体勢を立て直すと、今度は慎重に構えを取った。 緊迫した睨み合いが、二人の間を漂う。 しかし、睨み合いが長引けば長引くほど、優作の心に焦りが生じる。 優作がちらりと脇に目をやると、黄仲正に腕を捕まれたまま、心配そうにこちらを見ている悠人の姿が見えた。 悠人を早く助けてやりたい気持ちが、優作を更に焦らせる。 |