そんなこんなで悠人と優作の同棲生活も3週間ほど経った日のこと。
 夕飯を食べながら悠人とたわいもない話をしていた夜、黄仲正からもらった携帯が鳴った。
 和やかな夕げの一時が、一瞬にして凍り付いた。
 優作が口に指を充てて目配せをすると、悠人は緊張した面持ちでこくりと頷く。
 7回ほどコール音がした後、優作はまるで何事もないといったふうに暢気に応対する。
「もしもし。工藤です」
『やあ、工藤くん。私だ』
「あ、どうもこんばんわ」
『さっそくだが、工藤くん。ちょっと急用があって、渡航日程が前倒しになってしまったんだ。ついては、そのことで話があるんだが、これから出てこれるかね?』
 黄仲正の口調はおだやかだった。
 だが、いきなり本題に入ったことに、優作は何かを感じて眉をつり上げる。
 それでも、心の動揺を知られたらまずいので、平然を装って応対した。
「ええ。いいですよ」
『では、十時にパンパシフィックの<バー ジャックス>で。キミの名前でボックス席を予約してある。私は少し遅くなるかもしれんが、飲みながら待っていてくれ』
「十時ですね。わかりました」
『では、そういうことで。よろしく頼む』
「はい。失礼します」
 電話の向こうでツーツーと音がするのを確認した後、優作は電話の切りボタンを押した。
 電話を切った後、優作の表情が非常に強ばっていたので、声をかけるのが何となく恐い。
 依頼から三週間。優作からフェイクの経過報告を三度ほどしたことはあるが、黄仲正からの接触は一度もなかっただけに、突然の呼び出しが何を意味するのか。
 電話の内容がどんなものか知らない悠人は、さらに不安でたまらない。
 不安から、悠人はたまらず優作の胸に飛び込み、腰を手に回して抱きつく。
「優作……。叔父さん、何だって……」
「たいしたことじゃない。渡航日程が前倒しになったから、これからのことを会って話がしたいってだけだ」
 火をつけていない煙草をくわえたまま、優作は悠人の頭を抱き締めた。
「そうなんだ……」
 そう呟く悠人の表情は、少し安堵が混じっていた。
 このまま所在を知れずに逃げ切れば、黄仲正は本土に行ってしまう。
 逃げ切ることができれば、これからもずっと優作と一緒にいられる。
 ほっとした表情を浮かべている悠人とは正反対に、優作の表情は相変わらず固い。
「どうしたの?」
 眉をひそめて、何やら落ち着かない様子の優作に、悠人は不思議そうに顔を上げた。
「いや。ちょっと妙だと思ってさ」
「何が?」
「この三週間、まったく連絡をよこさなかったのに、突然連絡があったと思ったら話は本土行きのことだ。それに……」
「それに?」
 優作につられて、悠人の表情も強ばってきている。
「普通ならまず、依頼の進展について聞いてくる。それなのにヤツは、おまえの話を一言もしなかった。急いで電話を切りたかっただけかもしれんがね」
 優作の言葉に、悠人の顔が一瞬で青くなる。
 言葉の意味を瞬時に理解したからだ。
 もしかしたら、黄仲正はすでに悠人の所在を知っていて、そのことで優作に話を付けるつもりなのかもしれない。
「あと一時間したら出ようと思う」
 自ら罠である可能性を示唆しながらも、優作は敵陣に乗り込むと言い出した。
 悠人は驚いて顔を上げ、細かく首を横に振った。
「優作……、行っちゃダメだ」
「そうはいかない。相手が何を考えているのかわからないが、これからのおまえのためにも、こっちも話を付けておく必要はある」
「で、でも」
「言っただろう? おまえはオレが守るって。それに、逃げの一手が通じる相手じゃない以上、こちらから乗り込むしかないんだ」
「でも……」
 そう言われても、悠人は不安でたまらない。
 優作を抱き締める手に、自然と力がこもる。
「大丈夫だって、心配するな。な?」
 優作は悠人の背中を優しくさすり、念を押すように語尾を強めた。
 それでも悠人は不安だった。
 悠人が不安がるのも無理はない。
 黄仲正の恐ろしさを知っているのは、他ならぬ悠人自身なのだ。
 だからとっいって、尻尾を巻いて逃げるわけにはいかない。
 黄仲正から逃げられるわけでもなし、何より優作の性分ではない。それに、逃げるのが解決になるとは、とても思えないのだ。
 優作はくわえていた煙草を手に持ちかえると、悠人を抱き締める手に更に力を込めた。
「それに前に言っただろう? 逃げることが解決にならないってことは」
「……」
 悠人は押し黙ったまま、優作の胸に顔を埋める。
「とりあえず出かける準備をしよう。悠人は<トワイライト>にいてくれ。終わったら迎えに行くよ」
「うん……」
 相変わらず不安だらけではあるものの、優作が行く気になっているのを止めることはもはやできないと悟った悠人は、仕方なくこくりと頷いた。


探偵物語

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