「たでーまー」
「あら、お帰りなさい。遅かったじゃないのよ」
「またなくなるのイヤだから、カートンで売っているとこ探してた」
 優作は煙草のカートンをその辺に放り投げ、さも当然のように悠人の隣に腰を下ろした。
「ところで悠人。大丈夫だったか? このおっさんに、何か変なことされなかったか?」
 悠人に心配そうな顔をしてみせ、マサを親指で指さしている優作に、マサは少なからずむっとして口を出す。
「ちょっとぉ。それはないんじゃないの?」
 マサの反応がおかしく、優作はからかい半分ににやにやと笑って応えた。
 からかわれたと知って、余計にむっとしたマサは、鞄から請求書を取り出し、優作に投げよこす。
「アタシもここに遊びに来たわけじゃあないんだから。景気のいいところで、耳そろえて払ってよね」
「景気がいいってわけでもないんだがなぁ」
 優作はぶつくさ言いながら、請求書を睨んだ。
 その脇から悠人が申し訳なさそうに、請求書をのぞき込む。
「マサちゃ〜ん。これ、計算間違ってない?」
「間違ってないわよ、バカ」
「だって、細かい端数がないなんて、変じゃんか」
「サービスしてあげてんのよ! 文句があるなら、消費税分もしっかり取るからね!」
 なんとか支払いをごまかそうとあれこれ言う優作に、マサはピシャリと言い放つ。
 しばらく二人が支払いでもめていると、一時席を中座していた悠人が財布片手に戻ってきた。
 財布の中から一万円札を数枚出すと、すっとマサに差し出した。
「マサさん、これ。足りると思うけど、一応確かめて」
「え?」
 優作とマサが同時に声をあげた。
「ゆ、悠人クンはいいのよぉ。ツケをためてた工藤ちゃんが悪いんだから」
「そーそー。オレだって、払えないことはないと思うし……たぶん、どーかなぁ」
 さすがに最後の方の言葉は濁している優作だが、いくら何でも悠人に払わすわけにはいかない。
 だが、彼の叔父から預かった必要経費に手を着けるのも、何となく癪だし……
 優作のセコい心の葛藤を見抜いたわけではないが、悠人は首をふるふると振って、お金をマサに差し出す。
「いいんだ、受け取ってよ。オレだって、何もしないで優作の世話になるだけなのは、イヤだし」
「でも……」
「いいから。これは、オレから優作へ、叔父さんから守ってもらう報酬の一部として、どうしても受け取ってほしいんだ」
 悠人が伏し目がちにそう言うと、優作とマサは顔を見合わせた。
 少しして、マサの手が悠人の差し出したお金を掴んだ。
「わかったわ。じゃあこれは、悠人クンから工藤ちゃんへ。そして工藤ちゃんからウチに、ということで受け取っておくから」
「あ、おい。待てよマサ。やっぱりオレが、ちゃんと払うから」
「無理しないの。それより工藤ちゃん、ちゃんと悠人クンのこと、守ってあげなさいよ」
 マサはウインクをしてそう言うと、領収書をテーブルの上に置き、さっさとドアの方に足を向けていった。
「アタシも今日はデートだから、これで退散させてもらうわね。ああ、それから工藤ちゃん」
「あんだよ」
 結果的に悠人に支払わせてしまったのが気にくわない優作は、むくれたように返事をした。
「たまには、綺麗なブティックホテルにでも、悠人クン連れてってあげたら? こんな汚い部屋でエッチなんて、悠人クンがかわいそうよ」
「なっ……?」
 耳まで真っ赤になって、悠人が短く叫んだ。
「余計なお世話だ、バカたれ! 用が済んだらとっとと帰れ!」
 優作は丸めた請求書をマサに向かって投げつけたが、マサはすでにドアの向こうに行ってしまった後だった。
 ドアの向こうから、小さく甲高い声で「毎度あり〜」というマサの声が聞こえた。
 しばらくの間、部屋の中に気まずい空気が流れた。
 優作も悠人も、お互い何を喋っていいのやら、頭の中で模索している。
 やがて、優作が煙草に火をつけながら口を開いた。
「なんだ、その……。支払わせて悪かったな。後でちゃんと返すから」
「い、いいんだよ、そんなこと。気にしないで」
「そういうわけにもいくめぇ」
「ほんと、気にしないでよ。それに……」
 少しの間言葉をため、悠人は話を続けた。
「優作が今持っているお金って、たぶん叔父さんからあずかっているものでしょ? 優作が叔父さんのお金に手を着けることになるのは、何となくイヤだから……」
 優作は自分もそういうことを考えていただけに、悠人の言葉は嬉しかった。
 だが、それとこれとは話は別である。
 悠人の長い前髪をくしゃりと掻き上げると、優作はにこりと笑ってみせた。
「ありがとな。気持ちだけは受け取っておくよ。だが、金だけは必ず返すから」
 カッコつけで強情で照れ屋な優作だから、守るべき悠人に借りを作るのはイヤなのだ。
 悠人はマサの言葉を思い出し、それ以上反論はしなかった。
 ただ、小さくこくりと頷くと、優作に身体を寄せて応える。
 頬を赤く染めて自分に身体を寄せる悠人の仕草が可愛らしく、優作は肩を抱き寄せた。
「優作……妹さんいるんだってね」
「マサかよ。そーゆー余計なこと言うのは」
 苦虫をかみつぶしたような顔で優作が紫煙をふかす。
 カッコつけで照れ屋の優作が、家族のことを聞かれるのは、あまりいい気分ではないのかもしれない。
 それでも悠人は、優作の口から直接聞きたかった。
 優作が必死に守った女性のことを。
「どんな妹さんなの?」
「どんなって……。オレに似て美人だよ。泣き虫で、口うるさくて、強情だけど、控え目ながらよく気が付くんだよな。前はよく、事務所の掃除がてら遊びに来たけど、こないだ子供産まれてからはご無沙汰だな」
 肉親に対する悪口も多少混じってはいたが、これも優作なりの愛情表現なのかもしれない。
 マサは似ていないと言っていたが、優作は似てると言っているあたり、そのことが伺える。
 ちょっぴりいい雰囲気が流れ出したそのとき、優作の胸ポケットから携帯電話の着信音が鳴り響いた。
 不意のことで悠人はちょっと驚いたが、電話の持ち主は明らかに着信音に警戒していた。
 胸ポケットから電話を取り出し、優作は着信ボタンを押して電話に出た。
「はい。工藤です。……あ、黄さんどうも」
 優作の言葉に、悠人は金縛りに会ったように身体を硬直させた。
 優作もそれを承知して、悠人に向かって人差し指に口を充てて静かにするよう促した。
「はい、はい……いえ、生憎ですが……申し訳ない。……いえ、こちらこそ」
 どのような会話がなされているのかは大体想像はつく。
 おそらく、黄は悠人捜索の経過報告を聞くために電話してきたのだろう。
 守ると言ってくれた以上、優作は悠人のことを報告はしないだろう。
 それでも悠人は叔父の魔手がすぐ側にあるようで、恐怖に身体をすくめていた。
「……え? 二十日に? ……はい、わかりました。それまでには何とか……はい、それでは」
 優作は電話を切ると、明らかに怖がっている様子の悠人に、少々おどけ口調で話しかけた。
「オレさぁ、いままで携帯って持ったことなかったんよね。そしたらおまえの叔父さん、プリペイドだけどってコレ貸してくれたよ」
 そう言って優作は、今まで使っていた携帯電話のアンテナ部分を持って、ぷらぷらと振り回す。
「しっかし、あのオヤジも油断も隙もないというか、警戒心が強いというか……。こっちからの連絡方法どう指定したと思う? メールだぜ。しかも携帯の」
 悠人を気遣って、おどけ半分に捲し立てるが、悠人はまだ不安そうな表情を崩せずにいた。
 ふっと重いため息を吐いた優作は、改めて悠人の方に向き直る。
「おまえとの約束は守るよ、必ず。だけど、おまえもオレにひとつ約束してくれないか?」
「え?」
 いきなりまじめな口調で語りかける優作に、悠人は思わず顔を上げる。
「オレがいくら気を張っておまえを守るって言ったところで、悠人が信じてくれなければ意味がない。だから、悠人もオレのこと信用してくれ」
「そんなこと……」
「約束してくれるな?」
 まじめな顔で真っ直ぐに悠人を見つめるその瞳には、一遍の曇りもない。
 痛いぐらい真っ直ぐな視線に、悠人は顔を背けそうになったが、悠人の顔を覆う優作の掌は逃がしてはくれなかった。
 深い漆黒の瞳に吸い込まれそうになりながらも、悠人は震える喉から必死で声を絞り出した。
「……わかったよ」
「よし。約束したからな」
 子供のような無邪気な笑顔に戻った優作は、そのまま悠人の顔を自分に近づけ、軽くキスをした。
 強引だったが、甘く優しいキスが、悠人は少し嬉しかった。



探偵物語

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