しばしの沈黙が事務所中に流れた。
 優作は沈黙に耐えかね、煙草を吸おうとYシャツのポケットを探るが、煙草はそこにはなかった。
 胸や尻のポケットに手を当てたり、テーブルの上を引っかき回しても、煙草は出てこない。
「マサー。煙草持ってない?」
「ないわよ」
「しょーがねぇ。買ってくるよ」
「それはそうと、いい加減払ってよね、ツケ。でないとアタシ、今日帰れないのよ」
「おいよォ」
 何となくいたたまれなくなった優作は、煙草が切れたのを理由に、この場を中座した。
 気のない返事をした優作が、事務所のドアがバタンと閉めて出ていくと、必然的に悠人とマサは二人きりになってしまった。
 マサを観察するようにじっと見つめる悠人の視線が気になり、マサは口を開いた。
「どしたの?」
「マサさんって、優作とはどういう……」
「ああ。そのこと? 本当に腐れ縁なのよ。保育園からね。工藤ちゃんは、お父さんの仕事柄、東アジア各地を転々とすることが多かったけど、日本に戻ってくるたびに、いっつもクラスが一緒。示し合わせたつもりはないのに、高校も大学も一緒。仕事場も近かったときは、もうお互い諦めたわ」
 マサは苦笑いを浮かべながら、バッグから煙草を取り出すと、口にくわえた。
 それを見た悠人は、不思議そうな顔をしてマサに尋ねた。
「あれ? さっき、煙草持ってないって……」
「ウソよォ。工藤ちゃんったら、すぐヒトにたかろうとするんだもの。それに悠人クン、アタシに用があるんでしょ?」
「え?」
「工藤ちゃんがいると、聞けないこと。煙草がなくなったのは、工藤ちゃんが席を外すいい機会だったわ」
 一瞬どきりと心臓が高鳴った悠人に、マサはにっこり笑いかけ、煙草に火をつけた。
 仕事柄、酒を飲まねばやっていられないというお客を相手にすることも多い。必然的に飲まねばならないお客の心情を見越して、気持ちよく店を出てもらうための気配りが求められる。様々な経験に裏打ちされたマサの読心術が、ここでも発揮されたのだ。
 心を見透かされたようで何となく恐くなった悠人は、しばらく伏し目がちになって黙っていたが、やがて好奇心のほうが勝ち、悠人は顔を上げた。
「……さっき、マサさんが何か言いかけたとき、優作が止めたでしょ。あのとき、マサさんが何て言いたかったのか聞きたくて」
 マサは優しい瞳で悠人を見つめると、紫煙を吐きながら答えた。
「工藤ちゃんてば、カッコつけのクセに照れ屋で強情だからね。自分が褒められるのをすっごく嫌がるのよ。だからアタシ、口止めされたんだけど」
 そこまで言うと、マサは再び煙草をくわえ、すっと煙を吸い込んだ。
「工藤ちゃん、妹がいるのよ。久美ちゃんっていうんだけどね」
 それからマサは、延々と優作の事情を話し始めた。
 優作の両親も離婚していること。最初は母と一緒に香港にいたが、どうしても香港になじめない久美を母は快く思っていなかったこと。日に日にやつれていく久美が不憫で、優作は妹を連れて父親のいる日本に戻ってきたこと。そして、今は結婚して、子供もいて、幸せに暮らしている久美だが、母親とのわだかまりは未だに続いていることも。
「優作も香港の家の跡取り問題とかで大変だったんだけど、久美ちゃんのほうが心配で、日本に来たのよ。まあ、久美ちゃんのことは妹だから当然というのもあるけれど、他人を思いやる気持ちは人一倍強いわよ」
「うん……」
 言われて、悠人は思った。
 会って間もない自分に、ここまで優しくしてくれた優作のことを。
 優作が悠人に近づいたのは、黄からの依頼のせいばかりではなく、家出中の悠人を不憫に思ったからだ。
 何より、優作が自分と同じ一半一半だと知って、優作に対する親近感が増していった。
 セックスは余計だったかもしれないが、肉体から繋がったとはいえ、惹かれ合うのは必然だったのかもしれない。
 そして、一半一半は悠人や優作だけではなかった。
 優作が悠人に同情したのは、悠人と妹が何となく似ていたからかもしれない。
 だが、そんなことは悠人はもちろん、当の優作もわかっているのかどうか。
「優作、妹さんいたんだ」
 呟くように悠人は、そう言った。
 煙草の火を消して、マサは頷いた。
「そーよ。優作とは似てもにつかない、大人しくて可愛い子なのよ。年も、あなたと近いんじゃないかしら?」
「そうなんだ」
 悠人がそう返答した時、事務所のドアが開いて、優作が煙草のカートンを持って入ってきた。
 口にはすでに、火のついた煙草をくわえている。



探偵物語

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