優作が目が覚めたとき、部屋を照らす日差しが大分強くなっていた。
「んあ…、何時だ……?」
 寝ぼけ眼で壁に掛けてある時計を見ると、お昼をとうに過ぎていた。
 朦朧とした頭の中で、ああ、もうお昼かぁ、などと考えながらだれていたが、昨晩置いてきた愛車のことを思いだし、慌ててベッドから起きあがった。
 優作が慌てて飛び起きたので、横で寝ていた悠人がけたたましさに目を覚ました。
「……どしたの、工藤さん?」
「いや、マサの店にバイク置きっぱなしにしてたから。早く取りに行かないと、愛するベスパちゃんが、お巡りにしょっぴかれちまうかもしれないからな」
 優作はそう言いながら、Yシャツを着てネクタイを締めると、手櫛で髪の毛を整えた。
「悠人はまだ寝ててもいいけど、もし起きるなら、足下気をつけろよ。まだ破片を片付けていないからな。ベッドの脇にサンダル置いとくから、それを履いとけ。あと、冷凍庫の中にパンがあったと思ったから、腹減ったら食ってていいぞ」
 黒のスーツをはおり、帽子をかぶると、入り口のドアに急いだ。
 ドアの取っ手を手にしたとき、何やら思うところがあったのか、振り返って悠人に顔を向ける。
「それからな……。今朝、ああは言ったけど、悠人がここにいたくないなら、いつでも出ていいからな。ドアは開けっ放しにしていていいから。じゃあ、行って来るよ」
 それだけ言うと、優作は振り返りもせずドアを閉め、急ぎ足で階段を駆け下りた。
 急ぎ足で中華街の大通りを駆け抜けながら、優作は先程自分が言った言葉を繰り返す。
 落ち着いて考えてみれば、自分は悠人の叔父に雇われた探偵で、しかも悠人を犯している。
 いくら悠人が誰にも言ったことがないという身の上話を聞かせてくれたとはいえ、優作を信じる道理はない。
 このことを黄に報告するつもりは毛頭ないが、それとて悠人が信じる義理もない。
 昨日、石川町駅で会ったときから、何となく気になる存在であったし、守ってやりたい気持ちもある。いや、ずっと一緒にいたい思いでいっぱいなのだが、それを決めるのは悠人だと、優作は自分に言い聞かせた。
 あれこれ考えているうちに『Bar トワイライト』の裏口に着いた。
 幸い、ベスパはまだその場に置いてあった。
「助かったぁ」
 優作は安堵のため息をもらし、ベスパのキーを差し込んだとき、ふと背後に人の気配を感じた。
 ただならぬ気配に、あわてて振り返った優作の眼前に、腕を組んで仁王立ちしているマサの姿があった。
「や、やあ。マサちゃん。おっはよー。今日は早いじゃん」
 精一杯可愛らしい声で挨拶をする優作だったが、太い声の優作がやっても返って気持ち悪いだけである。
「おっはよー、じゃないわよ。今何時だと思ってンのよ。それに、アタシは今日は早番なの」
「わりーわりー。ちょっと寝過ごしちゃって……」
 眼前で手を合わせ、必死で拝み倒す優作に、マサは呆れた様子で見つめていた。
「まあ、いいわ。でも、これっきりにしてよね。さっき警察官が通りかかったとき、どうしようかと思ったんだから」
「げ、マジ?」
「自転車巡査さんだったから、ただの巡回パトロールかもしんないけどね」
 そういって意地悪そうにニタニタ笑うマサに、優作はむっとしながらもバイクを置かしてくれたマサに感謝はしていた。
「ところでさ、工藤ちゃん。ゆんべの子なんだけど……、あれからどうしてる?」
 マサは話題を変えて、神妙な顔で優作に詰め寄った。
 バイクに手を掛けたまま、優作もマサに頭を寄せる。
「まあ、その……いろいろあったけどね。たぶんまだ、うちにいるよ」
「たぶんって、何よ」
 少々言葉を濁して答える優作に、呆れた口調でマサが尋ねる。
「バレたんだよ。オレが探偵で、しかもあいつを探していたってこと」
「あら? 工藤ちゃんって、探偵だったの?」
「キミね……。話の腰、折らないでくれる?」
 話の途中で痛すぎるほど鋭いツッコミを入れてきたマサに、優作は眉をひそめた。
 マサはころころと笑って、優作の反応を面白がる。
「あら、ごめんなさぁい。じゃあ、依頼人には言ってないの?」
「言えるかよ。義務はあるかもしれないが、オレはお断りだ」
 かなりご立腹したような口調で、優作は吐き捨てるように言った。
 マサは何でかと尋ねたが、優作はいくらマサにでも、悠人の身の上話を聞かせるのは、かなりためらった。
「どうしたの? 工藤ちゃん」
 不安げにマサが優作の顔をのぞき込む。
 しばらく考えてから、優作は顔を上げて話し始めた。
「あのさ、マサ。久美のヤツが、お袋にあまり会いたがらないようなもんだって言えば、わかってくれるかなぁ」
「久美ちゃん……。ああ、そういうことなの」
「だけど、悠人の場合、もっと状況がひどいんだ」
 神妙な顔で優作はそう呟いたが、マサの顔は急にぱっと明るくなった。
「あら、あの子、悠人クンって言うの。かわいい名前じゃなぁい」
「……おまえね」
「まあ、せいぜい頑張って悠人クンを守ってあげなさいよ。じゃ、アタシ仕事だから」
 そう言ってマサは優作に手を振ると、店の裏口の鍵を開け、中に消えていった。
「ちぇっ」
 優作は不満そうにそう舌打ちをすると、ベスパのエンジンをかけて、事務所に向かって走らせ始めた。
 事務所に着くと、優作はドアを開けて部屋中を見回した。
 ガラスの破片などはきれいに片付けられていたが、掃除をしてくれたと思われる悠人の姿は見あたらなかった。
 まあ、仕方ねぇか。
 あきらめ半分といったかんじで優作はため息を洩らし、ソファーに腰掛けて煙草に火をつけた。
 依頼の期限は一ヶ月。期限が切れるまでに悠人が見つからないと言えば、黄に会わせないことも可能だ。
 例え自分に対する評価が落ちたとしたって、悠人がイヤな思いをするよりマシだ。
 まあ、成功報酬は惜しい気もするが……
 そんなことをぼーっと考えながら、煙草を一本灰にした。
 足早にもう一本を口にくわえ、火をつけようとしたそのとき、事務所のドアがかちゃりと開いた。
「あ、帰ってたんだ。ビルの入り口にバイクがあったから、そうじゃないかと思ってたけど」
 そう言って入ってきたのは、悠人だった。
 両手にたくさんの袋をぶらさげ、事務所に入ってくるなり袋を下ろし、重い荷物を持って痛くなった手をぷらぷらと振り回す。
「冷凍庫の中どころか、ここ食べ物何にもなかったから、適当に買ってきちゃったよ。あと、飲み物も。アルコールしかないんだもん」
 悠人は荷物の中から麦茶のペットボトルを二本出すと、冷蔵庫を開けて中に入れた。
 呆然と立ちつくす優作を後目に、冷蔵庫に入れるべく他の食材もきちんと詰めていく。
「昨晩はいっぱい散らかしてごめんね。とりあえず、ガラスや蛍光灯の破片だけは掃除したけど、後はこれからやるから」
「悠人……」
「あと、蛍光灯壊しちゃったから、電気屋さんに直してもらうように頼んできたから。それと……」
 口早に喋る悠人に、優作は思わず手を伸ばし、抱きすくめた。
 突然のことに、悠人は思わず身体を強ばらせたが、すぐに優作の腰に両手を回して応えた。
「出ていったんじゃなかったのか?」
 恐る恐る尋ねる優作に、悠人はにっこり笑って答える。
「工藤さん、オレのこと守ってくれるって言ったじゃない」
「でもオレ……、悠人のこと犯したんだぜ?」
 心配そうに尋ねる優作に、悠人は精一杯背伸びをして頬にキスをした。
「あんなに気持ちよくて、心温まるセックス、工藤さんが始めてだよ……」
 恥ずかしそうに答える悠人に、優作がキスのお返しをした。
 今度は口に、激しくも甘く優しいキスを。
 お互いに貪るように激しいキスをした後、どちらからともなく名残惜しそうに唇を離す。
「工藤さん……」
「優作でいい」
 優作は悠人の耳元でそう囁くと、耳たぶに軽くキスをした。
 耳にかかる甘い息の感覚に、悠人は思わず身体をびくりと痙攣させる。
「優作……」
「んー?」
 噛みしめるように優作の名前を呟く悠人の前髪を、優作がくしゃりと掻き乱す。
 悠人は愛しいものを見つめる優しい瞳で、優作を見上げた。
「優作…。…愛してる」
「オレもさ、悠人」
 二人はお互いの瞳を見つめ合うと、同時に笑い、再び唇を重ねた。


探偵物語

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