夕陽がビル群の中に沈みきった頃、<トワイライト>のネオンが光る。 待ちかねたように<トワイライト>のドアを、本日の一番客が開けた。 「いらっしゃいませー」 落ち着いた声で客を迎えるマサ。普段の裏声からは想像もできない。だが、滅多に見られない男らしい表情も、一番客が優作だとわかると、途端に崩れる。 「なんだ、工藤ちゃんか」 「客に向かって、なんだはねーだろ」 ふてくされてカウンターにどかりと座り込む。むっつりとして元気がない。マサは直感で優作に何かあったと感じた。ここ数日のことを考えれば、英斗がらみである可能性は充分だ。 だが、マサはあえて優作にそのことを聞かない。 「何にする?」 「マイアミ」 単刀直入な注文。マサが目を丸くして驚く。 「珍しいわね。工藤ちゃんがカクテルだなんて」 「たまには飲むさ」 優作の言葉は淡々としすぎて感情がない。やはり、何かあったのだろう。 マサは棚からグラスを出し、ホワイトラム、コアントロー、レモンジュースを取り出す。ふと思い当たることがあって、はっとした顔つきで優作を見る。優作は無表情に煙草を吹かしていた。 「工藤ちゃん……」 優作は返事をしない。生気のない瞳で、カウンターの中を見ていた。カクテルができるのを待っている。マサは深いため息をつくと、材料と氷をシェーカーにいれ、艶めかしい手つきでシェーカーを振った。 グラスにできあがったカクテルを注ぎ、優作に差し出す。 「まさか工藤ちゃん、リップ・ヴァン・ウィンクル気取りってわけじゃあないでしょ? アタシは妖精じゃないわ」 「飲みに来て、いきなりXYZ注文するわけねえだろ」 「本当は飲みたい気分なのね」 「ああ」 優作は差し出されたグラスに口を付けた。甘くほろ苦く、それでいて少しの酸味。思い出すのは英斗のこと。優作は深いため息をつき、一気にグラスを空にした。 重い沈黙。 優作はグラスをあげて、二杯目を要求する。マサは黙って同じカクテルを作り始めた。二杯目のカクテルが注がれる。優作がグラスを手に掛けたその時、店のドアにかかっている鈴が鳴った。 手に手に楽器を持った男たちが、ぞろぞろと入ってくる。その中に、サックスを持った柴の姿もあった。 「こんばんわー。マサちゃん、マスターは?」 「あら、こんばんわ。マスターなら、いま裏にいるわ。すぐ来るわよ」 言われた通り、マスターがすぐに顔を出した。中年を目前に控えた、眉の太い男性。落ち着いた雰囲気がこの店と調和する。柴たちと目が合うと、にっこりと笑って挨拶をした。 「こんばんわ。久しぶりだね、このメンツは」 「相変わらず悦子はいないけどね」 苦笑混じりで柴が答える。乾いた笑いが店内に響いた。 「でもまあ、そのかわりと言っては何だけど、今日は工藤くんがいることだし」 マスターはそう言って、優作に目配せする。深いため息を付いて、優作が肩をすくめる。 「今日はそんな気分になれないんだけどね」 「そんなこと言わないで。優ちゃんの好きな曲、演ってもいいから」 「工藤くんが好きな曲というと……」 トランペットを持った長髪、顎髭の男がニヤリと笑う。 「やっぱりアレだよね」 ベースを取り出す細面の男。ポケットからブルースハープも取り出した。 喜々として演奏準備を始めるバンドの面々。優作もまた、ため息を付いて立ち上がると、店の隅に置いてあるピアノへと足を運ぶ。ドラムには、すでに小太りの眼鏡男がスタンバイしていた。 「さて、行くぞ」 ドラムがカウントを取る。 ブルースハープ。一斉に始まる演奏。 曲目はSHOGUNの"BAD CITY"。二〇年以上前のテレビドラマの主題歌。松田優作主演の『探偵物語』。工藤優作の原点でもある。 心の内のすべてを吐き出すように、優作は自分の気持ちをピアノにぶつけた。短い間だったが、英斗との濃密な日々と激しい愛。そして別れ……。 演奏が終わっても、優作はピアノを弾き続けた。 曲目は同じくSHOGUNで"LONLY MAN" 。優作独自のアレンジをくわえた、悲しく切ない響き。英斗に捧げる音楽。だが、英斗はここにはいない。もう会うこともないかもしれない。それでも優作は、彼に対する想いの内をピアノの調べに託す。 店内のすべての人たちは、黙って優作のピアノを聞いていた。 山下公園に汽笛が響く。 |