◆ ダウンタウンブルース [02]

 夕陽がビル群の中に沈みきった頃、<トワイライト>のネオンが光る。
 待ちかねたように<トワイライト>のドアを、本日の一番客が開けた。
「いらっしゃいませー」
 落ち着いた声で客を迎えるマサ。普段の裏声からは想像もできない。だが、滅多に見られない男らしい表情も、一番客が優作だとわかると、途端に崩れる。
「なんだ、工藤ちゃんか」
「客に向かって、なんだはねーだろ」
 ふてくされてカウンターにどかりと座り込む。むっつりとして元気がない。マサは直感で優作に何かあったと感じた。ここ数日のことを考えれば、英斗がらみである可能性は充分だ。
 だが、マサはあえて優作にそのことを聞かない。
「何にする?」
「マイアミ」
 単刀直入な注文。マサが目を丸くして驚く。
「珍しいわね。工藤ちゃんがカクテルだなんて」
「たまには飲むさ」
 優作の言葉は淡々としすぎて感情がない。やはり、何かあったのだろう。
 マサは棚からグラスを出し、ホワイトラム、コアントロー、レモンジュースを取り出す。ふと思い当たることがあって、はっとした顔つきで優作を見る。優作は無表情に煙草を吹かしていた。
「工藤ちゃん……」
 優作は返事をしない。生気のない瞳で、カウンターの中を見ていた。カクテルができるのを待っている。マサは深いため息をつくと、材料と氷をシェーカーにいれ、艶めかしい手つきでシェーカーを振った。
 グラスにできあがったカクテルを注ぎ、優作に差し出す。
「まさか工藤ちゃん、リップ・ヴァン・ウィンクル気取りってわけじゃあないでしょ? アタシは妖精じゃないわ」
「飲みに来て、いきなりXYZ注文するわけねえだろ」
「本当は飲みたい気分なのね」
「ああ」
 優作は差し出されたグラスに口を付けた。甘くほろ苦く、それでいて少しの酸味。思い出すのは英斗のこと。優作は深いため息をつき、一気にグラスを空にした。
 重い沈黙。
 優作はグラスをあげて、二杯目を要求する。マサは黙って同じカクテルを作り始めた。二杯目のカクテルが注がれる。優作がグラスを手に掛けたその時、店のドアにかかっている鈴が鳴った。
 手に手に楽器を持った男たちが、ぞろぞろと入ってくる。その中に、サックスを持った柴の姿もあった。
「こんばんわー。マサちゃん、マスターは?」
「あら、こんばんわ。マスターなら、いま裏にいるわ。すぐ来るわよ」
 言われた通り、マスターがすぐに顔を出した。中年を目前に控えた、眉の太い男性。落ち着いた雰囲気がこの店と調和する。柴たちと目が合うと、にっこりと笑って挨拶をした。
「こんばんわ。久しぶりだね、このメンツは」
「相変わらず悦子はいないけどね」
 苦笑混じりで柴が答える。乾いた笑いが店内に響いた。
「でもまあ、そのかわりと言っては何だけど、今日は工藤くんがいることだし」
 マスターはそう言って、優作に目配せする。深いため息を付いて、優作が肩をすくめる。
「今日はそんな気分になれないんだけどね」
「そんなこと言わないで。優ちゃんの好きな曲、演ってもいいから」
「工藤くんが好きな曲というと……」
 トランペットを持った長髪、顎髭の男がニヤリと笑う。
「やっぱりアレだよね」
 ベースを取り出す細面の男。ポケットからブルースハープも取り出した。
 喜々として演奏準備を始めるバンドの面々。優作もまた、ため息を付いて立ち上がると、店の隅に置いてあるピアノへと足を運ぶ。ドラムには、すでに小太りの眼鏡男がスタンバイしていた。
「さて、行くぞ」
 ドラムがカウントを取る。
 ブルースハープ。一斉に始まる演奏。
 曲目はSHOGUNの"BAD CITY"。二〇年以上前のテレビドラマの主題歌。松田優作主演の『探偵物語』。工藤優作の原点でもある。
 心の内のすべてを吐き出すように、優作は自分の気持ちをピアノにぶつけた。短い間だったが、英斗との濃密な日々と激しい愛。そして別れ……。
 演奏が終わっても、優作はピアノを弾き続けた。
 曲目は同じくSHOGUNで"LONLY MAN" 。優作独自のアレンジをくわえた、悲しく切ない響き。英斗に捧げる音楽。だが、英斗はここにはいない。もう会うこともないかもしれない。それでも優作は、彼に対する想いの内をピアノの調べに託す。
 店内のすべての人たちは、黙って優作のピアノを聞いていた。
 山下公園に汽笛が響く。




探偵物語

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