◆ ダウンタウンブルース [01]

 翌日の午前中、優作は中華街大通りにある茶房で、碧螺春を飲りながらゲームボーイにいそしんでいた。小学生の友人に、ポケモンを育てて欲しいと頼まれていたからだ。
 結局、あれから一睡もできなかったが、コーヒーを飲む気分にもなれず、こうして中国喫茶の片隅で、ぼーっとゲームをしている。動かす手とは別に、頭の中は英斗のことでいっぱいだった。
 英斗が欲しかった。奪い取りたかった。しかし、それができない臆病な自分がいた。
 それだけのことだ。
 ゲーム機を片手に蓋碗を取り茶をすする。
 何度も英斗の面影を払拭しようとするが、うまくいかない。画面の中で、育てている最中のポケモンが負けた。慌てて電源を落とし、セーブしたところからやり直す。
 優作の前の席に、誰かが座った。驚いて顔を上げる優作に、相手は屈託のない笑顔で応える。
「よっ、優ちゃん」
「なんだ、柴さんか」
 つまらなそうに眉をしかめる優作に、酒屋の若旦那は苦笑を洩らしてテーブルに肘をかけた。優作は再びゲームボーイに目をやり、ゲームを再開する。
「なんだはないだろ? にしても、優ちゃんとゲームって、似合わないよなぁ」
「涼に頼まれたんだよ。レベル上げ」
「そんなことまで仕事にしているのか?」
「子供から金を巻き上げるほど、極悪人じゃないつもりだよ。そのかわり、翔子ちゃんとのデートの打診をしてくれるって約束だけどね」
「翔子……ああ、本屋の娘か。女子大生の。あの娘、彼氏いるんだろ?」
「マジ?」
 優作が眉をしかめて顔を上げる。目の前に、得意げな柴の顔。
「こないだ、横浜の東急ハンズで、男と歩いているのを見たぜ。すっげー仲良さそうに、腕なんか組んじゃってさ」
 呆然と天井を見上げる優作。電源を入れたままゲームボーイを放置し、テーブルの上に突っ伏す。
「……なんか、やる気無くした」
「そう言うなよ。どんな仕事でも、依頼は依頼だろが」
「そーだけどさぁ……」
「どうした、優ちゃん。さっきから、元気ないじゃん」
「フラれたばっかで元気ないの、オレ」
 頭を抱えて突っ伏す優作を、柴は豪快に笑い飛ばす。まるで毎度のことと言わんばかりに。優作は口を尖らせて、柴を睨む。
「笑うな」
「はは。悪りぃ悪りぃ。そんなに翔子ちゃんのこと本気だったのか?」
 どうやら柴は、優作の恋の相手を翔子と勘違いしていたらしい。
「翔子ちゃんじゃないよ……。柴さんの知らない人」
「慰めてくれる女性(ひと)とかいないのかね?」
「いねえから、こんなところでポケモンとデートしてんじゃんか」
 やる気のなさそうに、片手でゲームボーイを操作する優作を、柴はニヤニヤと見つめていた。ウェイトレスが柴の注文した西湖龍井茶を運んでくる。
「まあ、そんなに気を落とすな。それより、今日の夜、空いてるか?」
「……空いてる」
「なら、今晩<トワイライト>に来いよ。久しぶりにメンツ揃えて演ろうぜ」
 柴がサックスを吹く手つきをして、優作を見る。優作はやる気なさそうに、ノッてる柴をぼーっと見つめていた。
「やる気ねえなぁ」
「そういうなよ。こんなときこそ、ガーッと演奏したほうが、気分晴れるって。な? ウチのバンドに、優ちゃんのピアノが加われば、最強だぜ」
「ピアノって……悦っちゃんはどうしたの?」
「また旅行だってさ。ったく、メンバー集合の時には、いつもいねえ。悦子のヤツをクビにすんから、優ちゃんメンバーに入らない?」
「かんべんしてよ……」
 疲れたように優作が呟く。コイキングのレベルが20になった。進化しようとしているところを、Bボタンを押して進化を止める。柴は龍井茶をすすると、ニヤリと笑う。
「まあ、それはともかくとして。今夜は来いよ。失恋のやけ酒くらい、おごってやるって」
「気が向いたらねぇ」
 素っ気ない優作の返事。視線はゲームボーイに注がれている。柴は思わず苦笑を洩らした。
「待ってるからな」
 そう言って柴が席を立って、店を出た。テーブルには、龍井茶の伝票を残したままで。
「ったく、何がやけ酒おごってやるからだ」
 怒りの混じった声で、優作が呟く。優作はゲームをセーブして電源を落とすと、二つの伝票を持って席を立った。




探偵物語

<<back   top   next>>