◆ 暴走儀式 [02]

「なあ、英斗……」
 精一杯優しい声で英斗の名を呼ぶ優作。どことなく憂いをおびている。
「オレたちは嘘をつきすぎた。嘘で固めすぎると、どれが真実で、どれが本当だったのか、わからなくなってくる。だから、どうしていいのかわからずに、他人に牙を剥いたり、自分を傷つけたり、自暴自棄になっていくんだ」
 優作はベッドの端へと座り、苦笑を洩らしながら話を続けた。
「おまえならわかるだろ? 他人も自分も傷つけてきた鋭いナイフで、自分自身を切り刻みたい衝動っていうのかな。腹ン中すべてをかっさばいて、細かく刻んで、塵になりたいような……。自分のすべてを否定したくなる気持ち」
 はっとなって英斗は顔をあげ、優作を見つめる。何処を見るでもなく、ただ呆然と宙を見やる優作。寂しげな顔。視線の先には誰がいるのか。
「だけど、それじゃあいけないって、最近思うんだ。悔しいが、オレたちは今生きている。人を殺してまでも。その罪を司法の手に委ねない以上、罪を承知で生きていくしかないんだ。それが罪滅ぼしになるとは思えないがね」
 英斗はふと、郭の言葉を思い出した。
 弟を殺したのは、俺。弟を殺した苦しみを、優作にぶつけずにはいられない。
 郭もまた、屍を乗り越えて生きてきた。そして、死んだ。英斗ともまた、郭や佐藤たちの屍を乗り越えたから、こうして生きている。優作もまた同じだ。
 英斗は迷った。優作が実は、郭の弟を殺してはいないことを話せば、少なくとも優作は救われるのではないかと。だが、そうだとしても、優作が納得するかどうかはわからない。少なくとも、優作は慰めにもならない救いの手など、拒否するであろう。英斗自身もまた、そうであるように。
 救われない慰めは要らない。それなのに、自分はどうして優作の所へ来たのか。
 優作と対峙していても、頭に浮かぶのは英司のこと。求めているのは英司の身体。決して報われない気持ちだからこそ、誰かに救いを求めたかったのかもしれない。
 優作なら救ってくれる。
 淡い期待かもしれない。自分に都合のいいように考えているだけかもしれない。だけど、英司に救いを求めるわけにいかない以上、気が付けば英斗の足は横浜中華街に向かっていた。思いのすべてを誰かにぶつけたかった。けれどもそれは、誰でもいいというものでもない。
 英斗はダウンジャケットとシャツを脱ぎ捨て、ベッドに座っている優作へとしなだれかかった。首に手を回し、優作の胸に顔を埋める。
「工藤さんの言う通りだよ。嘘をつきすぎて、何が何だかわからなくなってきてんだ。だから、こうしているのが、英司に抱かれたいのか、工藤さんに抱かれたいのか、それとも殺して欲しいのか、わからない……」
 英斗は優作の口に唇を重ねると、もの凄い勢いで優作に濃厚なキスをして、ベッドに押し倒した。長い長いキスだった。優作は目を細め、英斗のなすがままにさせてやった。
 英斗は切なそうな声とともに、優作から唇を離した。悲しそうに目を細め、優作を見つめる。
「……殺して」
 優作の片眉がピクリと吊り上がる。
 英斗の顔と珠玉の顔が重なった。どことなく面影の似ている二人。二人に惹かれた理由がわかった。それを恋と言えるかどうかはわからない。だが、病院にいた馬麗秀に会うのが楽しみだったあのとき、あの気持ちがそうだとするなら、馬麗秀は優作の初恋だった。だから、優作は珠玉が好きだった。英斗に惚れた。
 そして八年前のあの事件。
 珠玉が言った言葉。
 同じ事を、今、英斗が言った。
 八年前に戻ったような錯覚に陥った優作は、英斗の腕を引っ張り、ベッドへと仰向けに転がした。英斗の上に馬乗りに乗りかかり、細く白い英斗の首に手をかける。
 一瞬、英斗の顔に恐怖の戦慄が走った。だが、英斗はすぐに目を閉じ、優作が首を締めあげる瞬間を待つ。優作の手に次第に力がこもる。英斗は思わず閉じる目に力を入れ、歯を食いしばる。脳裏に浮かぶ、少年のようにあどけない弟の顔。
「英司……っ!」
 食いしばっていたはずの口から、言葉が漏れた。自分で叫んだ言葉なのに、英斗が驚いた様な顔をして目を開ける。視線の先では、優作が苦笑いを顔に貼り付け、喉で笑っていた。
「くっ……ははっ、あははははっ!」
 喉からのくぐもった笑い声は次第にはっきりとした笑いとなり、優作は英斗の喉から手を離すと腹を抱えて笑い始めた。
 英斗は呆然と優作を見やる。優作はまだ笑っている。
「だ、だめじゃん。おまえ……。全然、覚悟できてねえし……。ホントは死にたくないんだろ? な?」
「そ、そんなこと……!」
 反論しようとする英斗の口を、優作は唇で塞いだ。
「いいじゃんか、それでも。死にたくないほど英司を愛しているなら、意地でも生きてみろよ。おまえはまだ若いんだ。今すぐ結論出すこともあるめえ」
「で、でも……」
「何なら、オレが忘れさせてやってもいい。自信はある」
「……ばぁか」
 苦笑混じりに英斗が毒づく。優作もまた、つられて笑う。視線が合った。
 唇が、重なる。




探偵物語

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