◆ 暴走儀式 [01]

 優作は事務所に戻って、新調した白のスーツに着替えた。赤いワイシャツに銀のネクタイ。頭に手をやる。帽子がないとどうにも落ち着かないが、まさかこの格好で野球帽というわけにはいくまい。不服そうな顔をして、ビルの階段を下りた。
 横浜そごうで、白と黒のソフト帽をそれぞれ二つずつ買い、コーヒー専門店で旧式のサイフォンを手に入れた。床屋に行って、髪の毛をばっさりと短くしてもらった。輸入バイクの専門店へも足を運ぶ。長年の夢だったベスパが欲しかったが、生憎この店に在庫がなかったので、カタログだけもらって帰る。気が付いたら、もう六時を回っていた。新横浜まで足を伸ばし、カレー博物館ではしごをして、帰路についた。

 両手に荷物を抱え、『夏の流れ』を口ずさみながらビルの階段を上る優作。事務所の前に人の気配がした。帽子の淵をあげて人影を見る。影が口を開いた。
「バイク取りに来たついでだから……」
 ネオンサインに彩られ、英斗が姿を見せる。黒のダウンジャケットは、昨晩優作が着ていたものだ。頬に絆創膏。顔色に生気がない。
 優作は帽子を目深に被り直し、何事もなかったかのように英斗の横を通り過ぎ、ドアを開ける。その後を英斗が続いた。
 ドアの入り口近くに、買ってきた荷物を置いた。コーヒーのサイフォンだけは、丁寧に扱って、事務所奥の自室へと向かう。
「スーツ、新調したんだ……」
 英斗が話しかける。優作は答えず、サイフォンの包みを開けて新品のサイフォンを取り出すと、流しで洗う。
「そうか。サイフォン壊しちゃったからね……」
 優作は答えない。洗ったサイフォンを乾かしている間、優作はトイレで小用を済ます。帽子を取って、帽子かけにかける。
「髪の毛も切ったんだ」
 相変わらず優作は答えない。まるで、事務所には自分しかいないように振る舞っている。流しで手を洗うと、ハンカチで手を拭き、ズボンのポケットにしまい込む。食器棚を探り、コーヒー缶を開ける。豆が少ししか入っていなかった。
「ちぇっ。コーヒー豆も切らしてたのか」
 口をとがらせふてくされる優作。まるで英斗のことを相手にしていない。英斗が唇を噛んで優作を睨み付ける。優作は、英斗と目を合わせるつもりは毛頭ないように振る舞う。
 煙草を取り出しくわえる優作。英斗が優作の目の前に詰め寄る。必死の形相を浮かべて。
「工藤さんっ!」
 スーツの胸倉を掴み、英斗が顔を近づけた。そこでようやく、初めて英斗に気付いたような顔をする優作。英斗はさらに優作に詰め寄る。
 言いたいことがありすぎた。どれから言っていいのかわからない。ただただ、優作に会いたかっただけかもしれない。切なすぎて、胸が苦しい。英斗の目から、涙が溢れそうになる。優作は黙って英斗の目を見続けた。
 長い沈黙。
 優作の胸に顔を埋め、英斗が泣いた。煙草に火をつけず、英斗のなすがままにさせておく。
 涙でぐしゃぐしゃになった顔をあげ、英斗は優作に詰め寄る。嗚咽混じりの声で、心のくすぶりを優作にぶつけた。
「どうして……どうして、オレのこと避けるんだよォ」
 優作は答えない。煙草に火をつける。
「工藤さんっ」
 とぼけた顔で紫煙を吐く優作。英斗が怒ったように優作の胸倉を掴みあげる。優作が再び煙草をくわえ、英斗の目を見据えた。氷のような冷たい瞳。英斗は思わず背筋が凍るような思いがした。
「……英司には言ったのか?」
 今度は英斗が目をそらす。優作は右手で英斗の顎を掴み、無理矢理自分の方を向かせた。痛みで英斗が顔を歪める。痛むのは、顔なのか、心なのか。
「どうなんだっ!」
 優作が叫ぶ。英斗の身体を揺さぶった。再び英斗の目から、じわりと涙がにじみ出る。やりどころのない怒りに顔を歪ませて。
「言える……ワケねえだろ! 何て……、何て言えばいいんだよっ」
 叫ぶ英斗。優作を睨む。優作の手が英斗の顔を離した。途端に、優作の平手が英斗の頬を思い切り叩き付ける。勢い余って、床に倒れ込む英斗。頬に手を充てたまま、俯いている。 唇を噛みしめ、絞り出すように一人呟く。
「あんたがバイト先の店長になりすまして、電話かけただろ? それであのバカ、ひどくオレのこと心配しやがって……」
「……家には帰ったのか?」
 かぶりを振る英斗。優作は眉をつり上げはしたものの、微動だにせず煙草を吹かす。
「電話は入れたけどね。だけど、英司には会えない。今会ったら、きっと俺は……」
 座り込んだまま英斗は両手で顔を覆った。指の隙間から洩れる嗚咽。優作は黙って煙草をふかす。
「ヤクザたちに連れて行かれてから……ずっと英司のことばかり考えてた……。死ぬかもしれないって思ったときも、英司のことが頭から離れなかった……。でも、助かったとき、後悔したよ。あいつに会ったら、俺はきっとどうしようもなく抱かれたくなる。そんなこと……できるわけないのに……」
「どうしてオレの所へと来た」
 優作が問う。英斗は顔を伏せたまま、答えない。優作は煙草をもみ消すと、ゆっくりとした足取りで英斗に近寄る。
「英司の代わりか」
「違うっ!」
 目を見開いて首を横に振る英斗。だがその顔は、すべてを見透かされた恐怖で、血の気が引いていた。




探偵物語

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