◆ 復讐のメロディー [03]

 笑い続ける優作。涙が出るほど笑っている。
 英斗は背筋が凍る思いがした。郭は怒りに顔を歪ませている。
 銃弾が優作の頬をかすめた。優作の笑いはまだ止まらない。
「そっか、そっか。あんた、富春の兄貴か。そうか……」
「おまえの起こした事件は、古惑仔同士の同志討ちとしてカタをつけられた。おまえは弟たちを殺したことすら忘れていた」
「今の今までな。そうか……これですっきりしたよ」
「ならば、もう思い残すことはないだろう。……死ね」
 郭のベレッタの銃口が優作の頭に向けられた。優作はまだ笑いが止まらない。郭の指に力が入る。郭と優作。二人の間に英斗が割って入った。
「どけ! 英斗!」
 郭が叫ぶ。首を横に振る英斗。英斗の肩を優作が掴んで、横にやる。
「どいてろ、英斗」
「だめだ、工藤さん!」
「これはオレとあいつの問題だ。そうだろ? 富春の兄貴」
「半々が俺から弟を奪い、日本人は俺から女を奪った。だから、日本人は殺す」
「英斗は?」
「馬麗秀の息子は、俺が本土に連れて帰る」
「馬麗秀はあんたの何なんだ?」
「俺の女だ。二〇年間、ずっと愛していた。小姐は日本に行くと言った。だから、犯した。行くなと頼んだ。だけど、小姐は行ってしまった。別の男と一緒になった。そして死んだ。俺の知らないところで」
 流暢な郭の日本語。英斗が驚きの表情を隠せずにいた。無理もない。優作の命を狙っている男は、かつて母を愛した男だったという。二〇年もの間に、この男は愛を凶器に替えてしまった。郭の愛は人を傷つける。本気で愛した女の息子さえも。
 そんな郭を、優作は笑いを止めて見据えた。口の端にはまだ笑みを残している。
「まったく、とんだお笑いぐさだな。あんたが二〇年もの間愛していた女が死んだとき、オレはあんたの弟を殺した。馬麗秀が日本で愛し合った男との子供を産んだとき、オレは彼女の側にいた」
 優作の言葉に、郭と英斗が同時に顔を上げた。二人とも驚きを否めない顔をしている。優作は二人に話すというよりは、自分の中の思い出に浸るように、恍惚とした表情で話を続けた。
「麗秀とオレの妹は、一緒の病室に入院していてな。小さな病院の、小さな一室だった。彼女はいつもオレたちに歌を教えてくれた」
 優作は麗秀に教わった歌を口ずさんだ。歌詞はもう覚えていない。鼻歌でメロディーを奏でる。
 白い壁に覆われた病院の一室。幼い有馬兄弟が、母のベッドの脇に座る。母が口ずさんでくれた歌。優作のメロディーと重なる。
 古い胡同(中国式長屋のようなもの)の中庭。幼い郭兄弟。麗秀が富貴を膝に抱く。木漏れ日に麗秀が光る。そして歌。彼女がよく歌ってくれた。
 ベレッタを持つ郭の手が震える。目頭が熱い。涙が出そうになる。視界がぼやけた。
「やめろォ!」
 再び銃声。また優作の左肩をかすめた。苦痛に顔を歪める優作。
「おまえがその歌を歌うな、半々!」
 大事なものを傷つけられたかのように、郭が怒り狂って北京語で叫ぶ。
 体内の気を散らし、呼吸法を併用して、優作は肩の痛みを散らした。顔に嗤いが戻る。額には玉のような汗。今にも泣きそうな顔をする英斗の腕を引き寄せ、唇を重ねる。優作の視線が郭に向けられた。勝ち誇ったような瞳。
 オレが死のうが生きようが、英斗はおまえのものにはならない。
 優作の目は、雄弁にそう語っていた。
 郭の怒髪は天を突いた。銃口が優作の頭を捕らえる。
 銃声が三発。
 だが、郭のベレッタから硝煙はあがっていない。
 郭の腹から鮮血が吹き出す。身体が崩れ、膝を折って前のめりに倒れ込む。
「なっ……?」
 英斗は目を丸くして短い悲鳴をあげた。優作の右腕を見る。銃口は下ろされたまま。発砲された形跡はない。撃ったのが優作ではないことは、優作もまた驚いた顔をしているのを見れば、何とはなしに理解できる。
 じゃあ、誰が……
 英斗は優作の視線を追った。
 倒れた郭の向こうに人影。凶悪な笑顔に顔を歪めた男が、トカレフを持って立っていた。




探偵物語

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