◆ 復讐のメロディー [04]

 白虎組若頭・ 佐藤龍司
 佐藤は銃を構えたまま、大股で三人のほうに近づいてきた。倒れた郭の腹を蹴り、銃口を優作に向ける。優作は佐藤に向かって、帽子を取って軽く会釈する。佐藤は応えない。郭の傷口を靴で踏みつけた。くぐもった呻き声が、郭の口から漏れる。
「おいおい。こんな時に仲間割れかい?」
「仲間? こいつとオレとが? 冗談もほどほどにしろ、探偵さん」
 口許を歪めてせせら笑う佐藤に、優作と英斗は不思議そうに眉をひそめた。
 銃を下ろす佐藤。発砲。その先には郭がいた。胸を撃たれた郭の身体が、反動で飛び跳ねる。
「こいつはな、上海マフィアの殺し屋じゃねえ。ウチに来る予定だった殺し屋をバラし、上海の殺し屋に化けてオレたちの所に潜り込んだ、偽物だ」
 「調べはついていたってわけかい」
 ため息混じりに優作が呟く。
「前々から変だとは思っていたがね。あんたが教えてくれたようなもんだよ、探偵さん。北京と上海の言葉の発音の違いってやつをね。それで今夜のガサ入れだ。決定的な情報を手に入れたのはそのすぐ後だ。ヤクの取り引きの情報を警察に流したのは、郭の野郎だってはっきりした」
「で、裏切り者は殺す、か」
「そうだ。そして、おまえたちもだ。おまえらは、オレたちのメンツを潰しまくっただけでなく、いろいろと知りすぎた」
 青ざめた顔で英斗が煙草をくわえた。優作に目配せした時の目だけは、光っていた。優作もまた、目で応えるとライターの火をつけ、英斗に差し出した。佐藤は英斗に銃口を向けた。優作は手で制す。
「最期なんだ。煙草くらい吸わせてやってくれ」
「……いいだろう。あんたはどうなんだい、探偵さん」
ジュブレ・シャンベルタン。2001年ものを
 優作は帽子を被りなおしてニヤリと笑った。佐藤もまた、銃口を優作に向けて嗤う。
「若いクセに古い映画知ってるんだな」
「好きでね」
「ジュピター経由であの世に行ってこい」
 佐藤の指に力が入る。英斗は火のついた煙草を自分たちと佐藤の間に投げ捨てた。英斗からサングラスを取り上げ、優作が走る。青白い閃光があたりを包む。
 佐藤は必死に頭を振って視界を取り戻す。ようやく目がこ慣れてきた時には、郭も含めた三人の姿は見えなかった。
「やりやがったな、あの野郎ども!」
 やたら滅法にトカレフをぶっ放す佐藤。弾丸が尽き、苛立たしげに空の弾倉を抜く。
「殺してやる……絶対に殺してやる!」

 鼻息の荒い佐藤の声を聞きながら、英斗と優作は隣の通路に隠れていた。優作の脇には血塗れの郭。もはや虫の息である。だが、意識はまだあるらしい。
「なぜ……助けた……」
 北京語で訊ねる郭。もはや日本語を喋る余裕はない。
「助けたわけじゃあない。英斗の前で人死にを見せたくないだけだ」
 ニヤリと笑って答える優作。郭もまたニヤリと笑う。
 自分の知らない言葉で話す二人。英斗は自分だけが蚊帳の外にいるような気分になった。黙って二人のやり取りを見守る。
「佐藤は……すぐにここを見つける」
「オレが囮になる。あんたは英斗とここに隠れていろ」
 優作はベレッタを手に立ち上がると、二人に背中を向け、身をかがめて走る。
「工藤さ……」
 叫ぼうとする英斗を、郭は手で制し、唇に指を当て、声を出すなというゼスチャーをしてみせた。困惑した顔で優作と郭を見比べる英斗。優作の姿が消えた。
「あいつは……おまえと俺を二人きりにさせたかったんだ」
「どうして……」
 さらに困惑する英斗。途切れ途切れの日本語で郭が答える。
「俺への冥土のみやげだろう。……ったく、あの底抜けのお人好しめが……」
 咳き込む郭。咳と一緒に口から血が溢れる。英斗は座り込み、郭の背中をさすってやった。宙を見やる郭。目の焦点が次第に合わなくなる。
「……弟を殺ったのは、あいつじゃねえ。死ぬほどの重体にしたのはあいつだがな……。富春たちの古惑仔どもが失態をやらかして……、俺が始末をつけることになった。家族の失態は家族が償えってね。虫の息の弟が助けを求めてきたよ。だが俺は、引き金を引いた……。弟を殺した苦しみを、あいつにぶつけずにはいられなかった……」
 日本語と北京語の混じった郭の言葉。英斗には断片的にしかわからなかったが、実は優作は郭の弟を殺してはいなかったということはわかった。
 意識が次第に朦朧としてくる郭。身体が震える。英斗は不安そうな顔をしながらも、震える郭の身体を抱き締めた。
「小姐……寒い……寒いんだ……」
「郭……さん……」
「行かないでくれ、小姐……俺を置いて行かないでくれ……」
 口から止めどなく溢れる血。もはやその目は英斗を見ていない。涙がこぼれるその瞳に映るのは、在りし日の馬麗秀の姿か。
 英斗はどうしていいかわからなかった。身体をかがめ、郭に唇を重ねる。

 優作の姿を見つけた佐藤は、問答無用で撃ってきた。
 銃声が響く。だが、弾丸は一発も優作に当たらない。
「素人ってわけでもないだろうに……」
 優作が毒づく。相手がこうも射撃が下手だと、囮の意味がない。もっとも、当たっても困るのだが。コンテナの物陰に隠れ、ライターを差し出し火をつける。
 銃弾の嵐。慌てて優作は手を引っ込めた。
 全弾を撃ち尽くしたのか、銃声が止んだ。革靴の音が響く。弾倉を入れ替える音。優作はベレッタを握りしめ、飛び出すチャンスを窺った。
「出て来いよォ……。中国人め……! 探偵野郎!」
 ヤクが切れてきたのか、佐藤の行動に徐々に落ち着きがなくなってきた。空のドラム缶を蹴飛ばし、海に落とす。水しぶきをあげて落ちるドラム缶に向かって、佐藤が発砲。狂ったような佐藤の笑い声。
 この隙に、優作は持っていたダイナマイトに火をつけ、佐藤の足下に転がす。ダイナマイトに気付き、驚愕する佐藤。小さな爆発音を何度もあげて弾けるダイナマイト。中身は爆竹だったらしい。それでも、佐藤に一瞬の隙を作らせるには、充分だった。
 優作が飛んだ。佐藤の懐に潜り、渾身の肘撃ちを見舞わんと、左足を目一杯に踏み込んだ。しかし、踏み込んだ場所にあったのは、よりにもよって先程佐藤が捨てた空の弾倉があった。バランスを崩して転びそうになる。
「〜〜〜っ!」
 優作の身体が地面に叩き付けられそうになった瞬間、優作は右手を地面につき、右腕を軸にして身体を駒のように回し、佐藤の足を引っかけた。佐藤もまたバランスを崩して、優作とともに倒れ込んだ。
 対面する二人。お互いに銃口を向け合う。
 佐藤は立ち上がって笑った。
「所詮はシロートだな。腕前は確かかもしれないが、人を殺すのは恐いと見える」
 優作も笑う。座り込んだまま。
「そう思うかい?」
「でなけりゃ、小細工に徹するわけがない」
 トカレフのトリガーに佐藤の指がかかる。
「年貢の納め時だ。死ね」
 銃声が二回。
 海風の冷たい本牧埠頭に、血しぶきが飛ぶ。
 勝ち誇った佐藤の笑顔。苦しそうに顔を歪める優作。
 長いようで短い静寂の時間(とき)。
 佐藤の膝が折れた。笑顔をこびり付かせたまま、その場に倒れ込む佐藤。優作の持つベレッタから、硝煙が立ち上る。優作は深いため息を付いて天を見上げた。
 震える手で懐から煙草を取り出す。愛用のキャメルだ。一本口にくわえるが、手が震えてライターの火もおこせない。ようやくついた火をつけ、胸一杯に煙を吸い込む。
「……オレはもう、拳だけが強さの証だなんて思っている、ケツの青いガキじゃねえんだよ。生き延びるためなら、どんな汚いやり方だってする」
 紫煙とともに吐き出される優作の言葉。佐藤に向けられているのか、それとも自分か。それは優作自身にもわからない。
 みなとみらい地区のほうは、不夜城のように明かりが瞬いていた。
 いい加減、警察もやってくる頃だろう。
 呆然としながらも、優作は立ち上がった。銃声が止んだのを聞きつけて、郭を担いだ英斗がひょっこりと顔を出す。
「……終わったの?」
「ああ。……終わりだ」
 ベレッタを腰に差し、英斗たちに向かって歩く優作。発砲したばかりの銃身はまだ熱かったので、腰のベレッタをすぐに抜いた。
「そっちは生きているのか?」
 英斗に郭の様子を訊ねる。物憂げな顔をして、英斗が頭を振った。
「意識も混濁してきていて……もう長くはないかもしれない」
「そうか……」
 優作は手にしていたベレッタを、郭のズボンのポケットへとねじ込んだ。
「こいつは返す。縁があったら、地獄で会おう」
 優作は顎をしゃくって、英斗に郭を降ろすように促した。しばらくの間ためらう英斗。突然、死にかけているはずの郭が顔を上げ、ズボンのポケットからベレッタを抜くと、銃口を優作に向けた。
「……だからおまえはお人好しだっていうんだよ、半々」
 郭の指がトリガーにかかる。驚愕するも身動きのできない英斗に対し、優作は妙に落ち着き払った様子で微動だにしない。帽子を目深に被り直す。
 そして銃声。
 佐藤の身体が跳ねた。手にはトカレフ。銃口は優作に向けられていたのか、それとも……。
 眉間から血を噴きだし、佐藤は絶命した。
「とどめも刺せねえくせに、殺人者気取りはやめろ。所詮、おまえは素人だ」
 吐き捨てるようにそう言うと、郭は銃身を自分の服で拭い、改めて握りなおした。
 むせ返る郭。口から大量の血が吐き出される。
「郭さん!」
 英斗が叫んだ。郭の身体を抱き締める。
「寒いよ……小姐……行かないで……」
「郭さん……? 郭さんっ!」
 崩れる郭の身体を抱き締め、必死に揺さぶる英斗。だが、急速に郭の顔色は血の気を失い、身体が冷たくなっていく。優作は帽子を脱いで、胸に充てた。
  




探偵物語

<<back   top   next>>