◆ 復讐のメロディー [02]

 香港の中国返還問題が現実味を帯び始めた時期。
 親父とオフクロが離婚して、オレたち兄妹は母親に引き取られることになったが、実際に面倒を見てくれたのは、伯父の譚飛鳳だった。
 香港武術界においてその名を轟かせていた伯父さん。オレは伯父さんの元で八極拳を学んでいた。当時のオレは、若かったせいもあるが、青かった。先代である香港のじいさんにも、筋がいいと褒められ、有頂天になっていた。身長もぐんぐん伸びていた時期で、同じくらいの年頃の中では、誰にも負ける気がしなかった。
 ある日、オレの目に前に現れた男がいた。名前は郭富春といった。北京から流れてきたという
古惑仔(グーワァックジー:チンピラ)集団の兄貴分。だが、妙にオレと気が合い、いつしかオレは彼らと付き合うようになった。
 窮屈な修行三昧の日々と、金儲けや世間体ばかりを気にして親としての義務を放棄した母親に対する、アンチテーゼだったのかもしれない。酒も煙草も教えてもらった。ケンカもした。肩で風を切って歩くのが格好いいと思っていた古惑仔 たち。
 堕落していくオレを、大人たちは誰も止めようとしなかった。オレはさらに増長した。富春に言われるまま、ケンカとなると先陣を切って拳を振るった。
 大人たちが見捨てるほど堕落しきったオレだったが、そんなオレをまだ見捨てていない人がいた。
 趙珠玉。オレにとっては姉弟子にあたる女。
 彼女はオレが古惑仔の仲間になることを必死で止めた。だが、当時のオレは、彼女の言葉に耳を貸すことなどなかった。それでも、彼女は必死にオレを説得しようとしていた。
 ある日、いつものように、オレは富春のアニキのところへ出向いた。他の古惑仔たちと何やら話をしていた。オレは声をかけようとしたが、会話の中に伯父の名が出たので足を止め、物陰に潜んで奴らの話に耳を傾けた。
 奴らは世間知らずのボンボンを嘲笑っていた。頭の悪いガキが、自分たちの手足となって拳を振るうのが、面白くて仕方がないらしい。
 当時、台湾あたりの高名な武術家たちが、高額の報酬目当てで中近東に引き抜かれるという話が取り沙汰されていた。伯父にもまた話が来ていたと後ほど聞いたことがあるが、当時のオレはそんなこと知る由もなかった。
 だが、富春たち古惑仔は、金の話には敏感だった。オレを手なずければ、大きな金ずるになると思って仲間にしたらしい。当然、オレは怒った。奴らを叩きのめそうと飛び出した。だが、叩きのめされたのはオレだった。どんなに腕っぷしが強くても凶器には敵わない。多勢に無勢という言葉を身をもって知ったのも、このときだった。
 オレは富春たちに捕まり、散々殴られ蹴られした後で、麻薬まで打たれた。ヤク中にして、オレの一族からすべてを巻き上げようというのだ。
 そんなどうしようもないガキを救うため単身現れたのが、珠玉だった。彼女は古惑仔たちの裏を掻いて、オレを救い出してくれた。しかし、逃亡劇はあっけなく終わる。麻薬の禁断症状が出たオレが、途中で大暴れしてしまい、奴らに気が付かれたのだ。再びオレは奴らに捕らえられた。今度は珠玉も一緒に。
 囚われの身のオレと珠玉。おそらく助けは来ない。絶望的な状況であるにもかかわらず、彼女は必死でオレを励ましてくれた。オレのせいで捕まったというのに。
 富春たち古惑仔が、気が狂ったかのような麻薬パーティーを始めた。隠れ家中に広がるクスリの煙と匂い。頭痛と吐き気が激しくなった。気力を振り絞って古惑仔たちを見た。奴らはイッちまった目でオレたちを見ていた。いや、オレではない。奴らは珠玉を見ていたのだ。焦点の合わない目で、涎といやらしい笑いを垂れ流しながら。
 おぼつかない足取りで、奴らはオレたちの方にやってくると、珠玉の髪を引っ張り、彼女を引っ立てた。オレは必死で叫んだ。だが、誰もオレの声には耳を貸さない。引っ立てられた珠玉は、裸に剥かれ男たちに嬲られた。
 姉と慕っていた女が男たちの慰みモノにされている。にも拘わらず、初めて見る女の肢体にオレは目を奪われてしまった。白く透き通るような肌。揺れる乳房。くびれた腰。丸い尻。すっとのびたふくらはぎ。こんな状況にも拘わらず、ときめきを覚えた。
 憧れた。オレもあの身体が欲しかった。欲している肉体が、他の男たちに蹂躙されていた。全身に血が駆けめぐった。麻薬のせいか、普段以上に興奮を覚えた。オレは自分を縛めていた縄を、力づくで引きちぎった。どこからそんな力が沸いたかわからない。
 オレが縄を切ったので、古惑仔の一人が気が付いて飛びかかってきた。確か朱虎という名前だったような気がする。力任せにヤツの顔を殴った。朱虎の身体がはじけ飛ぶ。朱虎が起きあがって拳銃を抜く。その手を思い切り蹴飛ばした。驚愕に歪む朱虎の顔。オレはその汚い顔を殴り続けた。顔の形が変わる。ヤツは血を吐いた。身体が痙攣し、やがて動かなくなった。
 富春たちが襲いかかってきた。オレはがむしゃらに奴らを叩きのめした。オレの暴走を止めるモノは、もはや何もなかった。
 狂ったか、半々!
 恐怖に顔色を変え、富春が叫んだ。
 お互い様だろ?
 オレは静かに言った。
 富春が拳銃を抜いた。オレは富春に飛びかかり、拳銃を取り上げた。オレや珠玉に向けられた銃口を、富春の口の中に突っ込んだ。セイフティを解除する。富春は声にならない悲鳴をあげて泣いた。オレは富春の口の中で、拳銃をゆっくり回した。富春の歯がボキボキと折れる音がした。トリガーにかけた指に少しだけ力を込める。富春のヤツが情けない顔で泣きながら、失禁した。オレはヤツをせせら笑い、銃口を口から抜いてやると、腹を蹴飛ばしてやった。
 背中を向けて逃げようとする富春。オレは奴の前方に走り回って、行く手を塞いだ。絶望的な顔をする富春に、オレは銃口を向けた。だが、発砲はせず、拳銃を富春に投げ渡した。慌てて受け取る富春のツラに、拳が壊れんばかりのパンチを喰らわしてやった。鼻と頬の骨が折れた感触と血の匂い。たまらないものがあった。
 右手で富春の顔を掴み、身体ごと持ち上げた。この期に及んで必死に抵抗する富春。オレは弱々しく足掻くゴキブリのような富春の姿を見て、ほくそ笑んだ。渾身の力を込めて頭を潰す。富春は絶命した。
 もうひとりいた。凶悪な笑みを浮かべ、オレを見ている男。
 コイツも潰す。
 オレはヤツに向かって拳を振り上げた。ヤツもオレに向かって拳を振り上げかかってきた。拳同士がぶつかる。鏡が粉々になって打ち砕かれる。世にも恐ろしい凶悪な笑顔を浮かべていたのは、オレ自身だったのだ。
 足下で蠢く白い肉体。珠玉。
 くすぶり続けるオレの黒い部分が、彼女に牙を剥いた。オレは自分の服を破り、珠玉の上にのしかかった。大勢の男たちに嬲られたせいなのか、珠玉は抵抗しなかった。オレは彼女の肉体を貪った。足の間にある繁みから溢れる、白濁した液体。構わずオレはその中に挿入した。初めての肉体の結合。必死に腰を叩き付ける。
 珠玉と目があった。大きな彼女の瞳から、珠のように溢れる涙。しかしそこに恐怖はない。慈悲と哀れみと悲しみがオレに向けられていた。あんたを犯しているこのオレに。胸が苦しい。珠玉の口が動く。
 殺して、と。
 心臓を杭打たれた気持ちになった。
 もう一度珠玉の口が動いた。
 あなたの手で殺して欲しいの。
 目の前が真っ暗になった。頭の中を原色がぐるぐると回る。麻薬のせいだと思いたかった。放出したい絶頂感を覚えつつ、オレの両手は珠玉の首にかかった。力が籠もる。初めて女の中で射精した。激しく痙攣する珠玉。オレが我に返ったときには、彼女はすでに息絶えていた。満足そうな笑みを浮かべたままで……
 オレは珠玉の目を手で閉じてやった。
 自分が作り上げた死体の中で、オレはただただ呆然と立ち尽くしていた。
 遠くにサイレンの音が聞こえた。



探偵物語

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