◆ ダイヤモンド・パニック [02]

「上海からの殺し屋ってえのは、あんたかい」
 郭は答えない。銃口を優作に向けながら、大股で近寄る。佐藤たちヤクザの顔が蒼白になっていく。三メートルほど距離を取ったところで、郭が止まった。持っていたベレッタを優作に投げ渡す。
「ゲームのルールは簡単だ。そいつで英斗を縛っている麻縄を撃ち、落ちてきた英斗を無事救えば、おまえの勝ちだ」
 郭は北京語でルールを説明した。優作が慣れた手つきでベレッタから弾倉を取り出し、もう一度詰める。
「弾は?」
「五発。替えの弾倉はない。そこらへんの黒星(トカレフ)とは違って、手入れは万全だ。あとはおまえの腕次第」
「こいつはあんたのか?」
「俺は他にも持っている。日本幇たちはヤクの手入れのせいで、神経がピリピリしている」
「あんたのタレコミのおかげでな」
 口の端に笑みを浮かべる優作につられ、郭もまたニヤリと顔を歪める。優作の持つベレッタの銃口が佐藤を捕らえた。短い悲鳴を上げ、息を飲む佐藤。
「弾は実弾かい?」
「日本幇たちは空砲の黒星を渡そうとしていたらしいが、そいつは実弾だ。奴らで試してみるか?」
「五発しかないなら、無駄撃ちはできねえな」
 苦笑を洩らして優作が答える。佐藤に向けていたベレッタのセイフティを解除する。佐藤が息を飲んだ。ヤクザたちの銃口が一斉に優作に向けられるが、優作がこれ見よがしに服の中の物を見せる。戸惑うヤクザたち。優作が嗤って銃口を降ろすと、佐藤は安堵のため息を吐き出す。
「このゲームの本当の意味は、助けたい相手を撃ち殺させた上で、失意のどん底に陥った標的をなぶり殺すところにある。だが、おまえなら大丈夫だろう」
 郭はそう言い残すと、きびすを返して佐藤たちの所へと戻った。
 ベレッタの銃口が英斗に向けられた。ヤクザたちが固唾を呑んで見守る。郭もまた、その表情に緊張を走らせていた。ベレッタを構え、遊底に左手を添え、腰を落とす。佐藤は優作の構えを見て驚愕した。映画やドラマでしか銃を知らない、素人の構えではない。
 海風に揺られる英斗。気を失っているらしい。唇を噛む。照準を定める。
 銃声が響いた。
 同時に優作が英斗の方に向かって全力疾走をする。英斗を吊していた縄が切れた。英斗の身体が自然落下する。英斗に向かってダイブする優作。
 英斗の身体を抱き留めた!
 呆然と成り行きを見守っていたヤクザたち。なすすべもなし。郭だけが、当然だと言わんばかりの顔をしている。
「佐藤さん」
 呪縛を解くかのように、佐藤に声をかける。はっと我に返った佐藤。青ざめた顔が一転、怒りで赤くなる。
「こ、殺せ! 探偵野郎も、小僧もだ!」
 佐藤の叫びで、呪縛を解かれたヤクザたち。狂ったように銃を撃ち始めた。銃弾の雨の中、優作は英斗の身体を抱えてコンテナの裏側へと隠れる。
「英斗!」
 英斗の身体を揺するが、返事はない。首筋に手をあて脈を診る。弱々しいが、しっかりと脈打っていた。
 生きている。
 優作は初めて生きた心地がした。英斗を縛めている縄を、持っていたナイフで切り、ダウンジャケットを着せて頬を叩く。
「英斗
、しっかりしろ! 英斗!
「うっ……ん……」
 辛そうに身をよじる英斗。薄目を開ける。どうやら無事らしい。優作たちのいる辺りに、銃弾の嵐が襲う。優作は英斗の頭を抱え、身を伏せる。
 混濁していた意識が徐々に戻ってきた英斗。視界に優作の顔。心配そうにこちらを見ている。
優作の顔と英司の顔がダブる。
「英司……?」
 かすれた声で弟の名前を言う英斗。混濁した意識が戻りつつあるだけでもいいのだが、優作は悔しさに苦笑を洩らす。止めどなく襲う弾丸。変な感傷に浸っている場合ではない。
まだ力の入らない英斗を背負うと、身をかがめて走る。
「英司に会いたかったら、オレの側を離れるな」
「工藤……さん?」
 英斗の意識が次第にはっきりとしてきた。少しだけ状況が飲み込めた。
 一瞬、銃声が止む。弾倉を入れ替えているらしい。再び銃声。優作は身を伏せ、動きを止める。その優作に対し、英斗が服の裾を引いて声をかけてきた。
「工藤さん……。何か飲むモン持ってない?」
「この非常時に……」
 悪態をつきながらも、優作の顔は笑っていた。英斗に着せていたダウンジャケットの内側に手を突っ込むと、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出して、英斗に差し出す。
 コンテナの陰から優作が顔をのぞかせる。銃弾は来ない。
「そこを動くな」
 英斗にそれだけ言うと、優作は腰を落としてベレッタの銃口をヤクザたちが乗ってきたトヨタクラウンに向けた。すかさず発砲。爆音とともに、クラウンは炎上し、ヤクザたちがあわてふためく。優作はすぐさまコンテナの陰に隠れた。
 ミネラルウォーターを半分ほど飲み干し、残りを頭からかける。ようやく頭の回転が戻ってきた。英斗の視線が優作の胴回りに釘付けになる。英斗の驚きに気付いた様子もなく、優作はベレッタの弾数を確かめる。
「残り三発……」
 英斗は驚愕の表情を浮かべ、優作の胴回りを指さす。
「く、工藤さん……それ……」
「ああ。火気厳禁だぞ」
「違う! それがあるなら、どうして使わないのっ。一本使えば充分じゃないか」
「ちっちっちっ」
 優作は英斗の目の前で人差し指を立て、横に振って見せた。
「このうちの五本に四本は偽物だ。本物もあるにはあるが、どれがそうだったかなんて、昔すぎて覚えていない」
「そんなロシアンルーレットみたいな……」
 呆れて英斗が呟く。トカレフの銃弾の嵐が、再び二人に降り注ぐ。二人は慌てて身をかがめた。
「工藤さん。用意のいいところで聞きたいんだけど、パンツは持ってない?」
 ダウンジャケットで尻を隠し、英斗が訊ねる。うるさいとばかりに優作が舌打ちした。
「我慢しろ」
「風邪ひいちまうよ」
「しょーがねえな」
 煩わしそうに言いながらも、優作はズボンのポケットから丸められた布きれを取り出し、英斗に投げ渡す。丸められた布きれを広げると、トランクスだった。
「本当に何でも持っているんだね。工藤さんって、未来から来た猫型ロボット?」
「ハンカチと間違えただけだ。さっさと履け」
 物陰でトランクスを履く英斗。優作の下着なので、少し大きい。胴回りのゴムを詰める。
「来るぞ」
 優作の声に緊張が籠もる。英斗の顔が引き締まった。




探偵物語

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