神奈川県警が優作を重要参考人として指名手配しているため、これ以上横浜周辺をうろうろするわけにはいかない。事が済むまで、神奈川県から出たほうがいい。警視庁にも通報が行っている可能性はあるが、待ち合わせ場所が品川である以上は東京にいたほうがいいのではと思い、RZを東京方面へと走らせた。 適当なビジネスホテルに宿泊で部屋を取る。スーツを脱いでベッドに座り込む。スポーツバッグの南京錠を外し、中身を出す。 赤いスカジャン。ジーパン。くたびれたバスケットシューズ。横浜ベイスターズの野球帽。新聞紙にくるまれた大小様々な物品。新聞紙の包みに手が伸びるが、少し躊躇して手を止める。 パンツまで脱いで素っ裸になると、行きがけの薬屋で買ってきた睡眠薬をビールと一緒に飲んだ。頭から布団を被って無理矢理眠った。 また夢を見た。 男に犯される少女。男を殴り飛ばす優作。男が動かなくなるまで殴った、蹴った。全身血だらけの男。興奮が冷めやらない。初めて男根が勃起した。物足りない思い。暴走した若い肉体と魂の矛先が少女に向けられる。闇夜をつんざく悲鳴。そしてまた血。少女の泣き顔。見るたびに違う。知らない顔。久美。麻子。英斗。名前も忘れたあの女性。 なんなんだ。 寝ているはずなのに、意識が回復してきた。 夢を見ている優作。それを見ている優作。イヤな気分になった。必死でもがく。 目を開けると、古い欄間と木張りの天井。古い木造住宅。新しい畳の匂い。海風が頬を撫でる。 ああ、そうだ。 優作はぼんやりと考えた。 三浦のばーちゃんちに来ていたんだ。今朝はじーちゃんと一緒に漁船に乗ったんだっけ。 体を起こし、辺りを見回す。 「……ばーちゃん?」 返事がない。不安がよぎる。 「じーちゃん? ばーちゃん!」 呼び声が悲鳴に変わる。不安が増大する。 「久美!」 何故か久美の名を叫んだ。景色が高速で回転する。 気が付いたら、元のビジネスホテルの天井だった。腕時計を見ると、七時を過ぎている。 今日は夢見が悪すぎる。 寝汗でびしょぬれになった布団から這いだし、優作はバスルームに向かった。 頭から冷水をかけ、頭と身体を起こす。石鹸は使わない。 熱湯と冷水を交互に浴びて、バスルームを出る。煙草を取り出し、一服つけると、ようやく頭がすっきりした。裸のままベッドに腰掛ける。優作の携帯電話が鳴った。<番号非通知>と出ている。 「……[口畏]?」 『譚優作(タン ヨウズオ)だな』 聞いたことのない声。北京語だった。優作は煙草の煙を吸い込んだ。 「広東語で喋ってくれないか?」 カマを掛けてみる。広東語で訊ねた。電話の向こうで男が鼻で笑っていた。優作の広東語がわかるらしい。 『共通語(マンダリン)がわからないとは言わせんぞ。話はふたつ。ひとつは譚優作、おまえは俺が殺す。日本幇(リーベンパン)がどう言おうと知ったこっちゃない。もうひとつ。おまえの男の無事は俺が保証してやる』 「ずいぶん一方的な話だが、それをいうためにわざわざ電話してきたのか?」 『……殺す前にいいこと教えてやる。今回の宝石盗難で、上海幇の上層部はおかんむりだ。ご機嫌伺いに日本幇は、クスリを言い値で買わされる。取り引きは一〇時に品川プリンスホテルの会議室で行われる』 「どうしてそのことをオレに?」 『俺は、日本人どもや上海の連中がどうなろうと知ったこっちゃない。糞食らえだ。おまえさえ殺せればそれでいい』 「オレはあんたのことを知らない。どうして命を狙われなきゃならん」 『八年前のことを忘れたとは言わせない』 煙草を持つ手が一瞬止まった。優作の顔に緊張の色が走る。 八年前。血の記憶。脳が沸く。 「……あいつは?」 連れ去られた英斗のことを聞く。 『殺させない。特に、おまえたち腐った日本人には』 「無事なのか?」 『生きてはいる。日本人には任せられない。俺が預かっている』 「そこにいるのか?」 優作は耳に神経を集中した。電話のずっと向こうで、切なそうな喘ぎ声がする。 英斗! 叫びそうになった言葉を飲み込む。 『……代わってやる』 男が言った。英斗の喘ぎ声が大きくなる。 『英斗(インスィー)。男の声、聞かせてやる』 電話の向こうで男が話す言葉。日本語だった。訛りは強い。英斗の本名を北京語で言っていた。英斗の素性を知っているのか? 上海からの殺し屋。一体何者なのか。 電話口に英斗の苦しそうな息遣い。時々苦しそうな呻き声。恐らく、犯されているのか。血が上る。 「英斗!」 『くど……さ…ん……』 「英斗……すまない……」 自分の代わりに痛めつけられ犯されている英斗に、何て言葉をかけていいのかわからない。何もできない自分がもどかしい。優作は喉の奥からこれだけ言うのが精一杯だった。火のついた煙草を握りつぶすが、熱さを感じていられない。 『らしく……ない……よ……っ! 工藤さ……ああっ!』 枯れた喘ぎ声。どれだけの男たちが、英斗を犯し傷つければすむのだろう。もちろん、そのロクでもない男たちの中に、自分も入っていると優作は自嘲する。犯され、傷つけられながら、優作を励ます英斗。 あべこべじゃねーか。 苦笑が洩れる。悔しさに顔が歪む。 「……英司に会いたいか?」 気の利いたことの言えない自分が情けない。 電話の向こう。ガチャガチャ鳴る金属音。肉を叩き付ける音。英斗の喘ぎ声。返事はない。喘ぎ声がすすり泣きに聞こえる。 『工藤さん……来ちゃ……だめだ……』 「行っても行かなくても、どうせ殺される。なら、おまえだけでも助けたい」 『死ぬのは……俺一人でいい……』 「そんなことになったら、オレが英司に殺される」 苦笑混じりに優作が答える。 返事はない。英斗の喘ぎ声が次第に大きくなっていった。達した絶叫とともに、声が聞こえなくなった。代わりにあの男の北京語が優作の耳に入った。 『英斗の引き渡し場所については、追って佐藤から連絡があるはずだ。せいぜい日本幇や上海幇を引っかき回して、混乱させてくれ』 「……ひとつだけ聞かせて欲しい」 『何をだ?』 「なぜあんたは英斗を助ける」 『……馬麗秀(マーリーシウ)の息子だからだ』 「馬麗秀?」 『二度と日本人なんかに渡さない』 「お、おい! 待て……!」 優作の制止も聞かず、男は電話を切った。新たな疑問とやりきれない気持ちを抱え、優作もまた電話を切る。 |