◆ 逃亡者 [02]

 工藤探偵事務所を張っていた若い刑事が、ビルの入り口から飄々と降りてくる、背の高い男を発見した。スーツの上に厚手の白いダウンジャケット、丸いサングラスに黒のソフト帽。手には重いものが入っていそうな、迷彩柄のバックパック。呑気に口笛など吹いている。
 階段を下りきったところで、三人の刑事が優作を取り囲んだ。
「失礼。工藤優作さんですね?」
「そうですが、何か?」
 ニヤついた笑顔で答える優作。口に火のついた煙草をくわえる。
 ベージュのトレンチコートを着た若い刑事が、優作に一歩詰め寄り、胸ポケットから手帳を差し出す。
「我々は神奈川県警のものです。申し訳ありませんが、少々お時間をいただきたい。署までご同行願えませんか?」
「なんで?」
「それはキミが一番良く知っているはずだぞ、優作くん」
 一番年食った刑事が口を挟んできた。白髪混じりの頭は薄く、そよ風でも簡単になびくが、眼光は鋭い。さすがに一線の刑事である。
 優作はその男を懐かしいモノでも見るように見つめ返して、帽子を取る。
「何だ、浜崎さんじゃないっすか。久しぶりです」
「久しぶりだな。高校生の時以来か」
「随分老けたから、最初誰だかわかんなかった」
「また背が伸びたんじゃないか? キミは」
「オレは恐竜ですか」
 思わず優作が苦笑を洩らす。浜崎と呼ばれた壮年男性がニヤリと口を歪めた。
 それまで黙りこくっていた眼鏡をかけた刑事が、手帳を取り出し、事務的な口調で読み上げる。
「工藤優作。二三歳。職業、私立探偵。貴様には以下の容疑がある。恐喝、傷害、詐欺、窃盗。そして殺人」
「はあ?」
 怪訝そうに顔を歪める優作に、眼鏡の男はレンズの奥で目を光らせた。
「申し開きは署でお願いしようか」
「時間かかる?」
「貴様次第だ。場合によっては、留置所に泊まってもらうことになる」
「困ったなあ。今、ちょっと急いでいるし、そんな時間はないんだ」
「時間はこっちもない。大人しく来てもらおうか」
 眼鏡の刑事が、一歩優作に近寄る。優作は眼鏡の刑事に向かって、口にくわえていた煙草をぷっと吹いた。火のついた煙草が眼鏡の刑事に襲いかかる。刑事は慌てて身体をかがめた。そこへ優作が彼の頭に両手をついて、馬飛びよろしく眼鏡の刑事を飛び越え、走り去った。眼鏡の刑事は、突き倒されるように前のめりに倒れ、眼鏡を落としてしまう。
 優作の後を浜崎と若い刑事が追う。
「待て、工藤!」
「待てと言われて待つバカいるかっ」
 迷彩の鞄を大事に抱えひたすら走る優作に、
立ち上がった眼鏡の刑事も、すごい形相で後を追う。

 ひたすら通りを走る優作と刑事たち。速度はリーチが長い分、優作の方が早かった。徐々に離されていく刑事たち。しかし、いつまでも追いかけっこをしていれば、いずれは捕まる。
 どこかで撒かなければ。
 優作は大人一人が通れるくらいの路地を見つけると、そこに身体を滑り込ませた。
「路地に逃げました!」
 若い刑事が叫ぶ。
「よし! 青木、おまえは私と後を追おう。松本は、向こうから出口の方へと回ってくれ。挟み撃ちにする」
 壮年とは思えない生気のある声で浜崎が命令すると、松本と呼ばれた眼鏡の刑事は別の通りを走っていった。青木と浜崎が、優作の後を追って狭い路地に入っていった。
 細いが長い路地だった。優作ほどの大きな体なら、まだ出られないはずだ。
 しかし、路地にはすでに優作の姿はない。
「ハマさんっ」
 青木の顔が青ざめる。浜崎は力強く頷いて、路地の出口を指さした。
「とりあえず行くしかない。もしかしたら、先回りしている松本が、捕まえているかもしれないからな」
「は、はいっ」
 狭い路地を、身体を縮みこませて走る刑事たち。その後ろ姿を、優作は上から見下ろしていた。昨晩、コンテナの上に登った方法と同じく、両手両足を壁に突っ張らせながら。
 刑事たちが路地から出る。先回りしていた松本と合流するが、当然優作は見つからない。
「見失ったか」
 青木が悔しそうに地団駄を踏む。
「そう遠くへは行っていないはずだ。青木は向こう、松本は反対を捜してくれ。一時間後に、もう一度ここで落ち合おう」
「はいっ」
 浜崎の言葉に従い、両刑事は言われた通りの方角に走った。二人が去ったのを確認するかのように、浜崎が首を左右に振る。おもむろにきびすを返し、上を見上げる。壁にへばりついている優作と目があった。優作の心臓が飛び跳ねた。だが、浜崎の方は、今来た方向を指さし、優作に顎でしゃくって無言の指図をする。
 今のうちに行けと言うのだ。
 さすがに優作はちょっとだけ躊躇したが、すぐに無言で頷くと壁から手足を離して飛び降りた。帽子を取り、浜崎に向かって軽く会釈をすると、急いで事務所へと走っていった。

 事務所のあるビルまで来た優作は、他に誰も見張りがいないのを慎重に確認する。やはり誰もいない。優作は周囲を警戒しつつも、軽い足取りで英斗のRZに乗った。タンクに置きっぱなしのジェットヘルメットを被り、キーを差し込みエンジンをかける。2ストエンジンがうなりをあげる。優作は足早に中華街を出ていった。


探偵物語

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