工藤探偵事務所を張っていた若い刑事が、ビルの入り口から飄々と降りてくる、背の高い男を発見した。スーツの上に厚手の白いダウンジャケット、丸いサングラスに黒のソフト帽。手には重いものが入っていそうな、迷彩柄のバックパック。呑気に口笛など吹いている。 階段を下りきったところで、三人の刑事が優作を取り囲んだ。 「失礼。工藤優作さんですね?」 「そうですが、何か?」 ニヤついた笑顔で答える優作。口に火のついた煙草をくわえる。 ベージュのトレンチコートを着た若い刑事が、優作に一歩詰め寄り、胸ポケットから手帳を差し出す。 「我々は神奈川県警のものです。申し訳ありませんが、少々お時間をいただきたい。署までご同行願えませんか?」 「なんで?」 「それはキミが一番良く知っているはずだぞ、優作くん」 一番年食った刑事が口を挟んできた。白髪混じりの頭は薄く、そよ風でも簡単になびくが、眼光は鋭い。さすがに一線の刑事である。 優作はその男を懐かしいモノでも見るように見つめ返して、帽子を取る。 「何だ、浜崎さんじゃないっすか。久しぶりです」 「久しぶりだな。高校生の時以来か」 「随分老けたから、最初誰だかわかんなかった」 「また背が伸びたんじゃないか? キミは」 「オレは恐竜ですか」 思わず優作が苦笑を洩らす。浜崎と呼ばれた壮年男性がニヤリと口を歪めた。 それまで黙りこくっていた眼鏡をかけた刑事が、手帳を取り出し、事務的な口調で読み上げる。 「工藤優作。二三歳。職業、私立探偵。貴様には以下の容疑がある。恐喝、傷害、詐欺、窃盗。そして殺人」 「はあ?」 怪訝そうに顔を歪める優作に、眼鏡の男はレンズの奥で目を光らせた。 「申し開きは署でお願いしようか」 「時間かかる?」 「貴様次第だ。場合によっては、留置所に泊まってもらうことになる」 「困ったなあ。今、ちょっと急いでいるし、そんな時間はないんだ」 「時間はこっちもない。大人しく来てもらおうか」 眼鏡の刑事が、一歩優作に近寄る。優作は眼鏡の刑事に向かって、口にくわえていた煙草をぷっと吹いた。火のついた煙草が眼鏡の刑事に襲いかかる。刑事は慌てて身体をかがめた。そこへ優作が彼の頭に両手をついて、馬飛びよろしく眼鏡の刑事を飛び越え、走り去った。眼鏡の刑事は、突き倒されるように前のめりに倒れ、眼鏡を落としてしまう。 優作の後を浜崎と若い刑事が追う。 「待て、工藤!」 「待てと言われて待つバカいるかっ」 迷彩の鞄を大事に抱えひたすら走る優作に、立ち上がった眼鏡の刑事も、すごい形相で後を追う。 ひたすら通りを走る優作と刑事たち。速度はリーチが長い分、優作の方が早かった。徐々に離されていく刑事たち。しかし、いつまでも追いかけっこをしていれば、いずれは捕まる。 どこかで撒かなければ。 優作は大人一人が通れるくらいの路地を見つけると、そこに身体を滑り込ませた。 「路地に逃げました!」 若い刑事が叫ぶ。 「よし! 青木、おまえは私と後を追おう。松本は、向こうから出口の方へと回ってくれ。挟み撃ちにする」 壮年とは思えない生気のある声で浜崎が命令すると、松本と呼ばれた眼鏡の刑事は別の通りを走っていった。青木と浜崎が、優作の後を追って狭い路地に入っていった。 細いが長い路地だった。優作ほどの大きな体なら、まだ出られないはずだ。 しかし、路地にはすでに優作の姿はない。 「ハマさんっ」 青木の顔が青ざめる。浜崎は力強く頷いて、路地の出口を指さした。 「とりあえず行くしかない。もしかしたら、先回りしている松本が、捕まえているかもしれないからな」 「は、はいっ」 狭い路地を、身体を縮みこませて走る刑事たち。その後ろ姿を、優作は上から見下ろしていた。昨晩、コンテナの上に登った方法と同じく、両手両足を壁に突っ張らせながら。 刑事たちが路地から出る。先回りしていた松本と合流するが、当然優作は見つからない。 「見失ったか」 青木が悔しそうに地団駄を踏む。 「そう遠くへは行っていないはずだ。青木は向こう、松本は反対を捜してくれ。一時間後に、もう一度ここで落ち合おう」 「はいっ」 浜崎の言葉に従い、両刑事は言われた通りの方角に走った。二人が去ったのを確認するかのように、浜崎が首を左右に振る。おもむろにきびすを返し、上を見上げる。壁にへばりついている優作と目があった。優作の心臓が飛び跳ねた。だが、浜崎の方は、今来た方向を指さし、優作に顎でしゃくって無言の指図をする。 今のうちに行けと言うのだ。 さすがに優作はちょっとだけ躊躇したが、すぐに無言で頷くと壁から手足を離して飛び降りた。帽子を取り、浜崎に向かって軽く会釈をすると、急いで事務所へと走っていった。 事務所のあるビルまで来た優作は、他に誰も見張りがいないのを慎重に確認する。やはり誰もいない。優作は周囲を警戒しつつも、軽い足取りで英斗のRZに乗った。タンクに置きっぱなしのジェットヘルメットを被り、キーを差し込みエンジンをかける。2ストエンジンがうなりをあげる。優作は足早に中華街を出ていった。 |