◆ 脅迫者 [01]

 こそこそと恥ずかしそうにズボンを履く優作を後目に、英斗は立てなくなるほど大笑いしていた。涙を流し、腹を抱えてうずくまっているので、優作は心の中で「そっちのほうが面白いわ!」と文句を言うが、おそらく今の優作が何を言ったところで、英斗は聞く耳を持たないだろう。不機嫌極まりない声で、優作が
「行って来る!」
 と怒鳴って事務所を出た後も、笑い疲れてひきつっている声が、外まで聞こえるほどだった。
「くそ」
 短く悪態をついてはみたものの、まさか自分がこの場で古典的なギャグをかますとは思ってもみなかった。ふと、優作の好きなドラマのオープニングを思い出す。あの格好悪さにも惚れていた。しかし自分はと言うと、わざとやっているつもりではなかっただけに、余計に恥ずかしい。
 優作は軽く頭を振ると、目を閉じて瞑想をする。
 これから行われる取り引きは、こんなギャグで済む問題ではない。頭を切り換えて隙無く行動しないと、命にかかわるのだ。
 目を閉じて、ゆっくりと息を吸い、全身の細胞に酸素が行き渡るのを感じると、身体の奥に溜まった気を臍下に集め、口をすぼめて息とともに臍下の悪露を吐き出す。それを10回ほど繰り返している間、優作は自分自身の奥底に眠るものに呼びかける。
 再び目を開けたとき、優作の瞳は野獣のようにぎらぎらと危ない光が宿っていた。

 人気もまばらな夜中の山下埠頭において、ある一角では人相のよろしくない集団がたむろしていた。その中には、優作の最初の依頼人、高山の姿がある。おちつきなく腕時計を何度も見据えるが、時計の針は一秒間に一秒しか動かない。
 イライラしている咬竜会のチンピラ連中は、動物園のストレスが溜まった猿のように、右往左往としている。
 その様子を、優作は物陰からじっと観察していた。時計を見ると、時間は午後11時38分。待ち合わせの時間には、少々早い。
 首に巻いていた黒のマフラーを帽子ごと頭に巻き付け、黒のトレンチコートの襟を立てて、口にハンカチをくわえると、優作は夜の闇の中へと消えていった。

 コンテナの物陰には、トカレフを弄ぶチンピラ風の男が、寒そうに肩を擦って埠頭の様子を窺っていた。咬竜会の構成員の一人である。
 春とはいえ、寒い夜中にすきま風吹きすさぶコンテナの物陰で、こうしてじっと標的が来るのを待っているというのも、商売とはいえ正直いって辛い。せめて煙草が吸えたらなとも思うが、隠れている狙撃者が煙草などもってのほかだと思い、唾を飲んで我慢する。
 うまく狙撃に成功すれば、幹部に取り立ててもらえるし、トカレフみたいな玩具のような銃でなく44マグナムのような大口径の拳銃が貰えるかもしれない。彼は、昔見たアニメで、銃の名手の髭男が44マグナム片手に颯爽と活躍する姿にあこがれ、いまや立派なガンマニアとなっていた。とりわけ、口径の大きい本物の拳銃が欲しかったが、三下である彼がそんなものを持てるはずもない。
 故に、この仕事は彼の夢を叶える、絶好のチャンスなのだ。失敗は許されない。
「それにしても、この寒い海風、なんとかならないかなぁ」
 ダーティーを夢見る男が、小声で文句をたれていたら、彼の願いが叶ったのか風がぴたりと止んだ。ふうと安堵のため息をついたのも束の間、今度は得体の知れない重圧感が背後から襲ってきた。恐ろしいほどの殺気にも拘わらず、振り向けたのはさすがかもしれない。しかし、襲い来る黒い影は、風よりも早かった。
 あっという暇もないほど早く、黒い影は男の口を塞ぎ、鳩尾に強烈な一撃を叩き込む。男は白目をむいて、影にもたれかかるように崩れ落ちた。黒い影は男と握っていた拳銃を受け止め、気を失った男をそっとその場に転がす。
 顔を覆うようにして巻いていたマフラーと口にくわえたハンカチを取り、優作はゆっくりと息を吐き出した。男から取り上げたトカレフを握り、コートのポケットに入れたが、すぐに険しい顔をしてポケットから取り出す。トカレフから弾倉を抜いて、弾倉だけを抜き出してYシャツの胸ポケットにねじり込み、本体はなるべく男のての届かないところへ置く。
 くわえていたハンカチで、気絶した男を後ろ手に縛り上げ、腹にもう一発蹴りを入れると、優作は黒い風となって消えていった。



探偵物語

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