◆ 脅迫者 [02]

 高山が右往左往しながら、時計に目をやる。ここに来て、もう何十何百と見ていた時計である。足下には、煙草の吸い殻が山となって散乱していた。ポケットに手を入れ、幾箱か目の煙草を取り出そうとしたが、煙草はすでに切れていた。高山の神経までキレそうになったのを見計らったかのように、暗闇から革靴の音がたむろしているヤクザたちの元へ近づいてきた。
 そこにいた男たちは、皆一斉に音のする方へと振り返る。
 頭のてっぺんからつま先まで、夜の闇を模したような黒一色の人影。
 誰であろう、工藤優作その人であった。
「こんばんは。高山さん」
「おせえぞ、てめえ! いつまで待たせるつもりだったんだ!」
「おや、おかしいですねぇ。オレの時計では、現在、十一時五十九分三十一秒をすぎたところですが。待ち合わせの時間は、ジャスト〇時でしょう?」
「……っ!」
 澄まし顔で時計をのぞく優作に、高山は歯ぎしりをして怒りを表す。頭に血が上りそうになったとき、優作が左手に下げている銀色のアタッシュケースが、高山の視界に入った。
 あれだ。
 アレさえこちらの手に渡れば、後はどうにでもなる。今は我慢のしどころだ。
 沸騰しそうなほどに沸き上がる血を押さえ、高山は必死に笑顔を作って優作の所へと軽やかに歩み寄った。
「そ、そうだな。まあ、こっちの時計が少々進んでいたってだけの話だ。じゃあ、さっそく取り引きと行こう。まずはその鞄を、こっちに渡して貰おうか」
「その前に金だ」
「待てよ。元はと言えば、我々の方が先におまえを雇ったんだから、依頼人の言うことを聞くのが先決じゃないのか?」
「だから、依頼のキャンセル料は差し引いておいたはずだぜ? イヤならいいさ。こいつを警察に持っていくまでだ」
 そう言って鞄を肩に担いできびすを返す優作に、高山は慌てて近づいて優作の袖を引いて止めた。
「わ、わかったよ。しょーがねえ。……おい」
 高山は連れていた男の中で、パンチパーマをあてた細面の男を顎で指し、アタッシュケースを持ってこさせた。パンチパーマの男は、クソ面白くもないといった顔で、高山にアタッシュケースを渡す。ひったくるようにアタッシュケースを取り上げた高山は、すぐさま鞄を開けて、中身を提示する。百万円の束が八つ。確かに詰められていた。
「八百万円、確かにあるだろう? こいつはおまえさんに渡す。次はそちらさんの番だ。そっちの鞄を渡してもらおう」
 どうしても鞄が欲しい高山は、焦る気持ちを露わにして、優作の左手にある鞄に手を伸ばそうとした。鞄をひったくろうとしたその時、高山の手は虚空を掴まされる。優作が鞄を後ろに回してしまったのだ。
「まだだ。見せ金だと、こっちが丸損しちまうからな。金をきちんと確かめさせてもらうよ」
 鞄の中にある現金の山から、優作の手が無作為にひとつの百万円の束を掴み出した。その瞬間、高山たちの顔が青くなった。百万円の束をペラペラとめくると、最初と最後以外に一万円札はなく、中身はすべて白紙である。
 優作の表情には、驚愕も怒りもない。むしろ、薄ら笑いすら浮かべていた。
 当然である。この展開を、優作は最初から読んでいたのだ。いくらビデオ販売で荒稼ぎをしたからとはいえ、三下風情が八百万円もの大金を、すぐさま用意できるわけがない。
 偽金を見破られた高山は、優作とは逆に顔を青ざめさせ、額に玉の汗を浮かべている。
偽金を掴ませて、取り引きが終わったと見せかけて、その後邪魔になった探偵を始末するつもりだったのに、 すっかり調子を狂わせてしまったのだ。
「やってくれましたね、高山さん」
 そう言い放つ優作の声が淡々としていただけに、高山はとてつもない恐怖感に襲われた。だが、もう後に引くことはできない。取り引きを約束してしまった時点で、賽は投げられたのだ。
「や……やれっ!」
 高山の一言で、チンピラたちは手に手にエモノを取り、優作に襲いかかった。優作はきびすを返すとチンピラたちに背中を向けて、一目散にコンテナ積み場へと走る。それを見て高山はニヤリとほくそ笑んだ。
 馬鹿め。そっちには、拳銃を持っている子飼いが、先程から貴様を狙っているんだ。
 胸や頭に風穴を開けて倒れる優作の姿が、高山の脳裏に浮かぶ。
 しかし、いつまでたっても、コンテナ方面から火花が噴かない。
 何をやってんだ、アイツは!
 ヒットマン気取りでトカレフを持っていったチンピラに対し、高山は心の中で悪態をつきながら舌打ちをした。そいつがすでに、優作によって眠らされていることなど、ついぞ知らずに。
 優作はコンテナの隙間に身体を滑り込ませると、鞄を口にくわえてコンテナの側面に腕と足を突っ張らせ、腕と足の力だけでスルスルと登っていった。上に辿り着くと、コンテナの淵に両手を引っかけ、コンテナの上に身体を転がす。
 下の方では、登る手段がないチンピラたちが、口々に悪態をついていた。中には優作と同じように登ろうとする輩もいたが、この壁上りは見ただけで真似できる代物とは違う。子供の時からやっている中国人が、この技でビル荒らしをするのはよく聞く話である。さらに言うなら、チンピラと優作の手足の長さが、根本的に違う。短足のチンピラがいくら頑張ったところで、足が届くわけがない。
「くそっ」
 チンピラたちが腰からトカレフを抜き、引き金を引こうとしたその時、埠頭の入り口から、二、三台分の車のスキール音が近づいてきた。
「咬竜会のチンピラども! パクッたブツを返しやがれ!」
「白虎組!」
 それまで怒りで顔を真っ赤にしていた咬竜会の面々が、白虎組の出現で一気に青くなった。



探偵物語

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