◆ 鎖の街 [05]

「じゃ、じゃあ、俺に惚れてるっていうのは……」
「それは本心だ」
 事も無げに言い放つ優作だったが、英斗を見つめる優作の凛とした瞳を見ていると、言葉の真実性がなお一層はっきりとわかる。
 優作は煙草を斜めにくわえると、目を細めて自嘲する。
「悔しいがな」
 ぽつりと洩らした優作の言葉は、英斗に聞こえていたのだろうか。
 ふと左腕の時計を見下ろすと、時計の針は10時を回っていた。
「お。もうこんな時間か。11時過ぎには出たいから、ぼちぼち支度しとかないと」
 そう言ってベッドから立ち上がる優作の背中に、英斗が声をかける。
「工藤さん……。本当に一人で行く気?」
「ああ、そうだ」
「やっぱり、俺も行くよ」
「だめだ」
 なおもすがりつく英斗に、優作はピシャリと言い放つ。
「言っただろ? 一人のほうが都合がいいんだって」
「だけど、同じ口で言っていただろ? 自分(てめえ)で撒いた種は、自分でカタをつけろって」
「ああ……。確かに言ったな。でも、この取り引きは、オレと奴らの間での話だし、交渉が成立するとは思えない。ましてやおまえは奴さんたちに狙われているときている。悪いが、正直言って今のおまえさんは、足手まとい以外の何者でもない」
 キッパリと足手まといと言われてしまっては、英斗もそれ以上言い返すことができない。そんな英斗を元気付けるかのように、優作は英斗の両肩を力強く叩いた。
「そのかわりと言っちゃあ何だが、オレがいない間、事務所の留守番を頼む」
「給料出る?」
「時給700円でいい?」
 冗談混じりの英斗に対し、優作は真剣というよりは必死な顔をして、大きく開かれた右手の平に左手で作ったチョキをあて、英斗に指し示す。そんな優作の様子が可笑しくて、英斗は思わずぷっと吹き出してしまった。
「いいよ、それで。じゃあ、ちゃんと留守番しているから、工藤さんも無茶しないで」
「オレもまだ死にたくないからね。それより、メシ食ってシャワー浴びようと思うんだけど、英斗は何か食いたいモノあるか?」
「食いたいモノって……もう、ほとんどの店が閉まってんだろ? ここン家は食い物ありそうに思えないし」
 そう言いつつも英斗はベッドから下り、冷蔵庫や棚の中を探ってみた。
「何だ、意外にあるじゃない。冷やご飯に、ネギの切れ端、腸詰め、卵……。チャーハンでも作ろうか。フライパンある?」
「流しの中に中華鍋あるだろ? それでもいいか?」
 言われたとおり流し台の中を見ると、黒光りする両手付きの中華鍋が無造作に置かれていた。両手鍋は中国南方地方でよく使われている鍋である。香港で生まれ育っている優作にとって、馴染みのある鍋はこれである。
 割と手入れの行き届いている中華鍋を手に取り、英斗は満足そうに頷く。
「上等だよ。しかし、工藤さん家に中華鍋があるなんて、意外だな」
「便利なんだよ、中華鍋。お湯沸かして、そのまま顔洗えるし」
「きったないなあ、もう!」
 中華鍋を料理の道具としてだけではなく、生活用具としても使っていると聞いて、英斗は露骨にイヤそうな顔をして中華鍋を洗い始めた。かつて久美やマサにも同じ事を言われたが、生活用品の一部として鍋を使う風習が当たり前だと思っている優作には、彼らが嫌がることのほうが理解できない。
 三崎のばあちゃんだって、もらった花を水張った雪平鍋に入れてたじゃんか。
 変なところで潔癖な日本人の性格が、優作にはまだ理解不能だった。自分が半分向こうの人間だからか、単にズボラな人間性からなのか。
 鍋を洗い終えた英斗が、慣れた手つきで調理を始めた。さすがに母親が亡くなってから一家の台所を支えてきただけあって、あざやかな手つきだ。
「じゃあオレ、シャワー浴びてくるから、後よろしく」
「はいはい」

 優作が身体を洗っている間中、醤油の焦げる匂いがバスルームの中にまで漂ってきた。腹の虫が、早く食べたいと催促して文句をたれる。口の中に溢れる唾液を飲み込んで、空腹感を押さえようとするが、身体を洗う手は無意識に早くなっていく。
 パンツを履く手ももどかしく、優作がバスルームから出ると、テーブルの上にチャーハンとスープが並んでいた。短時間でここまでのことをするとは、さすがである。コンロの上では、蒸籠を乗せた中華鍋が、もうもうと湯気を立てていた。
「冷凍庫のなかに小龍包(しょうろんぽう)あったから、今それを温めてるよ。その間にチャーハン食べちゃおう」
「そうしましょう。無茶苦茶腹減った」
 トランクス姿のままで優作はいそいそと席に座ると、おもむろにチャーハンをかきこんだ。口一杯に頬張ったチャーハンを噛みしめると、腸詰めの肉汁と微妙な塩加減が、口の中にうま味を充実させる。
「うまい!」
 子供のように喜ぶ優作に、英斗はにっこりと微笑む。
「本当?」
「ああ。その辺の店で出しているヤツより、ずっとうめえ」
 そう言って次々とチャーハンを口に運ぶ優作の姿を見て、英斗は目を細めて旺盛な食欲を見守る。
 おそらくは何処の店に行ってもチャーハンくらいは置いてあるだろう中華街で生活している優作に、こうも褒められては、嬉しいと同時に少々恥ずかしくもある。優作の言葉が、お世辞ではなく本心からだというのは、食べっぷりを見ればわかる。
「おかわりある?」
「じゃあ、とりあえずこれ食べてて」
 英斗は自分の前に置いてあった手つかずのチャーハンを、優作に差し出した。
「おまえは食わねえのか? うまいのに」
 受け取りつつも訝しげな顔をする優作に、英斗はこくりと小さく頷いて答える。
「食が細くてね。それに、そろそろ
小龍包 も暖まってきた頃だし」
「だめだなぁ。ちゃんと食わないから、大きくなれないんだぞ?」
「俺は別に、工藤さんや英司のような身体になるつもりはないから」
 苦笑混じりにそう言うと、英斗は蒸籠のまま
小龍包をテーブルの上に置いた。空いている皿がなかったからだ。
 なんだかんだ言いつつも、英斗の分のチャーハンもほぼ平らげてしまった優作は、スープをすすると今度は 小龍包 に箸を伸ばした。英斗も同じように小龍包へと手をつける。
「うまいじゃないか、この小龍包。工藤さんが買ったの?」
「いや、それは貰い物。家出猫を捜したら、報酬代わりに貰った」
 小龍包を口の中いっぱいに頬張りつつ、優作が言った。
 探偵家業を始めてまだたいして日にちが経っていない優作は、そうした小さな仕事で細々と食っていくしかない。探偵とは名ばかりの便利屋である。マイクロバスの運転もすれば、猫も捜す。
 憧れていた情景とはほど遠い仕事だが、優作はそれに対して腐ることなく、黙々と頼まれた仕事をこなす。
「好きなんだよ、この街が」




探偵物語

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