◆  鎖の街 [03]

 そんな英斗の複雑な心持ちのことなど、まるで関心がないかのように、優作は煙草に火をつけると話を続けた。
「あの人がおまえに惚れているのは、知っているのか?」
「知ってる」
 英斗はそれだけ答えると、ぬるくなったコーヒーをゆっくりと飲み干す。テーブルに置いたカップに、優作が二杯目のコーヒーを注いでやる。
「酷だね、おまえさんも。三浦さんが惚れているのを知ってて、金のためとはいえ他の男と寝るんだから」
「ああ。自分でも酷いやつだと思うよ」
 自嘲気味の笑顔を浮かべて、英斗が答える。その顔を、優作はただ無表情に見据えるだけだった。
「三浦さんが俺なんかの何処がよくて惚れたのかは知らないけど、俺は別に首を突っ込むまで惚れてくれなんて頼んだ覚えはない。惚れた腫れたなんていうのは、そいつの主観であり勝手でもある。そのことで俺を恨む前に、俺自身の気持ちもわかって欲しいもんだけどね」
「その言葉、おまえ自身に返してもいいか?」
 静かで感情を押し殺した声だったが、その分だけ英斗の心の奥底へとズシリと響く。それでも平静を装ってはいるが、カップを握る手には必要以上の力が入っている。
 優作はあくまで淡々とした口調で話を続ける。
「そういうおまえはどうなんだ。あのとき鶯谷のホテルで、オレがおまえを抱いていた時、おまえは叫んだ。決して報われることのない、それでもどうしようもなく恋い焦がれているあいつの名前を」
 何とか平静を保っていた英斗が、とうとう崩れた。顔を真っ青にして息を飲むと、驚愕と不安とが入り交じった表情で優作を見上げる。優作は深く吸い込んだ煙草の煙を、ゆっくりと一条の筋になるように吐き出す。
「おまえが男と寝るのは、ゼニのためだけじゃない。そいつのことを忘れたいからだ」
「違う!」
 英斗は目を剥いて激しく首を振り否定するが、優作は構うことなく話を続ける。
「だが、ゼニは満たされても、心は満たされない。どんなに激しいセックスをしたところで、相手が奴でない限り、身体だって満たされることはない」
「違う! 違う!」
 それ以上聞きたくないとばかりに、英斗は両耳に手をあてて耳を塞ぐ。激しく首を横に振る英斗に対して喋るのを止めない優作は、冷酷とも取れるほどである。英斗を見据える優作の瞳は、研ぎ澄まされたナイフのように、鋭く冷たい。
 心の奥底を見つめているような冷たい瞳が恐くなり、英斗は力一杯目をつむり、顔を伏せて叫ぶ。
「言っちゃいけないんだ! 想っていてもいけないんだ! 英司さえ……英司だけが幸せになってくれれば! あいつは俺の半身だ! あいつの幸せが俺の幸せなんだから……!」
 頭を抱えるようにして伏せ入る英斗の顔から、大粒の滴が一滴、二滴と落ちていき、床に落ちるとカーペットに染み込んでいく。堪えきれなくなった涙が、堰を切ったように溢れ返り、次から次へと床に落ちて行く。
 優作は深いため息をつくと、短くなった煙草を吸い殻でいっぱいの灰皿に押しつけて火を消す。
「本当に英司を幸せにしてやりたいと思っているのか?」
 英斗は顔を伏せたまま、小さく頷く。
「おまえの幸せってヤツが英司の幸せだというなら、英司の幸せはおまえの幸せだと、何故思わん」
「もういい!」
 英斗は床を蹴って立ち上がると、憤怒の形相を露わに優作を睨み付ける。立ち上がったときに拳で涙を拭ったのだが、それでも溢れる涙は止まらない。
「宝石も金もビデオも俺にはもう関係ない! あんたたちで好きにしてくれ。オレはもう帰る。二度と俺の側に近づくな!」
「また逃げる気かっ!」
 立ち去ろうとする英斗の腕を、優作は力任せに掴んで引き寄せた。ただでさえ力の強い優作が、怒りにまかせて力を込めるものだから、英斗の腕にとてつもない激痛が走る。
 お互いの額がくっつきそうなほどの至近距離で、にらみ合う二人。憎悪の固まりとなった英斗が、優作の顔に唾を吐きかけた。頬を伝う英斗の唾を、優作はゆっくりと指で拭うと、何も言わずにその手で拳を握り、英斗の左頬に叩き付ける。ぶっ飛ばされた英斗は、風に舞う木の葉のように床へと崩れ落ちた。
 倒れ込んでしまった英斗は頭を2,3度振って顔を上げると、ズボンのポケットに手を突っ込んだ優作が、見下すように前に立っている。口の中にじわりと鉄の味が広がり、充満してきた液体を吐き出した。カーペットに赤黒い血のシミがつく。
「いい加減にしておけよ、二枚目。すべて自分(てめえ)で撒いた種だろが。自分(てめえ)自身でカタつけろよ」
「……宝石もビデオも、もう関係ないって言ってんだろ?」
「その話じゃねえ。オレは英司のことを言っているんだ」
 優作の言葉に、英斗は驚愕の表情を浮かべて顔を上げるが、すぐに落ち沈んだ顔になり、頭を垂れる。
「おまえは誰の幸せも願っちゃいないんだ。英司の幸せも、自分自身の幸せも。すべてを否定しているくせに、それすらも否定して、己の欲望のままにいるだけだ」
 英斗は答えない。相変わらず顔も伏せたままである。
 優作は構わず話を続けた。
「<かつて欲情の否定を知らず 汝の欲情するものを弾劾せり。>だ。おまえは、男たちとの快楽に溺れきれず、英司を望みながら英司を否定している」


探偵物語

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