◆ 裏切りの遊戯 [08]

 皆が黙々と作業をする中、優作は席を中座して煙草をくわえると、おもむろに携帯電話を取り出し、どこかへ電話をかけた。煙草に火をつけて、二回ほど煙を吐き出したとき、相手が出たらしい。
「もしもし、高山さんですか? 工藤です。……はい。鞄は確かに回収しました。それでですね……はいはい、それはわかってます。ですがね、高山さん……」
 電話の相手が高山だと知った英斗は、一瞬人形をバラす手を止めて、優作の会話に耳をそばだてる。
 最初は依頼人に対して丁寧な物腰で応対していた優作だったが、話の途中で声のトーンを落とし、脅すような口調へと変わっていった。
「あんたね、ビデオで二千万の荒稼ぎをしておいて、肝心の主演男優に三万はないんじゃないですか? ……しらばっくれるのもいい加減にしなさいよ。……わかってますって、あんたがその筋の人間だっていうことは。だからこそ尚更、通さなければならない仁義ってモンがあるでしょう。……そんな脅しが通用するとでも? 別にこちとら警察に駆け込んでもいいんですぜ? 言ったでしょ。警察からも話が来ているって。……え? 何が欲しいかって? そんなの決まってんじゃないですか」
 優作は嘲笑を顔にへばりつけたまま、まずは一呼吸おいて短くなった煙草をもみ消す。そして、さらに声のトーンを落として、ドスを利かせる。
「ビデオの稼ぎの半分を要求するよ。……何騒いでんだよ。当然だろ? 主演男優に対する正当な報酬としては。……そんなのこっちの知ったこっちゃないね。……なんですか、この期に及んで、また値段交渉ですか? ……ふざけんな。要求をビタ一文まける気はねえ。何なら、見積もりでも出してやろうか? 会計士さんでも呼んで、ちゃんとしたのを作るよ。確か、藤川組の若頭に元会計士がいたっけな」
 藤川組の名前を聞いて、ようやく仕事を再開した英斗が、また手を止めた。優作がいつの間にやら自分の懐深く潜り込んでいることに、少なからず驚愕しているようだった。
 優作は話を進めながらも、睨むように英斗を見つめる。視線に気付いた英斗は、慌てて作業を再開した。
「……ああ、そうだ。知ってるも何も、親の代からのお友達だよ。……そうだよ。初めからそうして素直に言うことを聞いてりゃいいんだ。……あんたらと一緒にすんなよ。脅しじゃねえ。立派なビジネスだ。……あーん? それはちょっと虫がいい話じゃねえか? ……オーケイオーケイ。じゃあ、ヒデの受け渡しのキャンセル料として、200万をさっぴいてやるよ。あんたたちから貰った依頼料が、日当と必要経費込みで100万だろ? その倍の金をキャンセル料としてやるって言ってんだ。勿論、一千万円から差し引いてもらうがな。ヒデが入っているとはいえ、2割もまけてやったんだ、有り難く思って欲しいな」
 少々と言うよりかなり脅しの入った優作のビジネストークに、耳をそばだてて聞いていたマサたちは手袋の中で汗を滲ませていた。
「それで、鞄を返す場所だがな。山下埠頭のB棟18番倉庫……誰も使っていないところだ。そこに今晩0時きっかしに来るんだ。……いいや、仲間は連れてきても構わない。……来るなっていったって、どうせこっそり付いて来るつもりなら、最初からお目にかかったほうがいいしな。……心配するな。ちゃんと鞄は持っていく。そっちこそ、金を忘れるなよ。合い言葉は"あらしのよるに"だ。約束を違わないことを祈るよ。じゃあな」
 優作はニヤリと笑ってそう言うと、電話を切った。優作の話の一部始終を聞いていたマサたちは、手こそ動いてはいたが、イマイチ顔に生気がない。
「どーしたのよ、皆さん。元気ないじゃない。疲れたの? コーヒーでも淹れよっか」
 そう言って飄々とした顔で煙草をくわえる優作に、全員が一斉に恐い顔で睨み付ける。先程までの迫力はどこへやら、優作はたじろいで半歩後ろに下がった。
「工藤ちゃん……。アタシ、犯罪に巻き込まれるのは、本っ当に御免だからね」
 珍しくマサがドスを利かせた口振りで喋る。普段の裏声からは想像もつかない、立派な男の声である。それだけに、ここにいる誰よりも迫力のある声だ。
 優作は顔に薄笑いを浮かべると、両手を胸の前に出して、落ち着くようにとゼスチャーで示す。
「だから、巻き込ませないために、そーして手袋までして作業をしてもらっているんじゃないですかぁ」
「あんたねぇ!」
 食ってかからんばかりの勢いで立ち上がったマサを、ノリと英斗が押しとどめた。
「待った、マサトちゃん。この件は工藤クンにすべて任せましょうよ」
「でもカッちゃん……」
「いいから。マサトちゃんには悪いと思うけど、ヒデちゃんのことを考えれば、工藤クンの言う取り引きも悪くはないわ。お金や宝石のことはともかく、これから奴らが迂闊にアタシたちのような男娼に近寄らないようにするためにも、多少の危険は覚悟しても、取り引きに従わせることが重要なの」
「そういうことだ。奴らのことだから、まともに応じるつもりはないと思うが、こっちだって相手の言葉を鵜呑みにするほど阿呆じゃない。今回の取り引きは、警告だ。オレたちを騙したら、どういう目に遭うかってことをわからせる」
 煙草に火をつけてのたまう優作に、マサは心配そうに訊ねる。
「何か策はあるの?」
「一応ね。とりあえず、この仕事が終わったら、皆さんお開きということで結構です」
「当然よ」
 と言い放つマサを後目に、英斗は面食らったような顔をして、腰を浮かせて立ち上がる。
「どうした? ヒデくん」
「まさか工藤さん、一人で取引現場に行くつもりじゃないだろな」
「当然、オレ一人に決まってンだろが」
「俺も行く!」
 さも当然のような口振りで単身乗り込むことを宣言した優作に対し、英斗は自ら優作に着いていこうと名乗り出た。
 元はと言えば、英斗が鞄を奪ったことによって始まったこの事件なのだから、英斗もそれなりに責任感を感じていての発言だろう。だがしかし、優作は首を横に振って英斗の申し出を断る。
「どうして! だって、元はと言えば俺のせいだし。それに、仲間が大勢いたら、いくら工藤さんでも大変だろ?」
「オレは喧嘩に行くつもりはない。失敗を前提にした交渉に行くだけだ。それに、おまえを連れていったりなんかしたら、奴らが黙って見過ごすわけねーだろ」
「でも……」
「いいから。それに、正直に言うと、おまえを連れていったりしたら、計画が台無しになっちまうかもしれないから、大人しく待ってて貰いたい。心配なら、横浜(こっち)でオレの帰りを待っててくれるか?」
「……馬鹿」
 英斗は苦笑いを浮かべると、再び手元の作業に没頭し始めた。優作もまた苦笑を浮かべ、再び電話を取り、別の番号にかける。電話と煙草と灰皿を持って、足でベランダの窓を開けて外へと出る。また誰かと話をしている様子だったが、ベランダの窓を閉められると、声はまったく聞こえなくなった。


探偵物語

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