◆ 裏切りの遊戯 [05]

 陽が少し高くなった頃、ようやくマサが目を覚ました。
 二人は少し遅めの朝食として、豆腐とワカメのみそ汁と納豆ご飯と沢庵、それと山盛りのボイルドソーセージがテーブルに並んだ。家事はとんと苦手な優作だが、これくらいのことはできる。ただし、味の方はというと、
「……まあ、だいぶマシになってきたわね」
 とマサに言われる程度だが。
「他人ン家泊まって、メシたかって、その言いぐさかよ」
 優作がみそ汁をすすりながら文句を言う。マサに文句を言っておいて何だが、ご飯はヌカ臭いしみそ汁はしょっぱいと、自分でも思っている。自分だけなら、腹に入ればみな同じなのだが…… 。
「それにしても工藤ちゃんて見た目がそれだから、朝はトーストにコーヒーってイメージだけどねえ」
「たまにだったらいいんだけどね。やっぱ、ご飯とみそ汁がないと」
「香港とかでもそうだったの?」
「いや。オフクロがそういう……なに? 対面とか外面を気にするタチだからね。だから尚更、みそ汁とか恋しくて」
「ああ。そうだって言っていたわね」
 二人は沢庵を摘むと、口の中に放り込み、ボリボリと音をたてて食べる。咀嚼の間、事務所の中はBGM代わりのラジオが、とりとめもないニュースを流している音だけが響いていた。
 静かな時が流れていた。
 そのとき、事務所の電話がけたたましく鳴り響き、静寂をうち破った。
 優作はみそ汁で沢庵を流し込むと、急いで受話器をあげる。
「はい。工藤探偵事務所です」
『もしもし。譚少爺? クリ−ニング屋です。スーツできあがりましたけど、取りに来ます? それとも、事務所までお持ちしましょうか?』
「あー、そっか。じゃあ、持ってきてくれる?」
『わかりました。すぐお持ちしますね』
「あい。よろしくー」
 愛想のいい返事をすると、優作は電話を切った。
 マサが蓋碗を二つ取り出し、龍井茶の茶葉を蓋碗に入れてお湯を注いで、蓋をして茶葉を蒸らす。ひとつを優作が座っていたほうのテーブルに置くと、ニコニコと笑みを洩らした。
「誰? 仕事の依頼か何か?」
「いや、陳さん。クリーニング屋の。派手に汚されたからな。クリーニング代と治療費、請求してやらないと」
 冗談混じりの口調で優作が返事をしたとき、また事務所の電話が鳴り響く。
「はい。工藤探偵事務所」
『私です、工藤さん。高山です』
「ああ、高山さんですか。どうも……」
 電話をよこしたのは、最初の依頼人、咬竜会の高山である。
 優作は、事務所に来たときの営業用の顔と、昨晩のビデオに映っていた高山の顔を思い出し、胃の辺りがムカムカしてくる感覚を覚えた。しかし、電話口での口調は、あくまで営業用の当たり障りのないものである。
『どうですか? その後の調査の方は……』
「それなんですがね、高山さん。あんたがたの欲しがっている鞄、ありゃ一体何ですか? 鞄ひとつに、暴力団や警察が、やたら群がってきてるんですがね」
 電話の向こうで高山が固まっている様子が、優作には手に取るようにわかった。暴力団はともかく、警察は彼らにとって禁忌らしい。優作が警察という言葉を出したとき、電話の向こうで高山が息を飲んだのがわかったからだ。
『あ、あんたには関係のないことだ。あんたは依頼された通り、鞄と"ヒデ"という男を捜し出せばいい!』
 キレる高山に対し、優作は平然としていた。それどころか、口許には微笑さえ浮かべている。もっとも、相手が電話では、微笑しているのかさえわからないだろう。
 とうとう本心が出てきたな。
 というのが、優作の心中である。
 ビデオの出演者のなかで、一番人当たりの良さそうな顔をしていたのは、高山だった。大人しく腰を低くしていれば、気弱なサラリーマンに見える。だからこそ、高山は依頼人として出張ることになったのだろう。
 しかし、所詮はヤクザにもなれないチンピラ風情。突っつけばすぐにボロが出る。
 優作は何食わぬ顔をして、調査報告を述べる。
「もちろん、どちらも捜し出しましたよ」
『ほ、本当かっ?』
「ええ。警察にはまだ知らせていません」
『白虎組にもか?』
 電話口で高山が白虎組の名前を出したので、優作は心の中で舌を出し、思いっきり馬鹿にした罵声を浴びせた。自分が白虎組に対する、敵対勢力の一員だと言っているようなものだ。
 だが、電話で対応する優作の口調は、あくまで冷静で事務的である。
「はい。何がどうあれ、依頼人は高山様ですし、たいそうな金額の前金もいただいておりますからね。ただ……」
『ただ?』
「彼と鞄の引き渡しについて、少々面倒なことがありましてね。先程も述べたように、私、警察と白虎組にマークされておりまして。一昨日と今朝も、暴漢に襲われてしまったんですよ、私」
『……わかった。治療費ぐらい出してやる』
 治療費を請求させられたと思った高山は、吐き捨てるように言うが、電話を介しているにもかかわらず優作は大げさに首を横に振り、慌てた素振りで否定する。
「いえ、お金の話ではなくて。そういうヤバイ状態だから、ウチの事務所はまずいって話なんです。相手が派手に動いている以上、貴方のところもね」
『そういうことか。取り引きの河岸を変えようということだな?』
 金の話ではないので、高山も少しは安心したらしい。
「そうです。時間と場所については、後ほどこちらで指定させていただきます。何しろ、ちょっとゴタゴタしているものでね」
『わかっている。警察や白虎組の裏をかきたいわけだな。それはこちらも同じだ』
「そういうことです。面倒とは思われますが、ご協力願えますでしょうか」
『構わん。詳細が決まったら、連絡をよこせ。こっちの連絡先は知っているだろう?』
「はい。それではまたのちほど」
 そう言うと、優作は受話器を戻して電話を切る。黒電話はチンと軽い金属音を立てて、受話器を収めた。



探偵物語

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