煙草を持って事務所に戻ってきたところで、優作の携帯電話が着信音を鳴り響かせる。時計を見るとまだ7時前で、昨晩から泊まっていたマサは、まだ熟睡中だ。 マサとの間で遠慮するようなことは何もないのだが、やはり早朝からの電話で起こすわけにはいかない。 今のところ、携帯の電話番号を知っているのは、陳老人、父の裕次郎、ローン瑞祥の社長・榊原、そして英斗である。おそらくは、このうちの誰かであろう。 優作はボタンを押して電話に口と耳をあてた。 「もしもし」 『相変わらず早起きだな、優作は』 「何だ、親父か」 優作はつまらなそうに吐き捨てると、チェアーに腰を下ろし、煙草をくわえた。 電話の向こうで、裕次郎は朝から豪快に笑い飛ばしている。 『ご挨拶だな。それより、調査の方はどうなんだ?』 「手がかりが少なすぎてね」 『本当か?』 問いかける裕次郎の口調は、けれども冗談っぽいようで、どことなく威圧感を感じるものだった。まるで、優作の手の内を、すでに見透かしているかのようである。 裕次郎は、まるで尋問でもするかのように、さらに問い詰める。 『なら、どうして尾行を撒いたり、盗聴器を壊したりする必要がある?』 「やっぱりあんたらか」 優作は憎々しげに吐き捨て、煙草をくわえた。 一昨日、念のためにやっておいた尾行対策は正解だった。だが、相手は暴力団ではなく、父親の仲間である警察官たちということが、善良な一市民と豪語する優作にとって、背徳行為以外の何ものでもない。 「尾行を撒かれたから、今度は盗聴器って、官憲のすることか? 島さんも利用したんじゃあ、ゼニだってかかったろうに」 『麻子ちゃんは、喜々として協力してくれたぞ。確かに、多少の謝礼は払ったがね。それにしても、利用したなんて言い方、[父巴][父巴](パパ)はキライだな』 「何がパパだよ……」 優作は吐き捨てるように言うと、ライターの火を煙草に移す。 イヤにタイミング良く麻子が現れたと思ったら、やはり裕次郎が裏で糸を引いていた。うまいこと言って優作に近づき、事務所に盗聴器を仕掛けさせたのだ。優作との情事まで放送した可能性もあるが、麻子がそんなヘマをやらかすような女とは、優作はとても思えなかった。 「まあ、ここんところ女に飢えていたから、おかげさまでいい思いはさせてもらえたけどね。黒木さん、怒ってんじゃないの?」 『ああ。黒木くんと麻子ちゃんのことは、オレも知らなかったよ。でも、もう別れているんだろ?』 「島さんはそう言っていたけどね。黒木さんがどう思っているかは知らない。嫉妬に駆られた刑事に、命を狙われるのはイヤだからな」 そう言って紫煙を吐き出す優作に、裕次郎は電話越しに豪快に笑い飛ばす。 『アメリカから黒木くんの格好をした狙撃者(ヒットマン)が来ているという情報は、今のところ入ってきていないよ。もし来たら、真っ先に知らせてやる』 「そいつぁどうも」 礼を述べるも、優作の口調は苦々しくてたまらない様子である。 そんな優作を、あの豪快な笑いを飛ばして揶揄していた裕次郎だったが、一転してドスの利いた厳しい口調に変わり、息子に問い詰める。 『時間がないんだ、正直に答えろ。宝石はどこだ』 「ったく、どいつもこいつもせっかちで……」 優作は頭をかき上げ、苦々しげに言い放つ。 『調べはとうについているんだろ?』 「ある程度はね」 あっさりと肯定すると、優作は再び煙草をふかす。 電話の向こうで、裕次郎が血相を変えている様子が、手に取るようにわかった。尋問口調に拍車がかかる。 『どこまで調べがついているって? 答えろ!』 「あわてなさんな。煙草でも吸ったらどうだ?」 『ふざけている場合じゃないんだぞ!』 「そうがなるな、落ち着けって」 『優作!』 「落ち着けって言ってんだ!」 常に飄々としていて掴み処のない<風の裕次郎>が、自我を忘れて優作に詰め寄るが、優作もまたデスクを叩いて怒鳴り返す。 自室のほうで、マサが寝ぼけた唸り声を出したので、優作は慌てて声を押し殺して、電話に話しかける。 「オレはな、あんたんトコ以外にも、宝石奪還の依頼を二件も頼まれてんだ。あんたらがそういう態度で出れば、宝石をそっちに回してもいいんだぜ? そうすれば金も出るだろうし、また痛い思いもしないですむ」 『……脅しか?』 「取り引きさ。宝石のはいった鞄は、ある信用できる人間に保管を頼んである。そいつの名前や素性は教えられない。だが、咬竜会に怨恨を抱いている人間でね。奴らから幾ばくかのゼニでも貰わなきゃ、やってらんないらしい。それについてはオレも同意見でね」 『警察官を前に、脅迫予告とはいい度胸だな』 裕次郎の口調が、ようやく平静を取り戻した。優作はフィルターがこげるくらい煙草を深く吸い込むと、灰皿の中でもみ消して、ニヤリと笑う。 「あんたが功を焦ってバカな真似をするとは思えない。とにかく、咬竜会との取り引きに、宝石を利用させて貰う。もちろん、渡すつもりはないけどね」 『脅迫だけでなく、詐欺まで予告しやがったな。まあ、いい。ICPO(こっち)としては、無事に盗品を取り戻せれば、問題はないんだからな』 「うまくいけば、二,三日でカタはつく。それまで預からせて欲しい」 『構わんが、オレは関知しないぞ。責任は自分で持て』 「わかってるよ。事が上手く運んだら、宝石は必ずそっちに持っていく」 そう言うと、優作は携帯電話の切ボタンを押した。 チェアーに座り直し、煙草を取り出すと口にくわえて火をつける。深いため息とともに、鼻と口から煙を吐き出す。煙草一本を灰にしている間、思案に暮れる。 思案の後に、優作はチェアーから立ち上がると、カーテンを開けて窓の外を見やる。雑然と立ち並ぶ町並みを、朝日が白く照らしていた。 「……やるか」 優作はそう呟くと、台所に足を運んで、サイフォンとコーヒー豆を取り出した。 早い時間とわかっていても、何となく優作の声を聞きたかった英斗だったが、携帯電話は話し中だった。優作が起きていることがわかって、何度かかけ直してはみるが、 いつまで経っても話し中だったので、英斗は諦めかけていた。 そのうち、誰かが目が覚める気配がしたので、携帯電話をポケットにしまい、何事もなかったように部屋に戻る。 今日は登校日だが、朝食の支度くらいは、しておかなければならない。 |