◆ 影を捨てた男 [05]

 突如現れた不思議な大男に、何故か不良たちは一瞥されただけで圧倒されていた。相手は一人。サングラスをかけていて目は見えないが、特にエモノらしいものを持っていたり、鋭い構えを見せているわけでもないのに、なぜか背中からイヤな汗がにじみ出る。
 それでも一応、優作への包囲網は狭めているが、攻撃のきっかけが掴めない。
 相手は一人なのに……
 そんな気持ちが、プレッシャーをさらに増幅させる。
「う……わああああっっ」
 緊張した雰囲気に耐えきれなくなって一人が、拳を振り上げ優作に襲いかかる。優作はそいつの攻撃を片手で受け流し、水月に掌底を見舞った。男は口から胃液を吹き出し、白目をむいて倒れ込んだ。
 先程の試合のより、はるかに呆気ない幕切れである。
 だが、今の攻撃が不良たちのタガを外してしまった。彼らは手に手にナイフやチェーン、ブラックジャックなどを握ると、一斉に優作めがけて襲いかかる。
「やれやれ」
 優作は面倒くさそうにそう言うと、頭めがけて飛んできたチェーンの端を左手で掴んだ。チェーンを持っている男ごと引き寄せ、チェーンで別の男が振り回したナイフを受ける。そのまま、引き寄せた二人の腹部と金的に、容赦のない蹴込みが入り、二人は声も立てずに悶絶した。
 不良グループの中で一番の大男は、優作と比べると頭ひとつ分小さい。それでも果敢に優作相手に拳で挑んできた。突き出された左拳を右手で掴み、次いで繰り出された右の突きも左手で捕まえると、右手を離して相手の腕ごと振り下ろし、掴んでいた相手の右手を引き寄せ、肘撃ちを入れる。大男の腕がベキッという音を立てると、彼は目を見開いて大声で叫び、のたうちまわった。
 腕を押さえて転がる男を見て、残った番長格の男は驚愕の表情で優作を見やる。怯えきっている男に向かって、優作は鼻先にサングラスをずらして目を向けた。瞳に侮蔑と哀れみの色を帯びた目で。
「オレもいざこざは嫌いなんだ。ましてや高校生(ガキ)相手に、本気を出すのも馬鹿らしい。大人しく引き下がってくれると有り難いんだけどねぇ」
 口調はのんびりしていたが、放たれるプレッシャーは重い。眼光鋭い目で睨まれた番長は、顔からすっかり血の気が失せていた。それでも、不良グループの頭を張っているという意地だけが、恐怖のどん底から彼を引き起こす。
 半ばヤケになった番長は、雄叫びとともにブラックジャックを振り上げ、優作に向かって突進する。振り下ろされたブラックジャックを、優作は難なく左手で受け止め、潰すように握りしめた。
「暗器ってえのはな、見えないように使うから暗器って言うんだ」
 まるで出来の悪い生徒に懇切丁寧に教える教師のように、優作は怯える番長に向かって諭すように言ってのけた。
「こんなもん、見えるように振り回すんじゃない。バカ」
 最後にそれだけ言い放つと、優作は素早く番長の前にかがみ込み、水月に掌底を当てると、思いっきり腕を伸ばした。番長もまた、腹を抱えて噴水のように胃液を吹き出すと、どうっとその場に倒れ込み、それきり動かなくなってしまった。
 5人の高校生が地べたに這いつくばっている中で、優作だけが気だるげに立っている。
 そんな優作に、屋根の上から英斗が絶賛の拍手を送った。口には月餅をくわえている。
「さすが工藤さん。やるじゃないか」
「あ、オレの月餅! 食うなって言っただろ!」
 優作は物置の屋根の庇に掴まると、勢いをつけて屋根へと飛び乗った。茶菓子はあらかた英斗に食われている。
「あーあ。黒ゴマあん、一番好きだったのになあ……」
 泣きそうな真似をして、恨めしそうな目つきで、優作は英斗を睨み付ける。英斗もまた、悪びれた様子もなくおどけて肩をすくめた。
「酒飲みの工藤さんが、甘いモン好きって知らなかったよ」
 英斗は食べかけの月餅を、優作に手渡す。渋い顔をしながらも、優作は仕方なく小さくなった月餅を、一口で頬張った。
「ところで、あいつらどうするの?」
 口一杯に月餅を入れて、もごもごと口を動かす優作に対し、英斗はのされている不良たちを肩越しに指さして訊ねる。
「ほっとけ。奴らだってオレたちにやられたなんて、誰にも言えやしない」
 優作は不機嫌そうに言い放つと、水筒のお湯を茶壺に入れ、お茶の用意を始める。英斗は、優作が使っている小さな茶道具を、物珍しそうにしげしげと見ていた。
「それ、ずいぶん小さい茶道具だね」
「中国茶用の茶器だよ」
「にしても、そんなものいつも持ち歩いているわけ?」
「オレは香港生まれの香港育ちだからな。不味いペットボトルのお茶は、我慢できないんだ」
「へえ……」
 優作が香港で生まれ育ったと聞いて、英斗は少し驚いた。道理でスケールが日本人離れしていると思った。
「それにしても、工藤さんがお茶なんて珍しい」
「今日は別の仕事でね。運転任されているから、酒が飲めないんだ。それに、おまえさんに会えたのは、ほんとに偶然。飲むか?」
 小さな茶杯にプーアール茶を入れると、優作は英斗に茶を勧めた。英斗は黙って受け取ると、一気に飲み干し、口の中で茶を転がす。月餅で甘くなっている口の中を、プーアール茶の爽やかな渋みが洗い流してくれた。
「プーアール茶って、もっと苦いものだと思っていたよ」
「それは三
煎目だから、渋みは少ないはずだ。ちゃんと淹れれば、一煎目からでも旨い茶が飲める
「通だね」
「向こうでは常識だよ」
 そう言うと、優作はお茶をもう一杯、英斗に勧めた。英斗は軽く会釈をして、杯を手に取る。



探偵物語

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