◆ 影を捨てた男 [04]

 優作は誰にも悟られないように応援席を後にして通路に出たところ、応援席の奥から血相を変えた麻子が飛び出してきた。
「島さん」
 思わず優作は、麻子に声をかける。しかし、呼び止めはしたものの、何て声をかけていいやらわからない。
 だが、麻子の方は、優作の心中を推し量っている場合ではなかった。
「工藤くん……。私、医務室に行ってくる!」
「わかった。柴さん、島さんに付いていってあげてください」
「よし。麻子ちゃん、オレもついてくよ」
 麻子は不安げな目でちらりと優作を見上げたが、優作が力強く頷いて見せたのでつられて頷くと、柴の後について陽一が運ばれた医務室へと急いでいった。
 優作は、二人の後を少し遅れるように付いていくフリをして、英斗がいるであろう応援席に目をやった。ところが、すでに英斗の姿はそこになく、父親は息子の友人らしい高校生たちと談笑している。
 英斗は……っ。
 周囲を見渡し英斗の影を捜すと、小用で通路に出たと思われる英斗の後ろに、トイレで見かけた不良学生が二人、こっそりと尾行(つい)ていっていた。駆け出しとはいえ、プロの探偵である優作から見て、おおよそ下手な尾行である。
 優作はため息をつくと、みんなにバレないようにそっと席を離れた。

 小用を終えた英斗は、トイレから出たところを、倍くらいの体格がありそうな不良学生に声をかけられ、半ば無理矢理場内から連れ出された。もっとも、脇を固められなくても、言われたとおり付いていくつもりだったのだが。
 長いこと使われていないような物置小屋の路地に連れてこられた英斗がそこで見たものは、時代錯誤も甚だしい番長気取りの不良集団だった。
 時代錯誤と言えば、あの男も最初に会ったときは、一昔前の映画かドラマかといった格好をしていたっけな。
 英斗はふと脳裏にある男の姿を思い浮かべ、苦笑を洩らした。
 そんな英斗に対し、怪訝そうな表情を浮かべた番長格らしい男が、ドスを利かせた声で、英斗に問いかける。
「有馬英司の兄貴だな?」
「だとしたら?」
 飄々とした態度で、番長の質問に受け答える。
 番長は大股で一歩英斗に詰め寄った。
「次の試合、有馬英司には負けて欲しい」
「そりゃあ、無理な相談だな」
 不敵な笑いを浮かべて答える英斗に、他の不良たちは色めき立って英斗の周囲に立ちふさがる。番長は手を挙げて、彼らの動きを牽制した。
「きれいな顔して言うじゃねえか」
「当たり前だ。英司は負けない。誰にも、だ」
「啖呵も上等だ。肝も据わっている。よっぽどこんな状況に慣れているらしいな」
「大会ごとに、てめえらのようなカスにお会いするよ。オレを人質に取って、英司に棄権をせまろうとするバカがね」
 こみ上げてくる笑いを抑えきれない英斗は、喋りながらもつい笑い声を洩らしてしまう。そんな英斗の態度は、勿論不良たちの神経を逆なでした。怒りがこみ上げ、拳を振り下ろした大柄男の腕を、番長が掴んで止める。
「まだだ! なあ、有馬の兄貴。つっぱらかるのも結構だが、万が一、あんたがオレたちに輪姦されたなんていったら、あんただけでなく、弟の名前にも傷が付いて、二度と表舞台に出られないんじゃないか? それだったら、一度の試合放棄負けでいたほうが、よっぽどマシだとオレたちは思うがなぁ」
「それもよく聞く脅し文句だ」
 英斗はもう我慢の限界だった。堪えていた笑いを抑えることができず、腹を抱えて笑い出す。不良たちも我慢の限界に達していた。ここまでコケにされては、番長とその傘下としての沽券に拘わる。
 番長は止めていた男の手を離すと、振り下ろす拳に任せた。
 そこには、生意気な口を叩く有馬英斗が、無様に叩き伏せられているはずだった。
 しかしその姿は、まるで煙のように消えていた。大男の拳をかいくぐった英斗は、そのまま彼らの背後に回り込んでいたのだ。
「あー。馬鹿馬鹿しい。やってらんねえや」
 さも退屈と言わんばかりに英斗は大あくびをして背筋を伸ばし、不良たちに背中を向けると、廃屋のような物置に向かって言った。
「俺はもう面倒くせえから、パス。後は頼んだよ、工藤さん」
「何だ。気ィ付いていたんか」
 物置小屋の屋根の上で、高見の見物を決め込んで座っていた優作は、頬杖をつくと、つまらなそうに答える。
 突如現れた背の高いサングラス男に、不良たちは度肝を抜かれた。
「せっかく場外乱闘が見物できると思って、茶菓子まで用意していたのにな」
「何言ってんだ。あん時だって、ずっと見物していたろ?」
「あれも気ィ付いてたんか」
「最初からね」
「つまんねーの」
 小屋の側にあるガラクタを踏み台にして、英斗はジャンプを繰り返して上ってきた。
「おっさん! てめえ、一体何モンだ!」
 不良の一人が、優作を指さし大声で叫ぶ。
 優作は英斗に向かって、不満そうに肩をすくめる。
「おっさんだって。オレのこと」
「俺たちガキから見れば、充分おっさんだろ?」
「まだ若いつもりなんだけどなぁ」
 ぶつぶついいながら優作は立ち上がり、不良たちを見回した。数は5人。
 優作は赤いダウンジャケットを脱ぐと、英斗に放り投げ渡す。
「月餅は食うなよ。大好物なんだから」
 英斗のことを指さしてそう忠告すると、優作はまるで空でも飛んできたかのように、物置小屋の屋根から優雅に舞い降りた。
 英斗は屋根を見回すと、水筒と小さな茶器のセットと茶菓子があった。どうやら優作は、本気で高見の見物を決め込んでいたらしい。
「今度は、俺が工藤さんの真価を見極めさせてもらうよ」
 英斗はそう言うと、南瓜の種をボリボリと食べ始めた。


探偵物語

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