◆ 影を捨てた男 [02]

 優作たちの応援する陽一と子衛は、順調に勝ち進み、ベスト16に進出を果たした。また、有馬英司も同じくベスト16に入っている。対戦表をたどると、準々決勝の陽一の相手は、優勝候補の筆頭である有馬英司。自然、応援団の熱気があがる。
 優作の心中は複雑なところがあったが、やはり地元出身で小さい頃から知っている陽一の方に肩入れをしてしまう。勿論、この会場の何処かにいる英斗は、弟の勝利を願ってやまないだろう。
 応援団の気合いが入っているところで、優作は席を立った。
「どうした、優ちゃん」
 酒屋の若旦那が声をかけてきた。
 優作はニヤリと笑って、
「小事の用があってね」
 と言って、席を立つ。
 意味を理解した柴は、同じような笑みを浮かべ優作に言葉を返す。
「2階の東側なら空いているぜ」
「ありがと」
 優作は柴に礼を述べると手を振って席を後にすると、2階の東側にあるトイレに入った。
 柴の言っていた通り、人通りも少ないようなところなので、会場が混雑している割には人影はない。優作はジーパンのチャックを下ろして、せいせいと[小用]を始めた。行きに前祝いと称してビールをかっくらっていた商店街連中と違って、運転手でもある優作はビールは飲まなかったが、とにかくのどが渇くので、お茶をたらふく飲んでいた。しかも、会場内は熱気に包まれているとはいえ、まだ3月終わりのこの時期だ。自然、トイレも近くなる。
[小用]を済まし、手を洗って出ようとしたとき、個室から何やら人の声が聞こえた。しかも、一人ではなく複数いると思われる。思えば、こんな人影の少ないトイレで、男子トイレの個室がいつまでも使用中というのも、変な話だ。
 優作はトイレから出るフリをして、個室から聞こえる声に意識を集中する。
「……思ったより、有馬のヤツは手強いな」
「ああ。さすがは優勝候補だ」
「しかし、民郎のヤツが優勝しないことには、オレたち全員、OBにシメられるぜ」
「民郎と有馬が当たるのは、準決勝だ」
「しかし、今度の試合の有馬の相手もまた、強いぜ?」
「……やるか?」
「そうだな。準決勝で民郎に当たるやつには、[棄権]してもらおう」
「でも、いくら頭数そろえても、空手の猛者相手では、こっちだってタダじゃ済まないだろう」
「オレに良い考えがある。有馬の兄貴と島の姉貴が、それぞれ応援に来ている。どっちか勝った方のご家族にご協力を願うっていうのは、どうだ?」
「そりゃいいや」
「言うこときかなけりゃ、少し脅してやれ」
「だったら、島に勝って欲しいな。きっと美人の姉貴なんだろ?」
「有馬の兄貴も、美人ってえ話だぜ」
「オレ、男のシュミはねえよ」
「いや、オレ、一度見たことあるけど、男とは信じられねえくらいの、震いつきたくなるほどのべっぴんでよォ」
「自分の兄貴が、男相手にいたぶられたなんて触れ回されたら、有馬だって二度と表舞台には出られまい」
「まあ、オレはどっちでもいいけどね」
「よし。準決勝の民郎の相手がわかったら、即、その兄貴なり姉貴なりを連れ出せ。場所は……」
 優作は耳をそばだてて、彼らの会話と計画を頭に叩き込むと、静かにその場を去った。その後、何もなかったかのように、長学ランを着た、いかにも不良高校生といった風情の男たちが、ぞろぞろと個室から出てきた。
 学ラン応援団とすれ違いながら、優作は彼ら一人一人の顔をしっかりと確認し、自分の席のあるところへと足を進めた。
 それにしても、いくら上から脅されているとはいえ、随分と古典的な方法を取る連中だ。
 優作は呆れる以上に感心してしまった。
 柴から取り返した対戦表を見て、[民郎]という名前を探す。
 萩原民郎 (茨城県 黒栄高校 2年)
 順調に陽一が勝ち進めば、準決勝で当たる相手だ。優作は顎に手を当てて考えた。
 今度の試合で、陽一が勝てば麻子の身が危ないし、英司が勝てば英斗に危害が及ぶ。どちらも多少腕に覚えがある人物だが、相手は不良だし数が多すぎる。どっちも知り合い以上の関係である以上、危害が及ぶ可能性を、黙って見過ごすわけにはいかない。
 優作にできることは、今はとりあえず試合の状況を見守るだけだった。
 試合会場の中央では、準々決勝で最も注目すべきカードの試合が、始まろうとしていた。


探偵物語

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