◆ 聖女が街にやってきた [04]

 所変わって、神奈川県横浜市中区山下町にある、とある雑居ビルの3階。
 優作は自分の事務所兼自宅のベッドの上で、裸のまま煙草をふかしていた。傍らには島麻子が、シーツで胸元を隠してつまらなそうな顔をして寝転がっている。
「工藤くん、何かあったの?」
「何がって?」
「とぼけてもダメよ。してる最中、ずっと別の人のこと考えていたんでしょ」
「そんなことないよ。オレはいつでも、島さんに夢中さ」
「ウソばっか」
 いけしゃあしゃあと愛を語る優作を、麻子は鼻で笑い飛ばす。
 麻子は優作から煙草を取り上げ、ベッドヘッドに置いてある灰皿の中でもみ消すと、口許には笑みを浮かべて真剣な瞳で優作を見つめた。
「工藤くんをこんなに思い詰めさせるほどの女性(ひと)がいるの?」
「さすがは島さん。読みはいいんだけどね」
 優作はおどけたように肩をすぼめて、口許を苦笑で歪める。
「そういえば、島さん。例のほら、刑事の彼氏はどうした? 名前何ていったっけ」
「ああ。黒木さんね。この春からアメリカ研修とかで、5年は向こうに行っているらしいわ」
「島さんはどうするの?」
「私は、いつまでも待っているタイプの女じゃないわ。アメリカまで追う気もないし」
「終わりか」
「終わりよ」
 二人は目を合わせると、お互いに肩をすぼめて笑う。
 あっさりと訪れた愛の破局を、麻子は非常に冷静に受け止めていた。後に引かないタイプの女なのだ。だからこそ、一時は別れた優作とも、こうして寝ることができる。
 先程吸っていた煙草を消されたので、優作は新しい煙草を取り出し口にくわえた。
「それはよかった。主義を曲げなくて済んだ」
「あら。まだ頑張っていたの。『惚れてる相手がいる女は抱かない』ってやつ」
「島さんは魅力的すぎるよ。黒木さんとのこと忘れちまってたもんな」
「私も忘れてたわ」
 麻子はそう言うと、両手で前髪をかき上げ、上目遣いに優作を見つめる。
「でも、工藤くんはどうなの?」
「どうって?」
「その女(ひと)、工藤くんの主義を曲げさせるほど、魅力的なの?」
「まだ曲げちゃいない」
 優作はくわえていた煙草に火をつけると、大きく吸い込んで紫煙を吐き出した。
「だけど、そんなことも忘れそうになったのは、確かだ」
「惚れたのね?」
「かもね。ほら、オレって惚れっぽいからさ」
 おどけてそう言い放つことで、冗談ぽく見せようとしたが、麻子の瞳は優作の心の奥を見据えているようだった。
「そんなに好きなら、奪おうっていう気にはなれないの?」
 麻子の真剣な問いかけにも、優作は最初は冗談めかした笑顔でいたが、相手が相手だけに誤魔化しきれない。どことなく寂しそうな笑顔を浮かべ、煙草を吸う。
「奪うだけでは何の解決にもならない」
「優しいのね、相変わらず」
「カッコつけなだけさ。でも……」
 そこまで言って、優作は言葉を飲み込んだ。これ以上のお喋りは、自尊心を崩してしまうような気がしたから。麻子もまた、言葉尻を言及することはしない。優作の自尊心を踏みにじるような真似は、したいと思わなかった。
 お互いの領域に決して土足で上がらないという暗黙の了解があってこそ、友達とも恋人とも言い切れない二人の関係は続いている。



探偵物語

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