◆ 夜の仮面 [05]

 裸の英斗をベッドの上に下ろすと、優作は持ってきたバスタオルで、甲斐甲斐しく水気を拭いてやる。人形みたいな扱いをされ、英斗はあまり面白くなかったが、何故か優作には敵わないような気がして、文句は言わずに好きなようにさせた。
 いよいよ本番かと思うと、英斗は胸が張り裂けそうになった。
 何でだろう……
 今まで幾多の男たちと肌を合わせひとつになってきたというのに、今日の相手に限っては、どうも勝手が違う。
 一回触れられるたびに、自分が自分でなくなっていくような気がする。それもこれも優作の挙動が、どことなく英斗が求めて止まない相手に似ているからなのか。
 そんなまさか。
 英斗は頭の隅をよぎったそんな考えを、苦笑いを浮かべて否定した。
 優作から感じられる雰囲気は、どちらかというと自分と同じタイプに思える。孤高を好む一匹狼で、人を頼るのを良しとしない。表面上は他人となあなあでやっていけるが、自分の奥にある心の砦には、何人たりとも絶対に踏み込ませない。
 だからこそ、他の客や男たちには絶対に見せない姿を見せたり、名前だけとはいえ、本名を名乗ったりもした。
 しかし、実際に肌を合わせて感じたのは、自分と対極の世界に住む男のことだった。どうしてそれを感じてしまったのか、英斗にはわからない。優作の逞しい体躯のせいだろうか。
 外観だけに惑わされているとしたら、俺はとんでもない間抜けだ。
 英斗はまた苦笑を洩らして、不安の影を追い払った。
 金はもう貰っているのだ。いつものように、男に尽くして気持ちのいい思いをさせてやるのが、自分の仕事だ。今までもそうして稼いできたじゃないか。
 英斗は何とか気持ちを切り替えて、優作とコトに望もうと上半身を艶めかしく持ち上げ、キスを待って目を閉じた。
 しかし、優作が英斗に与えたのは、ハンガーに掛けてあったはずの英斗のコートだった。突然のことで最初は何があったかわからなかったが、目を開けると自分の裸体はコートにくるまれているのがわかり、英斗はただ呆然としていた。顔を上げると、優作はいつの間にやらちゃっかりパンツとジーパンをはいている。
「工藤さん?」
 まだ前戯も途中だというのに、さっさと終わり支度をしている優作に、英斗は戸惑いと怒りを隠せず、くってかかるように優作に詰め寄った。
「今日は帰るわ」
 くわえ煙草でそう呟く優作の方も、ちょっぴり残念そうな顔で、肩をすぼめておどけてみせた。
 膏薬を張り直している優作に、英斗はコートを脱ぎ捨てて詰め寄ろうとしたが、まだ身体の自由があまり利かない。
「ど、どうして? だってまだ……」
「自分(てめえ)の胸に手ェあてて考えてみな」
 こともなげに言い放たれた優作の言葉に、英斗は背筋が凍る思いがして、思わず息を飲んだ。
 思いがけず口にしてしまった名前を、やはり優作は聞いていたのだろうか。
 優作は火のついた煙草を灰皿に置いて、着々と上着も着始めた。
「主義でね。惚れている相手が別にいるヤツを、抱く気はないんだ」
「なっ……?」
 やはり、英斗は無意識のうちに名前を叫んでいたのか。
 そんな英斗の不安を見抜いてか、優作は言葉を続けた。
「あんとき、おまえが誰の名前を叫んだかなんて、覚えていないし、オレにとってどうでもいいことだ。だけど、オレはそいつじゃないし、そいつだってオレが成り代わっておまえさんを抱いているのは、いい気分じゃないはずだ」
「そんなんじゃない!」
 諭すようにもの申す優作に、英斗はムキになって大声を張り上げ否定する。
「違う! そんな……そんなのじゃないんだ……」
「じゃあ何故、オレや他の男たちに身体を許す? 借金返済のためだけじゃないんだろ?」
「違う……違うんだ……」
 優作の問いかけに、だけれども英斗は返す言葉も見つからず、ただただ「違う」と言葉を繰り返すだけである。双眸からあふれ出る大粒の涙が、次から次へと頬を伝って流れ落ちる。
 初めて他人に突きつけられた現実に、英斗はどうしていいのかわからずにいた。
 優作はもう一度英斗の裸体にコートをかけると、半分灰になってしまった煙草をくわえ、煙を吸い込む。
「鞄の管理はおまえに任せる。オレは暴力団2件と警察にマークされているからな。何かあったら、携帯のほうに電話してくれ」
 優作はジャージを羽織ると、自分の名刺の裏に携帯の電話番号を書き込み、灰皿の中で煙草をもみ消すと、その横に名刺を置いた。名刺の下に、2万円が添えられている。
「番号はわかっていると思うが、一応渡しておく。じゃあな」
 言いたいことだけ言うと、優作はさっさと部屋を後にして、本当に帰ってしまった。
 優作が去っていったドアに向かって、英斗は怒りにまかせて花瓶を投げつけた。陶器の割れる音が部屋の外まで響くが、誰も入っては来ない。
 英斗はベッドの上で膝を抱き寄せうずくまると、声を押し殺して泣いた。



探偵物語

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