◆ 夜の仮面 [04]

 優作は割と素直に英斗のキスを受け入れたが、顔はしかめっ面のままだった。優作の唇を割り、英斗の舌が口腔の中を傍若無人に暴れ回る。このキスがただの無茶苦茶な濃いキスではないことを、優作は知っている。長い経験で得られた、巧妙で計算高いキスは、男たちから思考能力を奪い、獣のようにしてしまう。
 優作もまた、英斗の細くしなやかな身体を抱き締めると、貪るようなキスを英斗にお返しする。
 お互いの挑戦的なキスは、かなりの時間に及んだ。
 キスの均衡を先に崩したのは、優作の方だった。英斗の白い喉を食い破りたい衝動に駆られ、口を離すと噛みつくように英斗の喉へと貪りついた。
「あっ……」
 英斗が短い喘ぎ声をあげる。優作は理性の枷が外れたように、英斗の身体を貪った。キスも、声も、白い肌も、近づく男たちを野性に帰す。優作が畏れていたのは、そんな英斗の魔性の部分。そして今まさに、優作も英斗の放つ魔性に捕らえられてしまった。
 時に優しく、時に激しく、優作の口と指は、英斗の肢体をまさぐる。
 優作に責められるたび、英斗の頭の中は、パチッパチッと火花がはじけるような感覚に襲われ、時に意識をも失いそうになる。膝はがくがくと震え、とうとう立っていられなくなってしまった英斗は、バスルームの床に膝立ちになってしまい、優作もまた英斗の身体を追ってしゃがみ込む。
 今までに何人、いや何十か何百か。ともかく、どれだけの数の男が英斗の上を通り過ぎていったかなど、英斗自身ももう覚えていない。しかし、前戯だけでこれだけ感じてしまうのは、初めてのことだった。
 優作から放たれるほのかな体臭と、鍛え上げられた逞しい筋肉と大きな体躯。英斗を抱いている優作が、自分の心をずっと焦がし続けていた人影と重なって見える。
 決して言えない、言ってはならない。ずっと英斗を苦しめ続けながらも、どうしても忘れることのできない、心を焦がすほどの激しい想い。
 今、英斗を抱いているのは、優作ではなくずっと待っていた人物のような気がして、たまらず優作にしがみついて叫ぶ。
「……っ。……っ!」
 喘ぎ声なのか、はたまた絶叫なのか。英斗が叫んだ言葉は、自分自身にも聞こえなかった。しかし、声の意味するべき事は、ぼんやりと理解できた。同時に、我を失っていた英斗は、ようやく自分を取り戻すことができた。
 自分を取り戻せたのは、英斗だけではない。優作もまた、英斗の叫び声に我に返ることができたのだ。果たして優作は、英斗が叫んだ言葉と意味を理解していたのだろうか。
 不安そうな瞳で優作を見つめる英斗に、優作は苦笑をもらすと英斗から手を離し立ち上がった。
「バスルームで情事ってえのもオツだが、やっぱりベッドの方がいいんじゃないか?」
「そうだね」
 力のない声で英斗は同意し、一緒に立ち上がろうとしたが、腰に力が入らず滑って倒れそうになった。とっさに優作が抱きかかえてくれなければ、頭から床にぶつかっていたかもしれない。
「大丈夫か?」
「あ、ありがと……」
 素直に礼を述べる英斗を、優作は身体を横にして抱き上げた。
 気恥ずかしさが先に立って、英斗は優作の肩を必死に押すが、それくらいで放すような優作ではない。英斗はいつもの妖艶さをかなぐり捨て、乙女のように恥じらい、文句をたれる。
「じ、自分で歩けるって」
「そうは思えないがな」
 優作は英斗を抱きかかえたまま、床に落ちたタオルを拾い、英斗の髪を撫でるように拭いた。
  英斗を抱きかかえバスルームを後にしようとしたとき、ふと、視界にビニール袋にくるまれた何かが目に入った。
「これは?」
「あっ! だ、だめ!」
 慌てた素振りで英斗が叫ぶが、時すでに遅く、優作はビニール袋を手に取っていた。ビニール袋の中には、黒の二つ折りの財布が入っている。
「おまえの財布か。何で風呂場なんかに?」
「……盗難防止と身分を隠すため。シャワー浴びている間に、免許証とか見られたら困るから、いつも目の着くところにおいてあるんだ」
「なるほど。どうりで昨日は見つからなかったはずだ」
 さも感心したように優作は言い放ったが、やはり探りをいれられていたと知った英斗はむっつりと怒っている様子だ。
「見つかったものは仕方ないけど、のぞくなよ」
「わかってるよ」
 優作はそう言って英斗にウインクをしてみせると、英斗と財布を抱きかかえ、バスルームを後にした。




探偵物語

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