英斗との約束の時間まで、まだ1時間ほどある。意外に時間が余ってしまったが、1時間では繁華街の風呂に入って楽しんでそれから待ち合わせの場所に行くなどという、無謀なコースは取れない。 中途半端に残ってしまった時間をどうするべきかと、優作が思案にくれていたところ、携帯が着信を知らせる音を鳴らした。 「はい」 今度は日本語で電話に出た。 『工藤さん? オレ』 「英斗か。どうした、こんな時間に」 『約束の時間までまだあるけど、思ったより早くあがれたから、もうフリーなんだ。工藤さん、いまどこ?』 「蕨に用があってね」 本当は西川口なのだが、それをいうと英斗が警戒すると思って、さいたま側の蕨とウソをついてみた。見破れるかどうかは、英斗次第だ。 『なんだ。ほとんど目と鼻の先じゃないか。俺はもう川口にいるから』 「わかった。すぐに行く」 『じゃあ、待ってるよ』 甘えるような英斗の声は、ツーツーという音に変わってしまった。優作は苦笑を浮かべて電話を切ると、夜の駅前通りを走り、急いで駅を目指す。 川口駅に先に着いていた英斗は、コインロッカーの前で優作を待っていた。しかし、待てど暮らせど優作の姿は見えない。 「来ないはずないのになぁ」 ため息混じりに英斗がぼやいたそのとき、英斗は背後に人の気配を感じた。その大きさに、英斗は驚きのあまりばっと後ろに振り向く。同時に、英斗は肩を掴まれてしまった。 「悪りぃ。遅くなった」 「工藤さんっ?」 背後から現れた優作に声をかけられたことでも驚いたが、姿を見ると英斗はさらに驚いた。 何しろ、優作が気に入っているであろう黒の三ツ釦スーツではなく、ジャージにジーパンという、お世辞にもおしゃれとは言えない服装だし、怪我は顔面だけでも絆創膏や青痣だらけで、とても痛々しい。 「どうしたの、それ」 「ハードボイルドの世界に怪我はつきものです」 「何がハードボイルドだよ。一体何で……」 「その話は後だ。<荷物>は出したか?」 「いや。工藤さん来てから開けようと思って」 「賢明だ」 優作は英斗の目の前に手を伸ばし、無言で鍵を催促した。この期に及んでも、英斗は少しためらっていたが、鞄からコインロッカーの鍵を取り出すと、優作の手の平に落とした。 鍵を受け取った優作は、番号を確かめると、同じ番号のロッカーの前で足を止め、鍵を差し込んだ。 ロッカーの中には、さくらやの紙袋だけが入っていた。 露骨に訝しげな顔をして、英斗を見やる優作。 「……これは?」 「中に例の鞄が入っている。銀色のアタッシュケースなんて目立つモノ、持ち歩けないだろ。ゴミ箱に捨ててあった袋に入れて置いたんだ」 「なるほど。なかなか賢いな」 からかい半分に優作は英斗の頭を撫で回すが、髪の毛をくしゃくしゃにされた英斗は不満でたまらない。 優作はロッカーから紙袋を取り出すと、腹をさすって英斗に尋ねる。 「それはそうと、英斗。メシはどうした?」 「まだだけど」 「じゃあ、どっか食いに行くか。何が食べたい?」 「うーんと……。工藤さんが車じゃなければ、居酒屋でもいいかな?」 「おまえのRZは?」 「家に置いてある。どうせ夜の<仕事>のほうは、当分できそうもないし」 「自業自得だ。じゃあ、居酒屋でいいな」 「うん」 返事をするなり、英斗はとびきりの笑顔を浮かべ、優作の腕に手を回す。 「おいおい。あんまりひっつくなよ」 「いいじゃん、別に」 逃げ腰で下がる優作が面白くて、英斗は腕に回している手に力を込める。 甘えるように優作に擦り寄った英斗は、見つからないようにすっと優作の体臭を嗅いだ。 嗅ぎ覚えのある匂いだ。いや、似たような、と言ったほうが正解か。 匂いも感触もたまらなく愛おしいのに、英斗の笑顔は晴れやかではなかった。どちらかというと、寂しそうな笑顔である。しかし、優作には決してその顔を見せることなく、賑やかな広場を通り抜け、二人は去っていった。 |